1. トップ
  2. <西野亮廣>ゴミ人間〜『えんとつ町のプペル』誕生の背景と込めた想い〜【短期集中連載/第1回】

<西野亮廣>ゴミ人間〜『えんとつ町のプペル』誕生の背景と込めた想い〜【短期集中連載/第1回】

  • 2020.8.24
  • 141 views
映画『えんとつ町のプペル』(12月25日[金]公開予定)に向けて同作誕生の背景とそこに込めた想いを語る短期集中連載がスタート
KADOKAWA

【写真を見る】映画『えんとつ町のプペル』キービジュアルをチェック

芸人、絵本作家ほか、ジャンルの垣根を飛び越えて活躍する西野亮廣。2016年に発表し45万部を超えるベストセラーとなっている絵本『えんとつ町のプペル』だが、実は映画化を前提として設計された一大プロジェクトだった。構想から約8年、今年12月の映画公開を目前に、制作の舞台裏と作品に込めた“想い”を語りつくします。第1回目は、当時、テレビタレントとして人気の絶頂をきわめていた西野亮廣が芸能活動から軸足を抜き、絵本作家へと向かった理由を明かします。

【写真を見る】映画『えんとつ町のプペル』キービジュアルをチェック
(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

はじまり

映画公開が決定した『えんとつ町のプペル』という物語は、こんな独白から始まります。

---

えんとつ町は煙突だらけ。

そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。

黒い煙でモックモク。

えんとつ町に住む人は、青い空を知りません。

輝く星を知りません。

---

見上げたところで黒い煙しかない町の人々は、見上げることをしません。皆、下を向いて暮らしています。

そんな中、煙突掃除屋の少年と、ゴミから生まれた「ゴミ人間」が、頭の上を覆う黒い煙の向こう側にあるかもしれない世界に想いを馳せます。少年の父が、「星」の存在をほのめかしたのがキッカケです。町の人々は、そんな二人を執拗に攻撃します。町の人々は、見上げる者を決して許しません。「星なんてあるハズがない。見上げるな」と。

「えんとつ町」は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会。ファンタジーなどではありません。それら全ては僕らの身の回りで実際に起きていることで、きっと今この瞬間も、どこかで殺されている夢があります。ご多分に漏れず、僕にも、日本中から何年間も攻撃され続けた時代がありました。『えんとつ町のプペル』を書くキッカケとなった時代です。

忘れもしません。フジテレビの『27時間テレビ』での出来事です。「ひな壇番組」の出演を断ったキングコング西野を、その現場にいないキングコング西野を、番組出演者をはじめ、番組スタッフ全員が、電波に乗せて「なじった」ことがありました。それは、「笑い」と呼ぶには、あまりにも陰湿な時間で、僕は、テレビの前でそれ観ていました。公共の電波でそんなことをやるもんですから、多くの国民が扇動され、いつからか僕は「皆が殴ってもいい人間」になりました。自分の意志に従って生きたら、このザマです。

やることなすこと否定され、ついには僕の仲間まで否定され始める始末。「西野は評判が悪いから、付き合わない方がいい」「西野と一緒に働いてるの? 見損なったわ」そんな言葉で責められ、言い返せずに、作り笑顔でやり過ごしたことを僕に告白し、悔し涙を流す仲間を、何度も見てきました。

日本中から殴られている僕から離れていった人もいます。仕方ない。まさか恨むものか。彼らの人生です。彼らにも守らなければいけないものがあります。いつか帰ってきた時に、全て笑い話にすればいい。今思うと、自分にそう言い聞かせていたような気もします。

KADOKAWAの担当者さんから、「『えんとつ町のプペル』の作り方と、日本中を巻き込んだ広告戦略について書いて欲しい」とお願いされた時に、最初によぎったのが、今、お話ししたことです。『えんとつ町のプペル』誕生の背景には、とても「方法論」だけでは語り尽くすことができない様々な出来事がありました。

ここで共有しておきたいことがあります。

この文章を手にとってくださった方の中には、現在進行形で、あの日の僕と同じような目に遭っている人がいるハズで、僕はその人に用があります。したがって、あの日の僕を襲った様々な出来事や、その時の僕の感情に触れずに語る「方法論」には何の意味もありません。広告戦略を語る以上、途中で具体的な方法論が出てきますが、くれぐれも、これは、強い人の為の文章ではありません。これは、今にも灯が消されてしまいそうな人に寄り添い、生き延び方を伝えることを目的とした文章です。そのことを共有した上で、本題に入りたいと思います。前置きが長くなってしまってごめんなさい。

映画『えんとつ町のプペル』(12月25日[金]公開予定)に向けて同作誕生の背景とそこに込めた想いを語る短期集中連載がスタート
KADOKAWA

時系列が前後しますが、話は僕が25歳の頃まで遡ります。20歳の頃に深夜番組としてスタートした『はねるのトびら』と共に僕は出世を続け、25歳になった頃、全国ネットのゴールデンタイムの看板を張るタレントになりました。『はねるのトびら』の視聴率は毎週20%を超えていて、他局でも冠番組をたくさんいただいていました。「願ったり叶ったり」という状況だったと思います。生活も良くなりましたし、日本中、どこへ行ってもチヤホヤされるようになりました。様々なモノが手に入ったのですが、しかし、「ただ認知されている」というだけで、あの頃の僕には時代を動かすだけの影響力が伴っていませんでした。

同世代の誰よりも速く山を登りました。しかし、その山の頂上から見えたのは、タモリさんや、たけしサンや、さんまサンといった偉大な先輩方の背中で、彼らのことを追い抜いていませんでしたし、このまま続けても追い抜く気配もありませんでした。絶望的な景色でしたが、この時、その後の人生を左右する大きな気づきを得ました。それは、「競争に参加した時点で負けが決定している」ということです。

先輩方の番組からお呼ばれされる度に「爪痕を残す」と意気込んでいましたが、番組で結果を出せば出すほど、番組が続き、先輩の寿命が伸びます。良いソフトを開発すればするほど、ハードにポイントが入ります。結果を出せば多くの人が喜んでくれるので、ここはついつい見落としてしまいます。大切なのは、「どこで結果を出すか?」を問い続けることで、「一番」を目指すのならば、競争に参加するのではなく、競争を作る側(ハード)にならなければなりません。そう思い、テレビの世界から足を洗うことに決めました。

相方や、仲間たちは、「なんで、こんなに仕事が上手くいっているのに、辞めるんだ」と言いましたが、「上手くいっているのに、この程度の結果しか出ていないから辞める。一番を目指すのであれば、僕らは結果の出し方を根本的に間違っている」と返しました。もちろん、当時は誰からも理解されなかったです(笑)。

次に始める仕事のアテはありませんでしたが、一つ確かなことは、「このままココにいても、エンタメで世界を獲れない」ということ。その人生には用は無いので、仲間と何度も話し合い、テレビの仕事を畳む方向で話をまとめました。

昔から僕は、「目的を達成する為に何をするべきか?」を考えるのではなく、「何をしたら確実に目的が達成できないか?」をリストアップするようにしています。「報われる努力」に巡り会えるかどうかは「運」が絡んでくるので、コントロールすることができませんが、「報われない努力」を排除することには「運」が絡んでこないので、コントロール可能です。ある問題に直面したとき、「自分がコントロールできないコト」と、「自分がコントロールできるコト」を明らかにしておくと、無駄な迷いが消えるのでオススメです。

話を戻します。テレビの世界から足を洗うこと決めた直後から、他所の番組にゲストとして出演し、「新しいレギュラー番組を取りに行く仕事」をしなくてよくなったので、時間が生まれました。

それから2週間ほどでしょうか。いろんな人の話を聞きたくて、毎晩飲み歩きました。そんなある日。タモリさんから「今夜、空いてるか?」と連絡がありました。

タモリさんとは『笑っていいとも』で御一緒させていただき、随分と可愛がっていただきました。二人ともお酒が好きで、仕事終わりに待ち合わせては、遅くまで本当によく呑んだものです。家に帰るのが面倒になった日は、そのままタモリさんの家に泊まらせてもらい、オーディオルームでまた呑んで、翌朝は奥さんと三人で朝ご飯を食べました。朝、家から一緒に『笑っていいとも』に行ったこともありました。今思うと、とんでもない話です。タモリさんからは、音楽の聴き方と、お酒の呑み方を教えていただきました。楽しかったな。

呼び出されたのは銀座の地下にある薄暗いBAR。いつもフザけているタモリさんですが、その夜は違いました。話がありそうな雰囲気が漂っていたので、グラスを一杯だけ空けて、「何かありましたか?」と切り出しみたところ、タモリさんは一切の寄り道をせず、僕に言いました。

「お前は絵を描け」

想いが邪魔をするので、僕は僕のことを正確に評価することができません。一方、他人は、概ね僕を能力どおりに評価を下してくれます。それがタモリさんからの評価ならば、疑う余地はありません。タモリさんが、こうしてわざわざ時間を作ってくださったことが全てで、言葉の真意を聞くほど野暮なことはありません。「わかりました」とだけ答えて、あとは、また、いつもみたくオッパイの話などでフザけながら、遅くまで呑みました。僕が絵本作家になった夜の話です。

映画『えんとつ町のプペル』(12月25日[金]公開予定)に向けて同作誕生の背景とそこに込めた想いを語る短期集中連載がスタート
KADOKAWA

翌朝から、さっそく絵本制作をスタートさせました。とはいえ、これまで「絵」なんてまともに描いたことがありません。この時、僕の中で「信じていたこと」と「決めていたこと」がそれぞれ一つずつありました。

信じていたことは、「タモリさんが始めさせたのだから、僕は絵を描けるようになる」ということ。決めていたことは、「絵本作家に用意されている競争に参加しない」ということ。用意された競争に参加した時点で負けが決定してしまいます。今度こそ、世界一を狙いに行きます。

僕は「今この時点で世界中の絵本作家さんに勝っているポイント」を割り出して、そこを軸足にして、絵本制作を進めることに決めました。ところが、さすが素人です。画力も負けていますし、出版のノウハウも、コネもツテも無い。当然ですが、プロの絵本作家さんには負けているところだらけです。しかし、一つだけ。素人の僕がプロの絵本作家さんに勝っているポイントがありました。それは、「時間」です。

「時間」というのは、「一つの作品を仕上げるまでにかけられる時間」のことです。絵を描くことを生業としている人は、コンスタントに、短い時間で作品を仕上げ続けなければいけません。「作品の売り上げ」で生計を立てているからです。

他方、ありがたいことに、その頃の僕には、まだテレビのレギュラー番組が残っていました(※レギュラー番組って、すぐには終わらせられないんです)。僕はテレビの収入で、どうにか食いつないでいくことができるので、「作品の売り上げ」がなくても生きていくことができます。一つの作品の制作に極端な時間をかけることが可能です。

これが、その時に見つけた「専業家」と「複業家」の最大の違いでした。「専業家」には時間の自由がなく、「複業家」には時間の自由があります。場合によっては、複業家は、一つの作品を仕上げるまでに10年かけることだって可能です。僕は、この場所で花を咲かせることに決めました。

すぐに文房具屋に走り、最もペン先が細いボールペン(0.03ミリ)を購入しました。通常、絵本のストーリーは、20ページほどで完結しますが、僕が描く絵本のストーリーは、その倍。40ページ…場合によっては、80ページに及びます。

つまり、「完成させるまでに数年間かかってしまう絵本」を選んだわけです。その絵本は、プロの絵本作家さん(専業家)には作ることができません。「才能」や「センス」の問題ではなく、物理的な問題です。プロの絵本作家さんには、「収入が数年間止まってしまってしまう絵本」に手を出すことはできないのです。

そこで結果を出せるかどうかはまた別の話ですが、そこで結果を出すことができれば、今度は簡単には負けません。誰にでも才能の種はあって、大切なのは「その種をどこに植えるか?」

その場所を教えてくれるのが「努力」の役割で、これ以上できないほどの努力をした結果、絶望を見て、僕は絵本の世界に転がり込みました。20歳で始めた芸能活動で、努力しきっていなければ、きっと僕は絶望を見ることもなく、あのままテレビの世界に残っていたと思います。それはそれで、どんな人生だったのかな。(※第2回は8月31日[月]更新予定)(ザテレビジョン)

元記事で読む