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PRを超越して 乃木坂46にとって「ミュージックビデオ」が意味するもの

  • 2020.9.13
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乃木坂46(2019年12月、時事)
乃木坂46(2019年12月、時事)

乃木坂46のミュージックビデオ(MV)集「ALL MV COLLECTION 2~あの時の彼女たち~」が9月9日にリリースされました。2015年の初MV集から約5年を経ての第2弾となる今作、完全生産限定盤および初回仕様限定盤(いずれもBlu-rayとDVDの2形態)には、2016~2020年までに制作されたMV計67作品が収録されています。

この5年間とは、乃木坂46にとって対社会的な意味でも組織内の構成の意味でも、多大な変化を経験した期間でした。乃木坂46が初めて、「NHK紅白歌合戦」出場を果たしたのは2015年末、前作のMV集第1弾が発売されたおよそ1週間後のことです。

以降、昨年まで5年連続で同番組に出場、その間、2017年と2018年には2年連続で「日本レコード大賞」を受賞し、大型音楽番組やアワードの常連となっていきました。また、所属メンバーや元メンバーがモデルや女優など、個人としてそれぞれの道に活路を見いだしていったことも相まって、乃木坂46はポップアイコンとして大きな有名性を獲得するに至ります。

グループの現在形~未来形を示す

この期間はまた、グループ内にも大きな動きがもたらされました。特に象徴的なのは、センターポジションを務めるなど、乃木坂46の顔としての役割を果たしてきたメンバーたちが、相次いでグループから卒業していったことです。

今回のMV集には、深川麻衣さん、橋本奈々未さん、西野七瀬さん、白石麻衣さんらが在籍中、最後のシングル表題曲でセンターを務めた作品や、草創期から乃木坂46のシンボル的存在だった生駒里奈さんが最後に参加したMVなどが収録されています。

一方、それらの作品と前後するように、齋藤飛鳥さんや3期生の大園桃子さん、与田祐希さん、4期生の遠藤さくらさんが初めてシングル表題曲のセンターを経験し、グループ編成の現在形~未来形が示されてもいます。

社会的な立ち位置もグループとしてのありようも大きく変動していった2010年代後半の乃木坂46の軌跡が、このMV集にはパッケージされています。

このように、グループが変遷してきた記録としての意義も大きい今回のリリースですが、同時に、このMV集は乃木坂46というプロジェクトが「アイドル」という総合芸術の場に、どのようなクリエーティブを投じてきたのか、その一端を代表するものでもあります。

長期的企図としての女優輩出

乃木坂46はデビュー以降、膨大な映像作品を継続的に発表してきた組織です。シングルリリースのたびに数多く作られてきた「個人PV」と呼ばれるシリーズをはじめとする映像作品群は、映像作家たちにとって自由度の高い表現の場であり、また、メンバーたちが演者としてのキャリアを積むための場ともなってきました。

乃木坂46のメンバー、また、卒業した元メンバーは現在、しばしば、舞台や映画、ドラマで活躍していますが、女優を輩出することはグループ初期からの長期的な企図でした。MVに関していえば、乃木坂46がしばしば制作してきた、ほぼ全編をドラマで構成した作品からもそうした志向はうかがえます。

一例を示せば、今回のMV集に収録された作品のうち、2016年の「サヨナラの意味」はセンターを務める橋本奈々未さんの在籍中ラストシングルとして記憶されますが、このMVはまた、乃木坂46が制作してきたドラマ型作品の、同時点までの集大成といえる仕上がりになっています。

寓話(ぐうわ)的な設定のドラマが展開されるこのMVでは、感情の起伏によって、皮膚からとげを発する特質をもつ「棘人(しじん)」と、そのような性質を持たない人間とが共存する地域を舞台に、両者の間にある葛藤や不均衡なパワーバランス、そして、地域に伝わる伝統儀式を通じてつかの間、両者の関係性が変化するさまが描かれます。

すでに、演者としての説得力を強く持つメンバーたちや、細やかな文脈が施されたディテール、映像の美しさなどもさることながら、フィクションの内にクリエーターが込めるテーマも重要なポイントの一つです。

祝祭的な儀式の中で他者たちと心を通わせた主人公が、次の刹那には、その地を去ってゆく結末は、橋本さんの卒業ともシンクロした後味を残します。しかし、また、本作にみる異民族間のあつれき、両者が同じ共同体の中で生きてゆくことの困難といった描写は、より今日的な問題意識が宿されたものといえるでしょう。

乃木坂46にとっての「MV」

このMVを手がけた柳沢翔監督は後に、やはり乃木坂46がドラマを作る場として企画されたFOD「乃木坂シネマズ~STORY of 46~」(第1話「鳥,貴族」)において、齋藤飛鳥さん、栗原類さんを主演に、やはり異質な他者間の葛藤を主題にしたドラマの脚本・監督を務めますが、そこでは、公権力による排他的な施策や異なる民族・文化圏同士の接触がさらにやるせなく描かれ、MVの発展型かつ現実社会への問いかけとなる物語を紡いでいます。

こうした文脈を捉えるとき、MVが楽曲の世界観を拡張したり、PRしたりといった意義にとどまらない機能を果たしていることが見えてきます。所属するメンバーにとっては、演技者として、より広い活動へと接続するための場として、そこに集う作家たちにとっては、自らの問いを投じる場として、乃木坂46のMVという土壌は存在しています。

もとより、「アイドル」という表現形態は極めて複合的な要素を備えたジャンルとしてあります。シングルやアルバムリリースという定期的な主要活動は、楽曲自体と同等の価値を持つ、その他の多くの表現を呼び込むものでもあるといえるでしょう。その集積であるMV集は、アイドルがそもそも、いかなる形のエンターテインメントなのかを捉え直す契機ともなるはずです。

ライター 香月孝史

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