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「回り道したから、今がある」就職氷河期世代のキャリアストーリー

  • 2020.5.22
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人生は山あり谷あり--生きていると人は時に、予想もしなかった困難に直面することがあります。先の見えない不安や、大きな壁にぶつかっても、自分を見失わずに生きていくために必要なこととは…?

日本には、1990年代初頭から2005年頃にかけて、バブル崩壊による景気の低迷で、多くの若者たちが職を得られなかった時代がありました。その頃に社会に出た世代を、世間では“就職氷河期世代(ロスジェネ世代)”と呼んでいます。

今回は、そんな時代に社会人となり、回り道をしながらも、自分らしい生き方を見出した女性たちに話を伺いました。

どんな時でも歩き続けていれば、自ずと答えは見えてくる…彼女たちのキャリアストーリーからは、そんな希望のメッセージが伝わってきます。

RIKAさん(仮名・39歳/大学職員)
私のキャリアストーリー

学生時代、ぼんやりとインテリアの仕事をしたいとは思いつつも、どう動いていいか分からないまま推薦で入れる大学に進み、就職活動に突入しました。インテリア・内装・建築関係を受けていましたが、周りは大学で建築系を学んだ人ばかりで、私に勝ち目はない…と鬱々としていました。

そんな折、恩師に偶然再会し、彼のつてで寝装品メーカーに就職することができました。氷河期で周りの学生たちが苦労している中、百貨店などの寝具売場に構成提案ができるという、自身の希望にも叶った仕事に採用され、その時はとても嬉しかったです。

感謝しながら入社しましたが、待っていたのは先輩たちから嫌がらせをされる毎日でした。靴を隠されたり、大事な書類を隠されたり…。同期は続々と辞めていきました。せっかく紹介して頂いた仕事ではありましたが、私も長くは勤められないと思い、1年頑張ってお金を貯め、2年目にはインテリア系の夜間の専門学校に通い、インテリアコーディネーターの資格を取得して退職しました。

その後キッチンメーカーのショールームに転職し、お客様に図面の提案を行う仕事に就きました。2次元だった設計図が3次元になって目の前に現れる瞬間はいつも感動的でした。仕事にもとてもやりがいを感じ、一生続けたい! と思っていたのですが、終電で帰れれば早上がりという、とにかくハードな仕事だったんです。この時期に結婚の話が出たのですが、平均帰宅時間が深夜3時の生活で、手取りは20万円以下…これでは家庭との両立はできないと思い退職しました。

結婚後は9:00~17:00の仕事をしようと、自宅近くの人材系企業に転職しました。在職中に第1子を出産し、育休取得後に復帰したのですが、その直後に乳癌が発覚。幸いにも初期だったため、手術をした後、放射線治療や投薬治療を続けながら育児と仕事を切り盛りしました。

勤続10年目を迎えようとする頃、次は下腹部に違和感が生じました。ストレスかな? と思っていたのですが、一向に改善しないため病院に行くと、第2子を妊娠していました。乳癌の手術後、生理を止める薬を飲んでいたのですが、そんな状況の中でも無事に育ち、元気に産まれてきてくれた第2子にはとても感謝しています。この時にも育休を取ったのですが、預けられる保育所が見つからず、やむなく退職しました。

現在は子供の預け先も見つかり、某大学で学生支援を行っています。新卒時の私のような、悩みながらも前へ進もうとする学生さんたちを、陰ながらサポートしたいと思いながら勤務しています。

私が学んだ、人生で大切なこと

自分を俯瞰して見ることは、とても大切だと思います。20代の頃は自分の体を犠牲にして、がむしゃらに頑張っていました。エンジンから白い煙が出ているのに気づかず走り続け、さらにアクセルを踏み込んでいたのです。

健康のありがたみを知り、自分を俯瞰して見ることを覚えた今は、負担がかかり過ぎた時はペースを落とすこと、望まない方向に向かっているなら、しっかりハンドルを握って意識的に元の方向に戻すことが大切だと感じています。

人生は思わぬ泥道にはまることもありますが、「私は今ぬかるみにいる」と自覚できると、周りにSOSが出せるようになります。そしてSOSを出すと、助けてくれる人は必ず現れます! これからも、嵐の日はまたやってくるかもしれません。それでも私はハンドルをしっかり握って、人生という名のドライブを楽しみたいと思っています。

YUKOさん(39歳・仮名/会社員)
私のキャリアストーリー

幼い頃に見たバブル期の記憶がまだ少し残っていた私は、社会人になる年齢を迎えてもどこか呑気な気分が抜けず、「働きたくない…」と考えていました(笑)。

短大を卒業後、絵が好きだったのでグラフィックデザインの専門学校に入りましたが、これを本業にするのは難しい…と肌で感じ、結局卒業後は就職活動もせず、バイトをしながら日々を過ごしていました。そんな生活が半年ほど続いたある日、突如“社会から外れてしまった自分”という現実に対するストレスが、一気に押し寄せてきたんです!

とにかく会社勤めをしようと一念発起し、派遣会社に登録。地元の機器メーカーにデザイナーとして派遣されました。正直、会社の製品には興味がありませんでしたが、どうせなら楽しく働きたいと思い、自分の目標を「バリバリのキャリアウーマンになる」と「いつでも転職できる人材になる」の2つに設定しました。当時はまだ会社も歴史が浅く、ベンチャー的な雰囲気があり、やる気があれば何でもやらせてもらえる環境だったので、デザインの仕事と並行して自ら商品企画の仕事に着手し始めました。

2年ほど働いた頃、正社員へのお誘いがあり、「将来転職に有利になる」と思ったので快諾しました。会社の業績はかねがね好調で、その後あっという間に大手企業になりました。

地元の男性と、結婚もしました。日々は順調でしたが、一方で、同じ仕事に飽き始めている自分もいました。そこで、新しいプロジェクトを引き受けた際、これまで触れたことのなかったプロモーション企画にも手を出してみたところ、これがすごく面白かったんです! この仕事をもっと極めたいと思うようになりました。

プロモーション業務の取引先は東京に集中していたので、出張で地元から東京へと行き来する生活に不便さを感じ、「東京に拠点を置いて仕事がしたい!」と離婚を決意。元夫も離婚に応じてくれて、無事転勤の希望も通り、現在は東京でプロデューサーとして働きつつ、部下の育成も行っています。

私が学んだ、人生で大切なこと

就職氷河期と言われる中、派遣から正社員になれた私はラッキーだったと思います。そして今、新卒者の内定取り消しなどがニュースになっていますが、新卒で正社員になることだけが人生じゃありません。大事なのは、置かれた場所で何をするかです。

私はとにかく、目の前にあることを何でもやってみました。その際、意思決定はすべて「自分」を軸にして動きました。仕事の方法に正解はありません。必要な情報、人材を自分で収集し、自分でつかみ取ったこと、感じたことが結局自分を一番助けてくれると思います。

また、今の時代、大切なのは「社内で評価される人間になること」ではなく、「どこに行っても通用する人材になること」だと思います。そのためには、“これ”と決めつけず、やってみた方が良さそうなことは何でもやってみてください。日々そういった経験値を積み重ねていけば、自分の市場価値も上がっていくと思います。

私自身、仕事は安定していますが、この先も同じ会社に身を置き続けるのか、新しい世界に飛び込んでいくのか、まだ分かりません。39歳になった今も、どうすればこの先数十年の社会人人生を楽しく過ごせるのか、模索しているところです。

ATSUKOさん(仮名・47歳/会社員)
私のキャリアストーリー

東京で一人暮らしなのに随分お気楽な…と思われるかもしれませんが、私の卒業後のキャリアは美術関係の会社の非正規からスタートしました。すでに不景気の足音が聞こえていた時代。でも仕事は面白く、同僚も素敵な人ばかり。非正規でも「なんとかなる」という楽観的な空気が漂っていました。

ところが、会社は負債を残して倒産。最後のお給料も出ないまま失業しました。まだ東京でやりたいことがあった私は、出版社のデザイン部門のパートタイムに申し込みました。後から知ったのですが、東大生なども同じポストに申し込んでいて、倍率は50倍だったそうです。お腹に重たいものを感じました。

数年非正規を転々とした後、実家に戻り地元の会社に再就職しました。しかし、かつて希望で溢れていた地元の友人たちは結婚相手を探すのに忙しく、また、優秀で人気者だった男の子が鬱で引きこもっていることを知りました。おしゃれでカッコ良くて憧れていた同級生と、自分の個展を終えた帰り道にばったり会ったこともありました。私は嬉しくて自分の作品のことや、英国で学ぶことを目指して勉強していることなどをベラベラと話し、彼女の電話番号を聞こうとしましたが、彼女は「また今度」とだけ言って、踵を返し去って行きました。

その後、思いのほか早く英国での研修支援制度を受けられることになり、渡英。正直英国の大学院は設備も古く粗末で、日本の美大の高度な設備と比べると天と地の差でした。でもそこには自由な発想や議論があり、そして歳を取ってもアクティブな同級生がいました。縁があって私は今も英国にいます。希望していた美術の世界ではありませんが、ライターや教員、チャリティワークを経て今は会社員として現地企業で働いています。そして今も細々と、夢に向かってできる範囲で動いています。

氷河期世代の一番の悲哀は、人生のスタートが明るく希望に満ちすぎていたことかもしれません。80年代は、日本が豊かさを享受した時代。子供の数も多く、あちこちで遊ぶ声が溢れていました。その分受験戦争も激しく競争倍率も高い時代でしたが、仲間も多かった。

そんな仲間たちの夢が、いつか報われる時が来ると信じていましたが、現状その気配はなく、多くの夢が叶わないままになってしまっているように感じます。

でも私は今でも思います。これで本当に終わりなのかな? 氷河期世代にも、次のフェーズが来るかもしれないじゃないか、と。

私が学んだ、人生で大切なこと

「待つ」と「待たない」を上手に使い分けることだと思います。私の場合、仕事に関しては10年待っても大きなチャンスがなく、「もうさすがに無理だろう」と思っていたころにポンっと仕事が舞い込みました。語学でもITスキルでも、何かを身につけて自分自身を磨きながら、とにかく機が熟すのを待つことだと思います。

あと、「自分はこうである」と決めつけないこと。何かに挑戦すると、正直8割は失敗すると思います。そのとき、なぜ失敗したのかを見直して、いろんな角度から目標を実現する方法を模索し続けることが大事なのではないでしょうか。人はあれこれ言うかもしれませんが、失敗ほど学びの多いものはありません。小さな成功を積み重ねるうちに、いつの間にか山の頂上に立っていた、ということもあると思います。

そして、人間関係を大切にすること。私はこれで失敗しました。会ってみたい人がいたら会ってみる。感謝の気持ちをちゃんと表現する。人との出会いがいかに大事な宝か…今振り返っても、もっと縁を大事にしておけば良かったと後悔する場面があります。どんなに辛い時でも、人の温かみさえあれば、何とか乗り越えていけるものですよ。

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