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父親の会社に入社した娘が、悔しさと孤独の中で「モーレツ営業」を続けられたワケ

  • 2020.10.20
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「cotta(コッタ)」は、お菓子・パンづくりの材料や道具のネット通販で知られる会社。黒須 綾希子さんは2020年に創業者である父親の後を継ぎ、同時に東京から本社のある大分県へとUターンした。彼女が業績を伸ばすために打った手とは、そして2代目社長になるまでに味わった悔しさと孤独とは──。

父に勧められて軽い気持ちで入社

cottaは、今年3月に旧社名から商号を変えたばかり。元の社名は「タイセイ」といい、1998年に大分県で創業。当初は、全国のお菓子屋さん向けに菓子用資材の通販を手がけていたそうだが、2006年に一般消費者やプロ向けの通販サイト「cotta」を立ち上げると、これが主力事業となって大きく成長。「お菓子・パンづくりの材料や道具が何でもそろう」と評判になり、業績を伸ばしていった。

cotta 代表取締役社長 黒須綾希子さん
cotta 代表取締役社長 黒須綾希子さん

このcotta成長の立役者が、創業者の長女・黒須綾希子さんだ。元は東京の人材サービス会社で働いていたバリバリの営業ウーマン。残業も休日出勤もいとわず猛烈に働いていたそうだが、さすがに疲れを感じて転職活動を始めたところ、父親から「うちの会社に入ってはどうか」と勧められたという。

「そう言われて驚きましたね(笑)。父は『家族に継がせるつもりはない』が口ぐせだったので、私も継ぐのはもちろん入社も考えたことがなかったんです。でも、東京で働くうちに大分との縁が薄れてしまったのは寂しいなと感じていました。家業なら東京と九州を行き来できるし、と当時は軽い気持ちで入社を決めました」

タイセイの拠点は大分だが、cottaのマーケティングやPR活動を行うには、東京で活動する社員が不可欠。これが黒須さんの希望とぴったり合い、普段は東京で働き本社会議の際には大分に帰る「2拠点生活」が始まった。

入社後4年間は「圧倒的に孤独だった」

とはいえ、黒須さんにとっては初めての通販事業。わからないことだらけの上、広告代理店などのパートナー探しも苦戦続きで、田舎の会社だからとナメられるような悔しい経験もしたそう。入社してからcottaが成功するまでの4年間は「悔しい思いばかりしていたし、圧倒的に孤独でした」と振り返る。

cottaのトップページ。大々的にCMも流し、認知度を上げている。
cottaのトップページ。大々的にCMも流し、認知度を上げている。

当時、東京にいた社員は黒須さんただ1人。cottaの売り上げを伸ばそうとがむしゃらに頑張っていたにもかかわらず、「社長の若い娘が入ってきて好き放題やっている」と見るベテラン社員もいた。しかも、父親からは「誰が見てもわかるような成果が出るまで特別扱いはしない」とはっきり言われ、給料もずっと高卒初任給と同じだった。

そんな中でも、入社2年目からは徐々に売り上げが伸び始め、4年目にはcottaの好調によって会社が上場。社内でも主力事業として受け止められるようになり、「綾希子さん頑張ってるね」という声も上がるようになった。ようやく皆に認められたという実感が湧き、それが成果を出せたこと以上にうれしかったという。

急成長につながった「モーレツ営業」

黒須さんは、未経験の分野でなぜこれほどの業績を上げられたのだろうか。その秘訣を尋ねると、決め手になった二つの要因を教えてくれた。

ひとつは、前職の“モーレツ営業”で身につけた力だ。顧客との交渉術や予算配分術、狙った相手の懐へ飛び込んでいく胆力、いいと思ったことは全部やる行動力──。この力は、パートナー企業や扱う商品の新規開拓に大きく役立った。

もうひとつは、インフルエンサーの活用に力を注いだこと。黒須さんは、当時まだ無名だったcottaを人気サイトに押し上げようと、パンやお菓子づくりのカリスマブロガー100人以上に猛アタック。自社のファンになってもらえるよう働きかけ、cottaの魅力を発信してもらうことに成功した。また、サイトへの有名シェフの出演も実現。無名かつ人脈ゼロという壁を、熱意と行動力で打ち破った。

「会社が無名だったので、直接お話ししてこちらの熱意を伝えるしかないと思って、とにかくアタックしまくっていました(笑)。知識が足りない分は行動量でカバーしようと、それこそ体当たりの営業を続けていましたね」

社長になりたいと思ったことは一度もない

しかし、孤独を感じながら頑張り続けられる人はそう多くない。黒須さんにそれができたのは、根っこに父の会社だからこそ守らねばという責任感があったためだという。

父の勧めで気軽に入社したものの、初めから無意識のうちに会社のことを自分ごととして捉えていたのだ。頑張り続けられたのは、この「当事者としての責任感」が原動力になっていたからではないだろうか。

タイセイの上場後、黒須さんは今後はチームでcottaを運営していこうと考え、自ら人材を集めて「TUKURU(ツクル)」を立ち上げる。専門チームをつくったことで通販事業はますます成長し、やがてタイセイの売り上げの半分以上を占めるようになった。

そして2016年、入社して6年が経った時に取締役就任。若い社員が増え、経営層にも若手が必要だと思い始めた矢先だったため、会社のためになるならとごく自然に受け入れた。ただ、この頃もまだ後継者としての意識はなかったという。

「社長になりたいと思ったことは一度もありませんでした。でも、取締役になった頃から、父が『一線を退きたいから早く継いでくれ』と言うようになって。私は勘弁してくれって断り続けていたんですよ(笑)」

双子出産の翌年に社長就任

事業の中心がお菓子屋向けから一般消費者向けに移り、父親は時代の変化や世代交代の必要性をひしひしと感じていたのかもしれない。だが、当時の黒須さんは第一子を出産したばかりで子育ての真っ最中。子ども、会社、自分の3つを同時に幸せにしていける自信がなく、また子どもは3人ほしいと思っていたため、なかなか首を縦に振らなかった。

ようやく社長就任を引き受けたのは2020年。双子を出産した翌年のことだった。結果的に、父親は子どもが3人になるまで待ってくれたのだ。私生活での望みがかなったこと、自分の社長就任が会社にとって最善と説得されたことから、「やっと腹が決まりました」と笑いながら振り返る。

社長交代に際して、社内から反対の声はまったくなかったという。cottaの業績も黒須さんの頑張りも、社員の誰もが認めていたからだろう。そして就任から2カ月後、タイセイは社名をcottaに変更。2代目社長のもと、新たなスタートを切った。

この流れを見ると、社名変更は黒須さんの初の大仕事のように思えるが、実は父親の決断。何年も前から再三「新たなスタートを」と言い続けており、社長交代のタイミングでようやく実現できたのだという。

気づけば父親と同じ仕事人間になっていた

「父の口ぐせは『変化を恐れるな、変化できる者だけが生き残れる』。まさにそれを体現するような決断だったと思います。父がずっとその姿勢を貫いてくれたおかげで、社長交代も社名変更も、社員全員が前向きに受け止めてくれました」

黒須さんは幼い頃から、仕事人間の父親と、それを応援する母親の姿を見て育った。父親の生き方を「かっこいいけど大変そう」と思っていたそうだが、気づけば自分も同じ仕事人間になっていた。いいと思ったらすぐ行動するところ、何かにつけて現場を手伝いたがるところも似ているのだとか。

加えて、意識的に受け継いでいきたいと思っていることもある。父親は、会社は社員が豊かで穏やかな人生を送るために存在する、利益や事業拡大は手段にすぎないと言い続けてきた。この理念には黒須さんも深く共感しており、だからこそ猛然と変化し挑戦していく覚悟を固めている。

通販事業は物流に大きなコストがかかる。ここが値上げされるとダメージは半端ではなく、また近年はAmazonなど巨人にも売り上げを奪われつつある。こうした現状をにらみ、cottaというサイトを核とした広告事業など、今後は通販以外のビジネスモデルも模索していく予定だ。

まずは自分の気持ちが安定していることが大事

「忙しい毎日ですが、私自身の気持ちが安定していないと経営も安定させられない。だから、自分が幸せだと思える環境をつくれるよう意識しています。その意味で、出産や子育てはとても幸せな経験で、自分はそんな経験にも仕事にも恵まれて本当にラッキー。そのぶん努力しなきゃと思っています」

夫は第一子が生まれたのち残業の少ない仕事に転職し、その後さらにcottaに転職。黒須さんの社長就任後は、本社を拠点にして東京での案件はリモートワークで行うことに決め、家族全員で大分県に引っ越した。

自らの経験を踏まえて、黒須さんは「女性が出産後も働く上で夫の協力は絶対条件」と語る。自社の女性社員とも、出産後の働き方や会社が期待することなどについてよく話し合っているという。

「職場に行けばやりがいのある仕事があって仲間がいて、家に帰れば豊かな時間が待っている。うちの社員には、全員そんな生活をしてもらいたいんです。そのために、これからも一生懸命、変化と挑戦に取り組んでいきます」

文=辻村洋子

黒須 綾希子(くろす・あきこ)
cotta 代表取締役社長
1984年生まれ。明治大学卒業。インテリジェンス(現・パーソルキャリア)を経て2010年、父親が経営するタイセイ(現・cotta)に入社。14年、同社のECサイト「cotta」の運営会社TUKURUを設立。20年に現職に就任し、タイセイは商号をcottaに変更。4歳、1歳の双子の3児の母。

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