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「他人の不倫」にいちいち反応する人には成功も幸せも来ない

  • 2020.11.11
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ルールを守らない人をとかく非難し、攻撃する人がいます。芸能人や政治家の不倫が報道されるたびに反応する人もその一例。米国公認会計士の午堂登紀雄さんは、「正義をふりかざして人にルールを守らせようとするような人は、ビジネスで成功しない」と指摘します——。

ノートパソコンにイライラしている女性
※写真はイメージです
なぜ他人の不倫に対して怒るのか

ささいなことでイライラし、他人を攻撃する人が増えています。たとえば最近でも、自粛警察やマスク警察といったニュースが話題になりました。こういう人は他人や出来事に容易に精神状態を揺さぶられるため、悩みを抱えやすい性格と言えます。

動じないメンタルを獲得するために心掛けたい姿勢のひとつは、他人や物事を自分のモノサシだけで判断しないことです。

それには、「正しい・間違っている」「道徳的か否か」「モラルに反していないか」などという判断軸で見ないよう意識することです。なぜなら、それらの判断の根拠は自分固有のものであり、他人もそうとは限らないからです。

たとえば私や私の周囲にいる富裕層たちは他人の不倫には何の興味もないですが、芸能人や政治家の不倫のニュースを見て怒る人がいます。

彼らは「不倫をすべきではない」「公人は清廉潔白であるべし」と思っていて、自分の道徳観に合致しない言動をする人に腹が立つのです。結局彼らは自分の正しさを相手にも求めるから、そうでない人に腹が立つわけで、怒りっぽい人は実は自分の価値観を押し付けたいという傲慢な人間なのです。

正義を主張しても何も生み出さない

大事なのは、自分の正義を周囲が実現するべきだという思い込みを捨てることです。

正義なんて一人ひとり違いますし、そもそも客観的な正義などありません。10人いれば10通りの正義があり、ほとんどの場合は「自分にとって都合が良いこと」が正義なのですから。

にもかかわらず、ただ自分の正義と相手の正義をぶつけるだけでは永遠に分かり合うことはできず、最後は戦争です。現実にも、世界はそういう状況になっています。自分の正しさや正義を主張しても、不満や争い以外、何も生み出さないことがわかります。

一人で歩いているときもマスクをする人

たいていのルールには、「本質的な目的」があるわけですが、ルールを守ることが目的になると、本来の目的を忘れてしまいます。

たとえば感染症対策にはマスクの着用が必要ですが、外を一人で歩いていてもマスクをしているというのはその最たるものです。密でもないししゃべらないですから、飛沫など起こりようがありません。なのにマスクをする意味はまったくないでしょう。

つまりこういう人は、思考停止しているか、アリバイ作りのポーズにすぎないことがわかります。

たとえば道を歩いていて目の前の信号が赤に変わりました。左右を見渡しても、車の影はどこにも見えません。

ここで律儀に足を止めるのが、思考停止した人にありがちな傾向です。もちろんこれは誰でもわかりやすいたとえとして使っているだけであって、信号を無視しろというわけではありません。思考停止から脱却するには、ルールの捉え方を変えよう、ということです。

街中でスマホを使用するゴキゲンな女性
※写真はイメージです

道路交通法の第七条では、「歩行者は信号機に従わなければならない」、と定めています。では、その道路交通法は何のためにあるかというと、その第一条に「危険を防止し」「交通の安全と円滑を図り」「交通に起因する障害を防止するため」とあります。

であれば、上記のように道路における安全が阻害されず、交通の秩序が乱されない場合に、横断歩道を渡っても問題ないと判断することが可能です。実際に赤信号で渡れということではなく、ルールの本質を考えることが大切だということです。

ルールを疑うところからイノベーションは生まれる

これを「赤信号を渡るのはルール違反だ」と思い込んでいる人にはできません。

彼らは「そもそもなぜそのルールがあるのか」と、原点に立ち返って考えることはないので、機械的に「ルールは守るのが当然」と思い込み、ルールを守ることが目的になります。

しかし、ルールは社会を保つ最大公約数で作られているので、現実にそぐわない場面も出てくるものです。

技術の進化や時代の変化などによって昔のルールが現実にそぐわない、あるいはイノベーションの邪魔になることもあります。そこで、「そのルールの本質は何か?」「この場面ではルールのほうがおかしいんじゃないか?」という発想をしてみることです。

ビジネスでの典型的な例は物流事業のルールを変えたヤマト運輸です。ルールそのものを疑い、何が本当に人の役に立つのかを考え、「荷物を運ぶのは郵便局しかやってはいけない」という法律はむしろ国民のメリットとはならないという結論に達しました。そして、後年には法律をも変えてしまうブレークスルーが生まれてきたのです。

単純に「法律は守らなきゃいけない」と捉えている人には、宅配便事業というアイデアは永遠に出てこないでしょう。法律の抜け道を探すことを「けしからん」と捉えている人には、発泡酒も第三のビールも思いつくことはない。ブレークスルーは、ルールを破るブレイカーから生まれてくることもあるのです。

情報強者は自らルールを作り、不利なルールを変える

海外の動きを見ると、それはより顕著です。アメリカも中国も、「それは国益にかなうかどうか」という視点で物事を捉えているので、より自分たちに有利なルールを作ろうとします。不利であれば、そのルールを変えようとロビー活動をします。

それを「ずるい」と考えるのか「戦略的」と考えるのか。交渉によって、より自分に有利なルールを作るのは、実はだれでもやっていることであり、正当な権利です。

企業も、自分に都合のいい土俵(競争ルール)を作ろうとします。ちょっと古いですが、かつてビデオのVHS陣営とベータ陣営が規格を巡って争ったのを覚えている人もいると思います。

就業規則も社内規程も、基本的にはその企業にとって有利なルールですが、従業員はそのルールを守らなければなりません。家庭でも「わが家のルール」があると思いますが、基本的には親のエゴで作られているものです。門限やお手伝いの決まりなど、子どもの頃はそれを「理不尽だ」と感じた人も少なくないでしょう。

ルールを従順に守り、守らない人を非難する人

しかし思考停止に陥っている人は、ルールを守ることに非常に忠実で従順です。彼らは、そのルールが場合によっては正しくないこともあるとか、自分に有利が不利かということは考えません。ルールの本質を考えないし、自らルールを作ろうとも変えようともしない。だから他人が作った他人に有利なルールを守らされてしまうのです。

ただひたすらルールを守ることが彼らにとっての正義なので、ルールを守らない人を見つけると我慢できず、いっせいに非難し、叩こうとします。

そのため、ネット上にはあちこちで炎上が起こっています。昔なら「やんちゃだなあ」とほほ笑ましくスルーしていたことでさえ大騒ぎになります。

道徳心やモラルが不要ということではなく、常識に外れたことを指して、ただ感情的に「非常識だ」「そんなことしちゃいけない」「道徳的にどうなのか」「不謹慎だ」「立場をわきまえろ」「言葉を選べ」などと騒ぐのではなく、「ほんとう?」と立ち止まって考える習慣をつけるのです。

私たち個人も発想を変え、他人が作ったルールにただ従うだけではなく、ルールや常識の本質を考え、本当に意味があるのかどうかをいちいち考えてみることです。

そうすれば、情報が錯綜するこのコロナ時代においても、軽やかに駆け抜けることができると思います。

午堂 登紀雄(ごどう・ときお)
米国公認会計士
1971年岡山県生まれ。中央大学経済学部卒。大学卒業後、東京都内の会計事務所にて企業の税務・会計支援業務に従事。大手流通企業のマーケティング部門を経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして活躍。2006年、株式会社プレミアム・インベストメント&パートナーズを設立。現在は不動産投資コンサルティングを手がけるかたわら、資産運用やビジネススキルに関するセミナー、講演で活躍。『捨てるべき40の「悪い」習慣』『「いい人」をやめれば、人生はうまくいく』(ともに日本実業出版社)など著書多数。

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