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医者が警鐘!感染拡大を招きかねない、間違いだらけの「コロナ第2波対策」とは

  • 2020.7.28
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コロナ対策のためにしている行動が、実は逆の結果を招くものだったら──。医師の木村知先生は「感染者差別につながる対策は危険」と警鐘を鳴らします。マスク警察からコロナ関連法まで、感染者数が増加する今、第2波に向けて注意したいさまざまな行動に潜む勘違いを教えてもらいました。

夏にマスクを着用した若いアジアの女性
※写真はイメージです(写真=iStock.com/itakayuki)
人目を気にしてのマスク着用に疑問

新型コロナウイルスの収束が見えない中、感染対策の面でもさまざまな問題が起きています。例えば、対策の一環として推奨されているマスクの着用、この遵守に律儀になりすぎるあまり、どんな場面でも着けていなければいけないと考えている人が少なくないように思います。

確かに、密閉・密集・密接のいずれかが該当するような場面ではマスクが必要です。しかし、人との距離が十分にとれている屋外空間で、黙々と歩くような場合には必須とは思えません。例えばこれからの暑い時期、我慢して外さずにいると熱中症や心肺機能への負担など、特に高齢者や基礎疾患のある人には命の危険すらあります。

なぜ、不要な場面でもマスクを着けようとするのでしょうか。しっかり感染対策をしたいからだとすれば、そもそも人の多い場所へは行かない、満員電車には乗らないなど、感染リスクを高める行動を自ら制限するはずです。

そこについてはそれほど気にせず神経質に制限しているわけではないけれど、マスク着用だけは絶対に守る──。こうした矛盾した行動の根本には「皆が着けているから」「人の目が怖いから」という思いがあるからではないでしょうか。マスクを着けていない人を声高に非難する「マスク警察」なる人もいると聞けば、なおさら怖くなってしまうことでしょう。

何も対策していないと見なされるのが嫌で、もっとも目に見えやすいマスク着用だけをことさら実践する。中には“鼻出しマスク”や“顎マスク”といったように、マスクを顔に着けていることだけをアピールしているような人さえ見かけます。これでは、せっかくのマスクも感染を防ぐものではなく、“やっている感”を演出するためのただの小道具にしか見えません。

感染の自己責任論は非常に危険

最近一部の職場では、感染した人が責められたり、職場に居づらくなる扱いを受けたり、ひどい場合には解雇されたりするケースがあると聞きますが、これらは真の感染対策とはほど遠い行動で、医師として強い危機感を覚えます。

確かに新型ウイルスということで、不安や恐怖が多くの人の気持ちの中にあるのは当然です。正直、毎日のように熱発者や「カゼ症状」の患者さんを診察している私も、自分が感染して重症化したらと考えると心配になることもあります。

しかし、だからといって、感染を悪と位置づけたり、感染したのはその人の行いが不適切だったからだと非難したり、感染者を社会から排除しようとしたり、感染は自己責任という風潮が蔓延していくことは非常に危険です。

病気を理由にした差別は、感染拡大を助長する可能性さえあるのです。

職場で責められる、解雇されるということになれば、具合が悪くてもそれを隠そうとする人が増えるでしょう。症状があるのに隠して無理して出社すれば、それだけ感染も広がります。

体調が悪ければ遠慮なく休める会社へ

逆に「カゼ症状があるならコロナかどうか病院に行って診断してもらってから出勤しろ」と上司が部下に命じることも、決してしてはいけません。仮に検査を行って陰性という結果が出ても、それは「コロナではない」という意味では絶対にないからです。具合の悪い従業員には「病院に行ってコロナでなければ出勤しろ」でなく、検査の有無、検査結果にかかわらず「休みなさい」と言ってあげねばなりません。

今さら言うまでもないことですが「陰性証明書をもらってこい」などと命じるのも論外中の論外です。絶対に行ってはなりません。

企業が感染対策として行うべきことは、従業員に非感染の証明を求めることではなく、風邪であれ新型コロナウイルス感染症であれ、体調が悪ければ気軽に申告できる、そして遠慮なく休める環境を一刻も早く構築することなのです。そのためには、コロナか否かの検査結果によらない有給病気休暇や休業補償の整備は必須であると言えるでしょう。

検査拒否の罰則強化は感染拡大を招く

感染の不安なく、誰もが安心して暮らせる時はやって来るのでしょうか。

特効薬もワクチンも存在しない今、国民の不安を払拭して経済活動を回すためには「国民全員にPCR検査を実施し、陽性者を徹底的に洗い出して隔離することで、陰性者だけで安心して経済活動できるようすべき」という声が上がっています。

検査体制の充実と重症者に限定しない検査対象者の拡大は当然のことながら喫緊ですが、この国民全員検査によって安心を得て経済を回そうという案は、残念ながら「机上の空論」であると言わざるを得ません。拙著にも書きましたが、いかなる検査をもってしても「感染していないこと」を証明することは不可能だからです。カミュの「ペスト」の時代から21世紀の現在に至ってもなお、これだけは変わることのない厳然たる事実です。

いつどこでどのタイミングで感染するのかは誰にも分からないのですから、検査を行った昨日の時点では陰性であったとしても、今日は陽性ということが起こり得ます。つまり安心のために検査するというなら、国民全員に毎日、しかもその全員を移動させないように厳重管理した上で全国同時いっせいに行わないと意味がありません。現実的に考えてそんなことは不可能です。

また、検査を受けない人が一人でも出れば、この「国家的事業」は台無しになってしまいますから、検査を強制的に受けさせるためのなんらかの罰則付き法的拘束力も必要となります。しかし、そうなればもはや恐怖政治です。

「まさかそんな恐ろしいことなんかあり得ない」と思われるかもしれませんが、現在、国はコロナ関連法の一括改正を検討しており、休業や検疫の要請拒否に対して罰則を設ける案も出ています。これは非常に危険です。こんなことをすれば、感染者を犯罪者扱いする風潮を加速しかねず、それに伴って症状を隠す人が増え、逆効果にさえなるでしょう。

陽性者の隔離には人権や生活補償の問題も関わってきます。仮に補償なしの隔離となれば、症状があっても検査を拒否する人も当然ながら出てくるでしょう。しかし、そういった人を犯罪者扱いして責めることなどできるでしょうか。

新型コロナウイルス感染症は誰もがかかる可能性があり、明日は我が身です。感染対策については、もし自分が感染したらどうしたいか、どうしてほしいか、どうされたくないか、といった想像力をつねに働かせながら議論するべきだと思います。

「人の目」ばかり気にした対策になっていないか

この感染症に対してはいまだワクチンも治療薬もなく、とれる手立ては決して多くありません。罰則強化や徹底隔離という発想に陥ってしまうのは、それぐらいしかできることがないからだとも考えられます。

もちろん無症状の人が感染源になっている可能性もあるでしょう。しかしそうであっても、決して不要な隔離をすることなく、努めて抑制的であるべきです。感染者の人権についてはつねに最大限の配慮を怠らないこと。それは過去に私たちが大きな過ちを犯してしまったハンセン病隔離政策の反省です。

そして隔離を余儀なくされた人に対しては、所得補償は当然のこと、職場で不利な扱いを受けることが絶対にないよう、それこそ法的な保護が担保される必要があります。

感染の可能性がある人を犯罪者のように取り締まる施策は、その人に恐怖やプレッシャーを与え、その上さらに生活も保障されないとなれば、その人たちは不安から水面下に潜ってしまうかもしれないのです。そうなってしまっては元も子もありません。

マスク警察にも、陰性証明検査にも、感染者を責める言葉にも、医学的エビデンスは一切存在しません。これらはすべて「人の目」に対する恐怖と同調圧力、そして他者に対する不寛容の心がもたらしているものです。

自分の行動は本当に感染対策になっているのか。人の目を気にして、実践しやすいことだけを“中途半端にやり過ぎ”てはいないか。「周りの人がやっているから、よくわからないけど自分も」という思考停止に陥っていないか。苦しんでいる人を傷つけてしまってはいないか……。つねに自問自答し見直していくことが大切です。皆さんには、ぜひそうした姿勢で対策に取り組んでいただけたらと思います。

構成=辻村洋子 写真=iStock.com

木村 知(きむら・とも)
医師
医学博士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。1968年、カナダ生まれ。2004年まで外科医として大学病院等に勤務後、大学組織を離れ、総合診療、在宅医療に従事。診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している。ウェブマガジンfoomiiで「ツイートDr.きむらともの時事放言」を連載中。

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