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私、もっともっと、いいおばさんになると思う

  • 2020.10.29
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少女のころ漠然と想像していたよりも、どうやら人生は長く続きそうだ──とここ数年で気づいたという雨あがりの少女さん。今は“山田詠美の小説に出てくるようなおばさん”に憧れているという彼女が、歳をとるということについて綴ります。

■どうせ生きなければならないのなら

10代のころ、自分は25歳で死ぬと信じていた。だから生活習慣や勉強などについて、「そんなんじゃ歳をとったときに大変だよ」なんて言われるたび、「そんなに長く生きないから大丈夫だよ」と思っていた。

とはいえ、べつに積極的に死にたかったというわけではない。ただ、25歳くらいになったら、もう老化して女性としての魅力もなくなっているだろうし、そうしたら恋愛もできないだろうし、つまらないおばさん・おばあさんとして長生きするのはいやだなあ、と思っていたのである。

あれから10数年が経ち、25歳をゆうに過ぎた今の私は、腰痛に悩まされている。全然治らない。あと昨日お風呂で膝の黒ずみに気づいて絶望し、今朝の通勤電車でずっとスクラブやクリームを検索していた。まったく死ぬ気配はない。ただ順当に加齢している。

そう、ここ数年で気づいてしまったのは、「人はそんなに簡単に死ねない」ということだ。とくに何もない(しない)限りは、25歳を過ぎても、私は生きなくてはならない。腰が痛くとも、膝が黒ずんでいようとも……(!)当然ではあるが、自分事として考えると、わりと絶望的な気分だ。でも、どうせ生きなければならないのなら。おばさん、おばあさんになっていくのなら。どう生きるのが素敵だろうか。ということを最近は考えるようになった。

■ときめきは恋愛の専売特許ではないはずだ

今思えば、10代の私はたぶん大きな勘違いをしていた。歳をとれば女性としての魅力が失われ、恋愛ができなくなり、つまらないおばさんになるしかない、という部分である。たしかに10代の少女は美しい。膝もきれいだし。でも歳をとっても美しい人はたくさんいるし、無垢な美しさだけが性的魅力ではない。いろんな付き合いをしてきた今はそう思えるようになった。そして、たとえ客観的に自分の魅力が減退したとしても、人を好きになることはできる。少なくとも今の私にはできている。人を好きになることができれば、なんらかのかたちで恋愛はできるということだ。

私自身、加齢するにつれ、恋愛の仕方も多様になってきた。好きになって、好かれて、告白を経て、付き合って、キスやセックスをして、喧嘩して、別れて、指輪を捨てる、みたいな10代のフルコース的な恋愛は胃もたれがちで減ってきたけれど、恋愛はそれだけではない。たとえばレストランで「ちょっと少なめにしてください」とか「これとこれを盛り合わせて、あれは抜いてほしいです」とオーダーできるようになったように、恋愛も自分にあったオーダーのやり方がわかってきた。

異性との恋愛に限らず、いろんな人やものに、ときめいていられる人でありたいなと思う。このまえ美術館に行ったら、全身真っ白でキメた、素敵なファッションのおばあちゃんがいた。一つひとつときめいてものを選んでいるのだろうな、と思わせる人は魅力的だ。私はけっこう何も考えずに服や物を購入してしまいがちなのだけれど、最近は細身のかっこいい傘がほしいなと思い立ち、インターネットや街中で探している。ときめきという感情は恋愛の専売特許ではないはずだ。生活のうつろいの中でときめく瞬間の蓄積が、人を美しく、面白くするのだと思う。

■私、いいおばさんになると思う

山田詠美の小説に出てくるようなおばさんに憧れる。親や学校の先生は教えてくれない、ちょっと粋な遊び方とか、恋やセックス、人生の酸いも甘いも教えてくれるような人。誰かのそういう人になれたらすごくいい。

私には、何かあるたびによくわからない絵を送ってくれる親戚がいる。「お金がないからこれで勘弁して」というメッセージが添えられていて、たしかに金銭的に豊かではないのかもしれないけれど、お金などのわかりやすい価値以外のものを人に贈ることができる人は、やっぱり豊かだなと思う。たとえお金がなくても、絵をみる心があれば、素敵なおばさん、おばあさんになれそうだ。ランドセルを買ってくれる祖母より、よくわからない絵をくれる謎のおばさんになりたい。

25歳で死ぬと信じていた少女だった私は、今では素敵なおばさんを夢見て、腰痛と膝の黒ずみに地味に悩みつつも生きている。最近は、少女と話す機会があると、「大人は楽しいよ」「おばさんは自由で最高だよ」などと、無責任ながら「おばさんのよさ」を布教している。

私にとって、歳をとるということは、自由になることだ。社会的規範から、正義から、女性としての役割から、用意された物語から、自分自身の信仰から。だから、私、もっともっと、いいおばさんになると思う。そのためにやっぱり生きなくてはならない。

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