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勉強より大切? 「好きなこと」を仕事にした成功者エピソード2選

  • 2015.4.28
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【ママからのご相談】

40代、小6の男の子がいます。生まれつき病弱だった息子には私も夫もとにかく丈夫に育ってほしかったため、勉強に関してはうるさくは言わず、塾にも行かせてません。 それでも学校の成績はまずまずですが、塾で点数の取り方を習っているお子さんたちよりは見劣りします。運動は苦手ですが、4歳から続けているピアノ(ポピュラー)はかなりの腕前ですし、造形などの美術的なセンスも、親バカではありますが、あるように思います。しかし、“弁護士”とか“薬剤師”とか、現実的な進路目標を話すよそのお子さんたちと比べると、「芸術関係に進みたい」と公言する息子は、子どもっぽく映ります。“好きこそものの上手なれ”という基準だけで子どもの進路を考えていいものでしょうか。

●A. まだ小学生。いろんな勉強をした上で“好きなこと”が変わらなければ、本物です。

こんにちは。エッセイストでソーシャルヘルス・コラムニストの鈴木かつよしです。ご相談ありがとうございます。

息子さんはまだ小学生ですから、ご相談者さまの今のお悩みは、そこまで深く考えるべき性質のものではないかと思います。別に塾になんか通っていなくても、音楽や造形美術(ナノ・タイプのブロックでスゴい建物を造っちゃうとか?)などの芸術的分野でキラリと光る才能を発揮しているなら素晴らしいことであり、あとは学校の勉強が普通にできていれば今は十分ではないかと思います。

そのうえで好きなことがずっと変わらないというか、ますます好きになっていくようでしたら、それは“本物”です。好きな気持ちが本物だと、“好きこそものの上手なれ”という言葉も現実味を帯びてくるものです。ここでは“好きこそものの上手なれ”を地で行った人たちの例を、精神科医の意見も参考にしながら紹介させていただきます。

●自らを、「落ちこぼれ」と呼び、好きで続けた音楽が“居場所”をくれたと言う、音楽プロデューサー松任谷正隆さんの例

私が卒業した中学・高校の先輩で、シンガーソングライターの松任谷(旧姓・荒井)由実さんの旦那さんとしても知られる音楽プロデューサーの松任谷正隆(まつとうや まさたか)さんという人がいます。卒業年度が8年も違いますので直接の面識はありませんが、高校の同窓生向けの『JK』という季刊誌で次のような趣旨の発言をなさっているので紹介させていただきます。

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『(中学・高校と)ずっと落ちこぼれで、暗黒時代でした。成績は常にビリから2番目くらいで落第すれすれ。勉強はできない、女の子からはモテない、何もかもダメでした』

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それでも松任谷さんに道を示してくれたのは、好きで続けてきた音楽だったといいます。

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『落ちこぼれていた学生時代、(4歳からピアノを始め)好きで続けていた音楽が自分に居場所を与えてくれました』

『学校外のサークルのバンドでピアノを弾いているうちに、大学2年のときにバックでピアノを弾いてくれないかと誘われたのが、プロへのきっかけでした』

『音楽がなかったら今頃何をやっていたんだろう。詐欺師にでもなってたんじゃないかな』

(出典:『JK』2015年春号=非売品)

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『松任谷さんのように経済的にも身分的にも恵まれた家柄の人なら、別に学校の成績なんか悪くたって人生どうにでもなるだろう、と言うかたもあろうかと思いますが、それは違います。“居場所がない”という疎外感は、人間の精神の健康上に決定的なダメージを与え、鬱状態を引き起こし、場合によっては自殺などにもつながりかねない非常に危険な精神状態なのです』(50代女性/都内メンタルクリニック院長・精神科医師)

●ただただ“虫”が好きで、“昆虫館”の経営者になった旧友Hくんの例

次にご紹介させていただくのは、私の小学校時代の同級生で、幼なじみのHくんのことです。Hくんは背がひょろりと高く優しくて大人しい男の子でしたが、勉強でもスポーツでもこれといって特に目立つところのない人でした。

けれど、1つだけ他の友達にはないものがあって、それは、“昆虫図鑑の絵や写真を、昆虫の名前の部分を隠して見せると、100%正確に、その昆虫の名前を言い当てることができる”という、とんでもない特技だったのです。

ついこの間、そのHくんと机を並べていた小学校のクラスの同級会があって実に43年ぶりに再会したのですが、Hくんは都内にある歴史の長い遊園地の中で、日本を代表する昆虫学者である矢島稔先生が1957年に創設した、“昆虫生態館”を、その後遊園地が経営危機に陥り昆虫生態館を廃止しようかというときに、「自分がやります」と名乗り出て受け継ぎ、テナントとして運営する今の“昆虫館”の経営者になっていたのでした。

もちろん、Hくん自身の人生もいろいろあったということです。大人になってからしばらくは家業の商売に携わったけれど時代の流れで畳むことになり、そんなときに、子どものころから大好きで何度も何度も100円玉を握りしめて通っていた昆虫生態館までが廃止になると聞いたとき、「そんな寂しいことは耐えられない」と、気がついたら、「自分がやります」という連絡を遊園地の運営会社に入れていたということでした。

多摩動物公園昆虫園とも交流があり、日本の昆虫飼育展示施設としてはオオクワガタの繁殖にはじめて成功したといわれるHくんの昆虫館は、ひとえに“好きこそものの上手なれ”の体現だと言うことができるでしょう。

●人生は、わからないもの。暗闇の中で“好きなこと”が灯りをくれる場合があります

松任谷さんにしてもHくんにしても、音楽や昆虫がなかったら一体どうなっていたのでしょうか。どうにかなっていたかもしれませんが、投げやりな人生を送っていたおそれも大いにあります。

『こうして考えると、小学生のときから、「弁護士になるんだ」「薬剤師になるんだ」と言っているような早熟な子どもさんたちも素晴らしいですが、松任谷さんやHくんのような人生も、何だかとてもステキだなと思うのです。もちろん、“好きこそものの上手なれ”だけで将来の進路決定をしてしまうことには大いにリスクもありますから、そこはママやパパも一緒に常日頃からよく話をして考える方がベターかとは思います。でも、いろいろあったあげくに最後にたどり着くところは、結局“好きなこと”なのかもしれません』(50代女性/前出・精神科医師)

終わりに私見を述べることをお許しいただけるなら、“好きなこと”を仕事にすると、成功する確率が高いばかりでなく、“失敗する確率が低い”ような印象を、少なくとも私は受けています。このことを、ご相談者さまのご相談への1つの“結論”として、結ばせていただこうかと思います。

●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)

慶大在学中の1982年に雑誌『朝日ジャーナル』に書き下ろした、エッセイ『卒業』でデビュー。政府系政策銀行勤務、医療福祉大学職員、健康食品販売会社経営を経て、2011年頃よりエッセイ執筆を活動の中心に据える。WHO憲章によれば、「健康」は単に病気が存在しないことではなく、完全な肉体的・精神的・社会的福祉の状態であると定義されています。そういった「真に健康な」状態をいかにして保ちながら働き、生活していくかを自身の人生経験を踏まえながらお話ししてまいります。2014年1月『親父へ』で、「つたえたい心の手紙」エッセイ賞受賞。

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