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夢を叶えるために、住む場所を変える。ゆるやかな距離感が心地よい、北海道・下川町と東京での二拠点生活

  • 2020.10.31
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場所を選ばず仕事ができるようになってきたことで、これまでよりもっと、私たちの働き方や住まい方は自由になっていくはず。

二拠点居住、地方移住、定額住み放題、ホテル暮らし……

最近様々なサービスが出てきて興味はあるけれど、どこかまだ他人ごと、という方も多いかも。

でもちょっとだけ、気になりませんか。実際にそんな新しい暮らし方をしているあの人のこと。

グッドルームジャーナルでは様々な暮らし方をして、日々を心地よく送っている方々にお話を伺い、「これからの新しい賃貸暮らし」を考えます。

第2回目の今回は、東京と北海道・下川町で二拠点生活を始めたばかりのデザイナー、メイさんです。

メイさん・プロフィール

1991 年生まれ北海道出身。高校で書の世界に魅せられ、大東文化大学書道学科に進学。現在は手書き文字を基盤に、ロゴデザイン、商品パッケージへの文字提供、冊子や店舗看板などのグラフィックデザインを受注制作。個人活動としては、カメラマンと共同でInstagram食卓マガジン「つちめい飯」を運営中。

背中を押したのは、ゆるやかな繋がりを生む下川町の役場と、窓から見えた雪景色

メイさんは北海道の士別市出身の、29歳。大学への進学を機に東京に出てきて、早7年。現在はフリーランスのデザイナーとして活躍しています。

故郷を出ることを意識し始めたのは、ずいぶん幼いころ。都市部に住んでいた祖父母に連れられて行った、原宿「竹下通り」のキラキラとした街並み、人の多さを目の当たりにし、地元がいかに閉鎖的な町なのかを実感したそう。「もう、二度とこの町には戻らない」と心に決めて、高校卒業を機に士別市に別れを告げました。

にもかかわらず29歳になったいま、あえて地元士別市の隣町である、下川町に軸足を置くことを決めたと言います。メイさんの心を動かしたものは一体なんだったのでしょう。

地方を巡るユニット「hyphen,(ハイフン)」のメンバー。写真右から2番目が、今回お話いただいたメイさん。(写真:土田 凌)

メイさん:

「下川町に出会ったのは、2019年。友人のクリエイターたちと、地方を巡りながら冊子などを作るユニットを組んでいたんです。そのときに下川の役場の人たちが『うちの町にも来てください!』と声をかけてくださり、1か月間住んだことがきっかけです。

地元にいたころは、『こんな町には一生住まん!』なんて思っていたんですけど、改めて下川に行ってみたら、けっこう開けた場所になっていて。役場が新しいことをやっていたり、移住者と長年住んでいる地元の方を繋げてくれる活動を積極的にしていたり。すごく心地よく繋がっているというか。ちょうどいい距離感でみんなが住んでいて、それがすごい良いなぁと思って。

ある日町の人に、『明日飲み会あるから行こうよ』と誘っていただいてついて行ったら、何十年もそこに住んでいるおじさんが一緒にいて、話す機会があったんです。もうお酒も交えて、楽しくて。そういう機会をくれるこの町だったら、外から来た私も受け入れてもらえるのかも、と思いました。

私はこうして外の人が入ってきたときに、どれだけしっかり受け止められる体制が町にあるのか、ということは重要だと考えていて。移住した人だけで盛り上がるのではなく、移住者と町の人とが、心地よく繋がれるような二拠点生活の方が、素敵だなって思います」

長年住み続けている方への理解を得る活動と同時に、新しく受け入れる移住者にはすぐにでも馴染めるようにと、心を配る。下川町のこうした新しい取り組みに、心惹かれたのはメイさんだけではないはず。

そして町とのゆるやかな繋がりと同じくらい心惹かれたものが、この場所にあったといいます。

(写真:土田 凌)

メイさん:

「ユニットとして活動していた1か月間は、下川町で生活をしながら仕事をしていたんです。冬だったので、窓から一面の雪景色が見えたときがありました。もう、すごく静かで、綺麗で……。

机に向かっているときに、『あ、私がしたい暮らしは、これかもしれないな』と思ったんです。そういうことがずっと忘れられなくて。しっかりと準備してから来た、というよりは、もう勢いで来てしまったという感じです」

生きていると、何度かこういう”忘れられない景色”というのが、一つ、二つあるような気がします。メイさんにとってのそれが、下川町で見た日の光にキラキラと輝く雪景色だったのでしょう。竹下通りで見たキラキラとは違う、自然の景色。

そしてメイさんは今、大きく分けて「デザイナー」という肩書で仕事をしているけれど、本当は「書道で、ご飯が食べられるようになりたい」という夢があります。

雪景色に心惹かれたのには、その夢につながるヒントがあったからだそうです。

メイさん:

「東京に住んでいる間は、下高井戸にあるシェアハウスで生活をしているんですが、書にじっくり向き合いたいと考えると、やっぱり誰かがいる場所では書けないなぁと思って。

東京では3畳の自室で生活をしているんですが、字を書くためにまず、書道用具を用意することから始めなくちゃいけない。狭いから毎回片づけなきゃいけないので。でも今は、朝起きたらすぐに字が書けるし、酔っぱらっていても書ける。

下川の家では、大きな窓がある部屋に、常に書道ができるような場所を作りました。多分、そういう空気感の中で書いたほうが、いい字になるんじゃないかなって。今は毎日ちゃんと、字と向き合えているなと思います」

東京だからできること、下川町でしかできないこと

仕事の関係で、2か月に1回、2週間ほどが東京、それ以外は下川町で暮らす、という頻度で生活を始めたメイさん。東京を嫌いになったわけでは、決してない。北海道では、東京ではできなかった暮らしを、少しずつ自分の手で形作ろうとしています。

メイさん:

「東京のシェアハウスではカメラマンの彼氏と暮らしていたので、本当は北海道と東京の行き来の頻度は、半々くらいにしようと思っていたんです。でも住み始めたら、東京に行っている暇はないなぁと思う気持ちが強くなってきてしまって。

下川町では5部屋もある平屋を賃貸しているんですが、3年間家賃を払ったら、この家をあげるって大家さんに言ってもらっているんです。もう何をしてもいいよ、と。だったら、とことん自分好みにしてしまおうかなって今いろいろと考えているところです。壁にペンキも塗りたいし、これから寒くなるから、薪ストーブを入れようかな、とか。

東京はインプットできることも多いし、技術の上がる仕事も多い。でもあんまり町と繋がっている人が少ないなっていう印象があって。何だろう、私はもうちょっと町に土着した住み方がしたいなって思ったんです。仕事も、生活も。

例えば今後北海道で商品開発をするときなんかには、私がデザイナーとして関わらせてもらえたりしたらいいなぁとか、考えています。そうやって、住んでいる北海道と、仕事でもっと繋がりたい。

それからあと1年くらいしたら、今自分の作品作りに使っている書道スペースに、近所の学校の子どもたちを呼んで、書道教室にしようと考えていて。そういう、町が豊かになることが、自分もできたらなって思うんです」

不安は不安なままでいい。でも誰かに迷惑をかける生活はできない

一方で前回訪れたときの、旅と生活の曖昧なバランスを楽しんでいたころとは違い、腰を据えて生活をし始めたことによる気づきもあったそう。

メイさん:

「すごく具体的なことをいうと、例えば家の前の道の除雪代に、年間いくらかかっていて、それをご近所さんで割り勘しているとか。回覧板が月の初めと終わりにやってきて、私が東京に行って留守にしている間は、お隣さんが代理で次の人に回してくれるとか。

そういう些細なことなんですけど。家を持って住むということは、全然見えていなかった町が見えてくるんだなと思って。ここは東京と比べても物が少ないから。だからこそ、みんなで助け合って生きているんだなっていうことを感じます。

東京だったらご近所で挨拶をしなくても生きていけるし、食べ物がなければコンビニに行けばいい。ここにいると、人は一人では生きていけないんだってことを実感するんです」

東京のアパートに住んでいるだけでは気づかなかった、生きていく上で必要な、周りの人との繋がりの大切さ。それでも大きな家に一人で暮らしていると、少なからず不安はあるようです。

メイさん:

「何も準備しないで勢いで来てしまったから、実は自動車の免許もないんです。徒歩で行ける範囲に最低限のものはそろっているので、そこまで大きな不便さはないけれど、来年あたりには免許をとらなきゃなって思っています。

ほかにも冬道って滑るのかなぁとか、冬の暖房費って意外と高いんだなぁとか。雪国だから水道管凍ったら怖いなぁとか。そういう、小さな不安が次から次へと出てくるんですよね。

でもあまり気にしないようにしています。とにかく何とかしなきゃ、やんなきゃな、って。分からないことや不安はこれからも出てくるだろうから、そのたびに悩んでも仕方がないなって。

どんなことでも、足りないって分かってから頑張ればいい。不安は不安なままで、本当に必要になった時に動き出せばいいかなって思っています」

幼いころに住み慣れた北海道とはいえ、子どもの目線で何も考えずに暮らしていたあの頃よりも、少し違った視点で自分の生活を考えなければならなくなったメイさん。勢いで始めた二拠点生活に、甘えはありません。

メイさん:

「先日東京のクライアントと、私だけリモートで参加したミーティングがあったんですが、そこで大失敗をしてしまって。家の電波の環境が悪く、参加者の声が聞こえなかったり、画質が悪かったり……。意志の疎通が全然できなくて、すごく迷惑をかけてしまいました。

私の都合でオンラインのミーティングにさせてしまったことによる不便さを、本当は相手に感じさせてはいけないんです。この辺りは改善していかないといけません。

パートナーにもクライアントにも遠慮せず、やりたい生活をわがままに選んだからこそ、字を書くことからは絶対に逃げられないし、誰かに迷惑をかけることがあってはいけない。好きなことを好きで勝手に動いてしまった責任があるので、そのプレッシャーは常にあります。

でもその分、ようやくこっちに来て、覚悟もできたような気がするかな」

北海道のものを、北海道の人だけで創りたい

道東の魅力を伝えるために制作されたガイドブック。メイさんがデザインを担当

まだまだ下川町に住み始めて1か月あまり。これから先、メイさんがこの町で実現してみたいことを聞いてみました。

メイさん:

「ここに住み始めたことをきっかけに、少しずつ北海道の仕事をすることも増えてきているんです。直近では、道東のガイドブックを作る手伝いをしたりとか。

やっぱりどうしても、自治体とかが何か商品を作ろう、企画しようとなった時に、そこに東京の代理店が入るとか、そういう事案が多くて。何ていうんだろうな。少しずつ移住する人も増えて、モノ作りができる人もたくさんいるはずだから、いずれは北海道のものを、北海道にいる人だけでつくれるようになったらかっこいいなぁなんて思います。

あとは、地元の士別市のお仕事も、いつかしてみたいです。

下川町で『うちの地元の方は何にもないから、下川はいいな』みたいな話をすると、『そんなことないと思うよ、変わってきてると思うよ』って言ってくれる人が多いんです。まだ私が見ようとしていないだけなのかな。せっかく近くにいるんだから、もっと自分の目で、地元の今を知るために動かないと、と思います」

(写真:土田 凌)

いずれは彼と二人、どこか広い場所に農家や牧場の方が持つような、大きな倉庫を建てて、カメラスタジオと書の作業スペースを一体化させた暮らしをしたい、と夢見るメイさん。

メイさん:

「いやだいやだ、っていいながら、結局生まれたのが北海道の山奥だから。結局山奥に帰りたいんだろうなっていう感じがしますね(笑)。

でもまずは、これからのことは彼とも相談しながら、ゆっくり考えていきたいです」

*

いくら住む場所を変えたからと言って、怠けずに書に向き合ってすごいですね、と最後に声をかけた私に、メイさんが照れながら話してくれた言葉が印象的でした。

「私、あんまり努力とか、どんな環境でも頑張る、ということができなくて。私みたいな人は、無理やり環境を変えたほうが、絶対に無理なくできるな、と思います」

書で食べていけるようになりたい、という想い。そのために環境を変えて、その夢に打ち込める場所へ移動する。心の欲求に素直に従い、拠点を構えるというハードルすらも超えて、不都合な点はその都度改善していく。

なんだか人間らしいな、と感じました。

そして下川町という、メイさんにぴったりの場所に出会えたことは、良い仲間と出会い、クリエイティブな活動という、行動を起こしていたからこそできたこと。

一度東京に出なければ、そうした仲間との出会いも、”何もない”と思っていた地元の良さにも、気づけなかったのかもしれない。

今の生活に対して、心のモヤモヤがどうしても晴れない時は、一度思い切って行動をしてみる。そんな思い切りの良さから見えてくることも、あるのかもしれません。

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