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女性の収入で暮らす「専業主夫」と「ヒモメン」の決定的な違い

  • 2015.4.21
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【男性からのご相談】

30代です。子どもはいません。パチプロ生活から足を洗って彼女と一緒になりましたが、すでに30歳を過ぎていたせいもあって正規の職はなく、ディスカウントストアの品出しのアルバイトをして月10万にも満たない収入を得ています。 彼女の方はデザイン会社で働く商業デザイナーで、やはり非正社員ですが専門職なので自分の倍は収入があります。最近、どうせ自分には今後も正規の職などないのだろうから、いっそ“専業主夫”として体の弱めな彼女を支えて行くという道もありかなと思いはじめています。ところがそのことを知人に話したら、「子育てという仕事もない専業主夫なんて、要は“ヒモメン”と同じじゃないか」と言われました。やはり何だかんだいって子育てという大事な仕事を持たない専業主夫など、所詮は“ヒモメン”なのでしょうか。

●A. 必ずしもそうとは言えず2人の価値観次第ですが、本当に今の仕事を辞めてしまっていいのですか?

ご相談ありがとうございます。エッセイストでソーシャルヘルス・コラムニストの鈴木かつよしです。

2015年4月からコミック雑誌で連載がスタートした鴻池剛氏のコメディ『ヒモメン』は、彼女からお小遣いを貰って生きる彼氏を題材にした物語で、連載開始早々から話題になっているようですね。タイトルから“メン”を取ると放送局の自主規制用語になってしまうように、収入のない男性をやや見下したニュアンスのある言葉は、面と向かってそのように言われたご相談者さまの心をさぞかし傷つけたことでしょう。

私は、子育てという役割のない専業主夫が“ヒモメン”であるとは必ずしも思いません。品出しのアルバイトを辞めて無収入になったご相談者さまのことを「優しい夫」ととるか「ヒモメン」ととるかは、お二人の価値観次第であるかと思います。ただ、本当に地道な仕事を辞めてしまっていいのでしょうか?

都内でメンタルクリニックを開業する精神科医師の話も参考にしながら、考えてみましょう。

●車いすになった奥さまのために専業主夫になる人をヒモメンとは言わない

私自身は大学を卒業して以来これまでの30余年間で、「勤め人→自営業→勤め人→自営業→会社代表→自由業」という経緯をたどってきたため、節目節目に数か月間の“無職”の時期がありました。そのときはむろん私も“専業主夫”であったわけですが、自分の場合は子どもがおり、無職の時期は外で働く妻に代わって家事と子育てをしておりましたので“ヒモメン”的な言われ方をされることはありませんでした。

そうは言っても、第一子の娘がまだ小学生だった1990年代の後半はもとより第二子の息子が年長から小1くらいだった2010年代の初頭あたりでも、子どもを送り迎えしたような際に、「あちらのお父さん、最近おウチにいらっしゃるわよね」といった、子どもの同級生のお母さまがたの声にならない声が、聞こえてきたものです。ご相談者さまが“ヒモメン”と言われたときと質的には同じような、軽い心の傷は受けました。

『それでは、次のようなケースではどうでしょうか。私のクリニックの患者さんで、ピアノ教師の奥さまが交通事故に遭い下半身が不自由になってしまったため、会社勤めを辞めてピアノ教室までの奥さまの送り迎えと自宅に帰ってからの奥さまの介護と家事全般に専念されるようになった、お子さんのいらっしゃらない50代の男性がいます。その男性はご自分から、「僕の職業は専業主夫です」と、いつも笑いながらおっしゃいますが、笑顔の奥には私などにはわからない苦しみがあるからこそ、私のクリニックに通われているのだと思います。

今では奥さまのピアノ教師としての収入だけで生活していらっしゃるわけですから男性はたしかに“専業主夫”と言えるのでしょうが、誰もその男性のことを“ヒモメン”と言ったりはしないと思います。つまり、子どもがいない専業主夫の男性であっても、その生き方の中身を見れば“ヒモメン”などといった言葉がいかに失礼で侮辱的であるか、わかろうかというものなのです。

“ヒモメン”のような言葉は、風刺のきいた創作の中で使われるからこそ“笑える”言葉なのであって、真面目に専業主夫の道を選択した人に対して使っていい言葉ではないのです』(50代女性/精神科医師)

●品出しのお仕事がつらいから辞めたいのか? 彼女を支えるために辞めたいのか?

そこで、ご相談者さまのケースです。長い間パチプロとして生きてこられたということですから、パチンコの腕前は相当のものであろうと拝察いたします。もしかしたら、地道に働くことでは手に入らないようなお金をパチンコで手に入れたことも、これまでにはあったのではありませんか?

あくまで私の想像にすぎませんが、彼女は“それでもあえてパチプロ生活から足を洗ってディスカウントストアの品出しの職に就いた”ご相談者さまのことを愛し、まだ籍は入れてないにせよ、ともに人生を歩んで行く決心をされたのではないかと思います。だとするなら、ご相談者さまはやはり品出しのお仕事を辞めるべきではありません。今一度、ご自分の胸に手を当てて、「自分は本当に彼女を支えるために辞めたいのか。それとも品出しの労働がつらいから辞めたいのか」と、問うてみてください。

●働いてお金を得ることは、それだけで理屈抜きに尊いことです

『とにもかくにも、ご相談者さまの胸の内を一度彼女に打ち明けてみてください。たぶん彼女は、「あたしは大丈夫だから、今の仕事は続けて。ありがとう」と、おっしゃるはずです。

ご相談者さまが今回のようなことでお悩みになるという背景には、現代社会が“報酬の安い仕事は価値も低い”的な、間違った固定観念にとらわれてしまっているという面があるように思います。働いてお金を得ることは、それだけで理屈抜きに尊いことです。誰が何と言われようと、遊休資産を売却してお金を得ることなんかよりも尊敬に値することだと私は思います。

「子育てもない専業主夫なんてヒモメンと同じだ」と言い放つご相談者さまのお知り合いに同意することはできませんが、お知り合いは友人として、ご相談者さまが再びギャンブル生活に戻ってしまうことをおそれて、警鐘を鳴らしたのではないでしょうか』(50代女性/前出・精神科医師)

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私の知っている人で、品出しのスピードと正確さならびにお客さんの購買意欲をかきたてる陳列技術でもって、ある大手ディスカウントチェーンを運営する企業のアルバイト従業員から経営幹部にまで昇格した人がいます。ご相談者さまに、「そうなれ」などとは申し上げません。彼女との暮らしを第一に考えるご相談者さまの優しさを大切にして、これからも生きて行かれてください。

私が申し上げたいのは、「地道な労働には“価値”がある」ということです。そしてそのことを、彼女がいちばん解っているはずだということです。

●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)

慶大在学中の1982年に雑誌『朝日ジャーナル』に書き下ろした、エッセイ『卒業』でデビュー。政府系政策銀行勤務、医療福祉大学職員、健康食品販売会社経営を経て、2011年頃よりエッセイ執筆を活動の中心に据える。WHO憲章によれば、「健康」は単に病気が存在しないことではなく、完全な肉体的・精神的・社会的福祉の状態であると定義されています。そういった「真に健康な」状態をいかにして保ちながら働き、生活していくかを自身の人生経験を踏まえながらお話ししてまいります。2014年1月『親父へ』で、「つたえたい心の手紙」エッセイ賞受賞。

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