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直木賞作家・桜木紫乃さん「実家のラブホテルで学んだ、人間の滑稽さと切なさ」

  • 2020.11.14
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いつか実家が廃墟になればいいと思っていた

――映画の冒頭、ラブホテルでの衝撃的なシーンから始まって驚きました。

桜木紫乃さん(以下、桜木): いきなり、おっぱいでしたね(笑)。しかもすごく大きかった。スクリーンにどーんと映って。

あれは小説の最初にある「シャッターチャンス」という短編の一場面です。廃業したラブホテルの一室にカップルが忍び込み、彼氏のために女性がヌードモデルになって写真撮影をする。そこから時間をさかのぼる形でストーリーが展開していくのですが、あの短編はそもそも、担当の編集者に「桜木さんの好きな廃墟で、ヌード撮影する話を書いてみては?」と言われて始まったものでした。

――「廃墟でヌード」というアイデアがきっかけで、ラブホテルを舞台にした作品を書くことが決まったのですね。

桜木: 自分が最もリアルに描ける廃墟って何だろうと考えて、思いついたのが実家のラブホテル「ホテルローヤル」でした。もともと廃墟を眺めるのが好きで、いつか実家が廃墟になって『廃墟の歩き方』という写真集に紹介されればいいなと思っていたんです(笑)。

とはいっても、執筆当時はまだ実家のホテルは普通に営業していました。2012年の末、小説が完成して出版となる直前に、偶然にも商売をたたむことに。内心では「やった!」と思いましたね。ホテルローヤルが架空の場所になるぞ、と。

朝日新聞telling,(テリング)

「セックスって、いいものですか」高校生だった自分の思い

――女優の波瑠さん演じる本作の主人公・雅代は、ホテルローヤルの経営者のひとり娘であり、桜木さんと同じ境遇です。ストーリーにはご自身の思い出も反映されていますか。

桜木: 小説『ホテルローヤル』は虚構を描いた物語です。私が経験したことをそのまま書いているわけではありませんが、経験が書かせる一行もあったのではと思っています。

うちの父が莫大な借金をしてラブホテルを立ち上げたのは、私が15歳の春。中学を卒業してすぐのことでした。ホテルの事務所の上に私たちの住まいがあって、学校から帰ると毎日手伝いをしていました。家の中をつねに他人が出入りして、いろんな人のさまざまな側面を見たり、あるいは聞いたり……。人間って本当にいろいろな人がいるのだなと、知ることができた場所でしたね。

――映画の中で、男女の行為の最中の声が、部屋の外に聞こえてきたシーンもありました。あれは実際に?

桜木: 映画のように換気口からではないものの、うちのホテルの壁はうすかったので。女性の声というのは響くトーンがあるんですね。

高校時代、私が寝室にしていた部屋と、一番端の客室のベッドが壁1枚の隣り合わせで、お客さんによっては声がよく聞こえました。それを両親に言ったら、さすがに教育上よろしくないと思ったのか、私が寝る時だけはその客室をクローズにしてくれて。唯一、両親が私にした親らしいことです。

――10代の多感な時期に、すさまじい体験をされてこられたのですね……。

桜木: 多感であることを放棄していましたね(笑)。劇中の雅代の「セックスって、いいものですか?」という台詞は、高校生だった私の正直な気持ちです。

でもね、自分が家の中にいると、それがどれだけ滑稽かわからないんですよ。チャールズ・チャップリンの言葉にもある通り、人生は寄って見ると悲劇的ですが、離れて見たら喜劇です。私たち家族は借金を返して生きていくことに必死で、まるで建物に働かされているような状況でした。

朝日新聞telling,(テリング)

「明日に向かって逃げる」という選択肢

――本作の映画化が決まった時、原作者として何か要望はありましたか。

桜木: それはもう、「お好きなように使ってください」と。スタッフやキャストのみなさんは、ご自分の名前で表現活動をされているプロの方々です。たとえば私も、自分の小説に対して頭ごなしに「これは違うから、最初から直して」などと言われたら、書くのがつらくなってしまいます。同じものを作る人間として私が言えるのは、「原作に遠慮しないで作ってください」ということでした。

――そうしてできあがった映画をご覧になって、どんなことを思われましたか。

桜木: 武監督は『ホテルローヤル』という小説を映画にしたのではなく、ホテルローヤルを舞台にして、私という人間の内面を読まれたような感じがしましたね。

うちの父は根っからのギャンブラーで、商売向きの人間ではありませんでした。だから私は高校生の時、「いつか自分がここを継がなければならない」というプレッシャーをつねに感じていました。映画の中で、雅代が父親に向かって「私を巻き込まないでよ」と言う場面があります。でも私自身は、ああいうことを父に話した記憶がありません。

私は24歳で結婚して家を出ました。一方で雅代は、30歳になる前までホテルの手伝いを続けました。それはなぜなのか。雅代は父親に自分の気持ちを言える瞬間があったんです。私にはなかった。映画を観たことで、その理由があらためて腑に落ちた気がします。

朝日新聞telling,(テリング)

――たとえば今、周りの環境に対して複雑な思いを抱えている人が目の前にいたら、どんなアドバイスをされますか? 自分の気持ちを伝えたほうがいいのか、それとも何も言わずに出て行ったほうがいいのか。

桜木: 「前向きに逃げる」って、大切なことだと私は感じます。逃げるという言葉は後ろ向きに使われがちですが、そうではなくて前向きな気持ちでその場所を後にして、新しい場所に向かって歩いていく。武監督から「まさにそのことを映画で描きたかった」とお話を聞いた時に、そういえば、かつての私自身もそうだったなと思い出しました。

20代半ばになる私の娘には、「つらいことがあったら逃げなさい」と教えてきました。つらいと感じるということは、それが自分にとって好きなことではないはずなんです。無理して我慢を重ねて、うまく笑えなくなるような日常を送るくらいなら、明日に向かって逃げてしまえばいい。この映画を通して、そんな選択肢もあることを感じていただけたらうれしいです。

●桜木紫乃(さくらぎ・しの)さんのプロフィール
小説家。1965年、北海道釧路市生まれ。高校卒業後に裁判所職員として勤務した後、24歳で結婚して専業主婦となり、2人の子どもを出産。釧路発の文芸同人誌「北海文学」に参画したことがきっかけで創作活動を本格化し、42歳になる年に『氷平線』で単行本デビュー。男女の性愛に対する独自の視点が特徴的で、「新官能派」として性愛文学の代表作家と評される。趣味はストリップ鑑賞。

■小村トリコのプロフィール
ことりと暮らすフリーランスライター。米シアトルの新聞社を経て、現在は東京を拠点に活動中。お坊さんやお茶人をよく追いかけています。1984年生まれ、栃木出身

■齋藤大輔のプロフィール
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。

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