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地酒を世界へ!金融業と日本酒輸入、二足の草鞋で起業するまで

  • 2020.11.18
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日本の素晴らしい地酒をアメリカに広げるため、金融業界で働きながら自ら日本酒の輸入を行う「Sake Suki」を立ち上げた宗京裕美子さん。ゴールドマン・サックス証券東京オフィスに新卒で入社した後、ニューヨークの金融業界に飛び込み、コロンビア大学でMPA(Master of Public Administration)を取得。プライベートでは出産も経験し、現在ではニューヨーク州、カリフォルニア州をはじめ、13州で日本酒を広めています。

そのバイタリティ溢れる生き方の裏には、計画を重ねて実行に移すという慎重さと、日本酒をローカルコミュニティに広めたいというパッションがありました。

日本酒インポーターをはじめたきっかけは?

福井県生まれ、石川県育ちで、美味しい地酒がたくさんある環境で育ちました。2011年に金融機関の仕事でニューヨークに引っ越してきたのですが、仕事柄接待も多く、アメリカ人を連れてニューヨークの高級日本食レストランに行く機会が多くありました 。

その当時、接待で訪れた日本食レストランに置いてあるのは、いわゆる大手と言われる酒蔵のお酒が主流。個人的には家族経営の小さい蔵でも美味しい日本酒はたくさんあると思っていたのですが、そのような小さな蔵は米国市場には入りにくい環境でした。そこで自分に何かできることがあるんじゃないか、と考えるようになったのがきっかけです。2013年にSake Sukiを立ち上げましたが、当時はニューヨークで証券会社の会社員としても働いていたので、二足のわらじでした。

日本とアメリカで、金融業界の会社員という道を選んだのは?

大学時代に就職を考えたとき、「世界の政治経済に関わりたい」という思いがありました。外報などメディアに興味があったのですが、ゴールドマン・サックス証券のWomen’s Open Dayに行った際に、壇上に上がった女性の方が本当にかっこよくて。

彼女は当時30代前半にも関わらず、部門長をされていて、私生活では3人の子供の母。疲労感も皆無でキラキラ輝くオーラがあり、さりげなくシャネルのスーツを着こなしてました。「私は仕事もプライベートも、欲しいと思ったものはすべて手に入れたいので、この会社で働いています」と話されていましたのを今でも鮮やかに覚えています。私が大学生の頃は現在と比べて、女性は子育て期間中は仕事と家庭の両立がしにくい環境だったと思うのですが、そのような素敵な女性を目の当たりにして、ここで働きたいと感じました。金融業界は私にとって遠い世界だと思っていたのですが、為替のアプローチからでも世界の政治経済と関われると、金融の道に進むことを決意。入社して、最終的にはWomen’s Open Dayで話をされていた女性のチームで働くことができました。

あとは高校の時に一年間カリフォルニアに留学していたので「いつかアメリカに戻りたい」という気持ちがあったんです。最終的にアメリカ系の会社を選んだのも、いずれ海外で働く夢に近づくかもしれないという思いがありました。

アメリカでキャリアを積みたいと思った理由は?

日本で働いていた時には香港ベースのお客様も担当していたので、海外出張も多く、早く海外で働く夢を実現させたいと思うようになりました。当時は独身で、「動くなら今のうち! 夢のニューヨークで働きたい!」そう思い、転職含め、海外オフィスで働く可能性を探し始めました。

東京で金融市場に携わっていると、朝起きるとニューヨーク市場中のニュース等でマーケットがガラリと変わっていることも多くて。やはりニューヨークはまだまだ世界の中心地だな、と痛感しましたし、そこで挑戦してみたいという気持ちが日々強くなっていました。20代半ばの頃で、年齢的に「今しか行けない…」という思いも強かったです。そうしているうちに、米国の野村證券のニューヨークオフィスとご縁があり、渡米が決まりました。

最初から独立せずに副業を選択した理由は?

日本では未だに副業のハードルが高いと聞きますが、アメリカでは色々な職業を掛け持ちしている人がたくさんいます。米国の野村證券に勤めていた時も、同じチームの人がレストランを経営していたり、家業を一緒に手伝っていたりと、サイドビジネスが日常にありました。アメリカ人はプライベートの時間も大切にしており、始業が早い分、会食がない日は5時過ぎにはさっさと帰宅してしまうので、私自身も就業時間のあとに新たに始めるビジネスに関して勉強する時間も取れました。

米国は禁酒法があった時代もあり、お酒に関する規制が州ごとに違うため、アルコールにまつわる法律を勉強する必要がありました。また一から貿易実務も勉強し、船会社と交渉、冷蔵コンテナの予約をしたり、リカーライセンスのある倉庫を賃貸するなど準備することが膨大にありました。国を超えての物流の大変さを思い知りましたね。

2013年に夫とSake Sukiをスタートしましたが、やはり実際にコンテナを持ってくるまでに時間がかかりました。2014年からはコロンビア大学院でMPAを取得するために、平日就業後や土日などで通えるエクセクティブコースにも進学しました。アメリカ人と対等に会話し、仕事をするにはアメリカでの最終学歴が必要だと感じたからです。ディスカッションの仕方や提案書の書き方などアメリカンスタンダードを学びました。時間はかかりましたが、自分や会社の足りないところを一つ一つ補い、穴を埋めていった感じです。

独立をしたきっかけは?

準備を進めていたコンテナが、2016年始めにアメリカに到着しました。その当時はまだ大学院にも通っており、長女も生まれたばかり。金融の仕事では扱う商品が増えたりと、色々なことが一気に起こり、自分の中でも整理をする時期だなとは思っていました。

Sake Sukiに関しては、自分たちで全てをカバーすることに限界がきており、弁護士や会計士、バックオフィスなど専門家のプロフェッショナルを採用したりとアウトソースしていき、仕事の効率化に励みました。

子どもが生まれたことも、独立のきっかけです。一般的なアメリカの子育てのようにナニー(乳母)のヘルプを享受していたものの、子どもといる時間を増やしたい、もう少しフレキシブルに働けたらいいなと思い、2016年に会社を辞める決断をしました。

「地酒」に対する現地の人の反応はどうでしたか?

最初は石川県の「萬歳楽」という蔵からスタートしたのですが、ニューヨークは美食家も多く、食に対して学ぼうという日本酒マニアの人も多いので反応はすごく良かったですね。ワインを扱っているディストリビューター(卸業者)と契約し、日本食レストランだけでなく非日系レストランにも多く販売開始しました。

レストランには、酒蔵の歴史や背景、一つ一つのお酒のストーリーを丁寧に説明をして回りました。市場自体も、マスなものよりも土壌にこだわった自然派など、小規模でもこだわりの酒造りをしているブランドに注目する傾向があるので、そこもニーズにマッチしたのかもしれません。クオリティの高いものにはお金を払うことを惜しまないニューヨークという地も、私たちのビジネスモデルに合っていたんだと思います。

大学院への進学や子育てとビジネスを両立させていらっしゃいますが、そのバイタリティや時間の使い方のコツは?

もともとマルチタスクをこなすことが苦にならない性格ではあると思います。会社員時代も、会社で嫌なことがあっても、終業後に大学院のクラスに行けば、「何で私は悩んでいたんだろう?」とリフレッシュできるというところもありました。

ぼーっとしていられない性格というのもあるかもしれません。仕事も家事もすべてスマホのアプリに詰め込んでこなしています。今はスマホ一つあれば子どもを公園で遊ばせていても、メールのチェックもできる時代。仕事と子育ても両立しやすくなりました。自分でビジネスをやるということは、責任も無限大ではありますが、自分の裁量で仕事ができ、毎日楽しんでやっています。

海外でキャリアを積みたい人へのアドバイスは?

海外に住みたいという目的が先にきてしまうと迷子になってしまう可能性があるので、きちんと何がやりたいかを明確にすると移住もスムーズに行くかと思います。

性格的に、私は先々のことを考え、用意周到に準備して、失敗する可能性を少なくしていくタイプ。自分は、自然と道が切り開けていくという天才肌タイプではないということは、小さい頃から自己分析できていたかと思います(笑)。

国を超えての移住は、年々ビザも厳しくなっていますし、多くの困難があるかと思います。受け入れ先の確保含め、できるだけの準備をし、リスクを軽減しておいても損はないかと思います。

今後の目標を教えて下さい。

今後、新規で二蔵の取り扱いが決定しているので、新旧の酒蔵の商品をバランスよく拡販していくことが目標です。プライベートでは、子育てで毎日精一杯でありつつも、金融時代から今まで全速力で走ってきたので、これからはもう少し自分の時間も楽しんでいきたいと思っています。

宗京裕美子さん

福井県生まれ、石川県育ち。高校時代をカリフォルニア州で過ごす。 東京大学文学部行動文化学科社会学卒業。在学中には3年間日本テレビのイベコンも経験。卒業後、ゴールドマン・サックス証券の外国為替部東京オフィス入社。その後、2011年に米国野村證券に移籍するためニューヨークへ。在籍中にコロンビア大学国際公共政策大学院卒業。2013年に清酒輸入会社Sake Sukiを設立し、2016年に野村證券を退社。現在、ニューヨーク州、カリフォルニア州、フロリダ州など13の州にて販売している。インスタグラムは@SakeSuki

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