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恋人とキレイに別れるために

  • 2020.6.26
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2年半付き合った恋人との別れ。かつては「感情的な喧嘩別れを繰り返していた」というマドカ・ジャスミンさんが、いま過去を振り返って思うこととは。

「何だかんだ言いつつ、『スカイウォーカーの夜明け』もよかったわ」

「わかる。次の三部作はギャレス監督に撮ってほしい」

「たしかに全部観返しても、やっぱり『ローグ・ワン』が最高傑作だったからね」

「タトゥイーン(『スター・ウォーズ』に登場する架空の砂漠の惑星)のロケ地に行ってブルーミルクを飲んでるぐらいのスター・ウォーズオタクだもの」

真っ暗な部屋の中では、テレビの画面はよりはっきりと映し出される。あまりにも有名すぎる曲に乗せて流れるエンドロールを前に、私と彼は早くも口を開いていた。映画館であればご法度中のご法度だ。

彼、と表現したが、正確には元彼。私たちの関係に“元”がついたのは、今年3月の半ば。既に3カ月近くの時間が経っている事実が恐ろしい。

■“恋愛”ではなく“腐れ縁”になっていった

交際開始と同時に、半ば私が転がり込む形で始まった同棲生活も早2年と半年。本来ならば、別居の段取りや新居を決めてから別れ、同棲を解消するのだろうが、そこは私があまりにも無鉄砲すぎた。同棲が同居に言葉を変えただけで、同じ屋根の下での生活は続いている。

後に彼から「あのときの君からはフォースを感じた」と言われたぐらい、私は確固たる意志を持って別れを告げた。その日はやけに暖かく、穏やかなそよ風が頬を撫でていた記憶がある。

今は特に社会全体がそうだが、その日の私も先行きなんてわからなかった。わからなかったが、彼と交際をこれ以上続けたところで、恋愛ではなく“腐れ縁”のような関係になってしまう。それだけはなぜかよくわかった。

■恋愛において、「No」は「Yes」にはならない

私の強きフォースを感じた彼。別れを告げたその場では言葉少なに了承をしてくれたが、もちろんすんなり納得……というわけにはいかなかったらしい。ただ、それを伝えられても、私の意志が折れるわけもない。説得しようとする彼とそれを打ち砕く私。その堂々巡りはお互いの精神を摩耗させ、彼が爆発し、私も爆発する……なんてことが別れてからの短い期間で何度かあった。

彼はともかく、私はキラキラとした甘い感情をもはや一切抱いておらず(というか、だから別れた)、脳内に慈悲や同情の言葉は一切なかった。これは別れたからこその気づきだけど、交際中はいくらネガティブな言い合いをしようが、心のどこかには必ず相手への愛情や淡い期待があった。

「こんなことを言っても(言われても)好きだから」
「私の言いたいことを理解してくれるだろう」
「自分のすべてを受け入れてくれる相手だからここまで言っても平気」

だがしかし、別れを決めた後はそんな感情は消え去っているため、はっきり言って「面倒くさい」に尽きてしまう。

彼が関係性の改善という期待を投げてこようが、まるでバットをフルスイングするかのように期待を打ち返し続ける私。打ち返し続けたところで実績にならなければ、人はその行為にいらだちを募らせ、行為の元凶と定めた相手に場外プレーを仕掛けるものだ。さも、バリバリ現役時代の星野監督のようなヒートアップ。

私自身、(元)彼と同じ立場を経験したことがある。だからこそ、思う。恋愛において、はっきりと「No」を叩きつけてきた相手に何を与えようとしても、何を言おうとも、「Yes」を引き出せる可能性は残念ながらほぼないに等しいのだ。

■恋愛にも、合理的判断が必要

これまでの私は、別れ話の際に感情的になり、喧嘩別れをすることが多かった。汚い表現で相手を罵り、自分がいかに苦しいか、つらいのか、悲しいのかを叫び倒す。今振り返ると、そんな自分にあきれてしまう。どれだけ別れ方が下手くそだったのか。

感情的になるとエゴのぶつけ合いになってしまい、建設的な話し合いができない。それに、一方に嫌な感情があるままの離別は尾を引く。恋愛をはじめとした人間関係の上でも、感情に流されない合理的判断は必要不可欠だ。関係を続けることにメリットがなければ、しかるべきタイミングで関係を断ち切るという“リスクヘッジ”が必要なのである。

もちろん「感情に流されない」というのは簡単ではないが、別れに踏み切らなければ延々と同じ状況が続くのだ。「時間が経てば、また話し合えばいい方向に変わるかもしれない」というのは、幻想だ。そう考えると、身震いさえ起こる。思い切って自分で決断しない限り、“変わらない”のループは止まらない。

今回、彼との別れ。そして今なお続く同居生活を通し、過去の自分の行いを思い返し、自戒を繰り返している。自分の心が大きく乱れそうになるたびに瞑想をすることも習得した。

近しい人は自分を映す鏡、とも言われるように、この同居生活こそが私を映す大きな鏡ともいえる。そう、私は今の彼の姿に、いつかの私を見ているのだ。

「君と付き合ってなかったら、『スター・ウォーズ』を全作観ようだなんて思わなかったよ。それが一番の収穫かな」

「私と付き合っていなくても、フォースに導かれてたんじゃない」

「そうかもね。……いや、どうなんだろう」

どうなのか。そんなことはわからない。
わからないのではなくて、わかろうとしていない。

わかろうとしないまま近づき、離れ、学び、そうして人生を歩んでいく。

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