1. トップ
  2. DJ KOOインタビュー#2 伝説の“小室スタジオ”では「TRFがレコーディングする側で、篠原涼子ちゃんや安室奈美恵ちゃんが…」

DJ KOOインタビュー#2 伝説の“小室スタジオ”では「TRFがレコーディングする側で、篠原涼子ちゃんや安室奈美恵ちゃんが…」

  • 2020.3.8
  • 1247 views

DJ KOOがDJ BLUEとともにプロデュースしたJ-POPのリミックスアルバム「オドレーJAPAN! ~歴代オドレルJ-POP日本代表~」が、3月4日に発売された。

【写真を見る】dj hondaとのリミックス製作に明け暮れた80年代から、いよいよTKファミリーとなる90年代へ!

今回、DJ KOOに全3回にわたるロングインタビューを敢行。第2弾となる今回は、今年でDJ活動40周年となる彼がDJと出会ったきっかけや、TRFへ参加した経緯などを語ってもらった。

コンピレーションMIX CD『オドレーJAPAN! ~歴代オドレルJ-POP日本代表~』をプロデュースしたDJ KOO
KADOKAWA

ルーツはジュリーとハードロック!

――TRFはユーロビートの印象が強くある方も多いと思いますが、KOOさんご自身のお好きなジャンルやアーティストはどういったところだったのでしょうか。

DJ KOO:僕はもともとロック少年だったんですよ。音楽始めたきっかけはギターだったんですけど、その前に小学校の頃に沢田研二さんが大好きで。沢田研二さんを追っていく中で、「ザ・タイガース」に行き着くわけです。

それで、ザ・タイガースのライブ盤を買ったんですけど、知ってる曲が全然出てこないんです。当時のグループサウンズは海外のバンドのカバーをやっていて、そこでローリング・ストーンズを知って、洋楽にハマったんですね。

僕は歌でセンターに立つよりも、ギタリストとしてちょっとクールにやってるところに美学を持っていて。ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルなど、そういう音楽は原点ですね。DJをやっていても「ロック好き」という部分はやはり持ち続けていて、ミクスチャーロック、デジロックとかは今でも大好きです。

ロックに挫折したDJ KOOを救ったのはディスコ!
KADOKAWA

――それからどういうきっかけでDJ活動に入っていかれたんでしょうか。

DJ KOO:バンドでいろんなコンテストやオーディションにも出場したんですけど、やっぱりうまく行かなくて。当時で言うと子供ばんどとか、そういう方たちがいろんなコンテストを総ナメにしてたような時代で。

ちょっと言い訳みたいになりますけど、当時は今みたいに専門学校も何もなかったんですよ。だからどうやってうまくなるかとか、どうやってプロになるかとか、よくわからなかったんですね。

そうして一度は諦めたけど、「やっぱり音楽をやりたい」と思ってディスコに通いだして。高校を卒業してからは、将来の目標は単純に「音楽をやりたい」ってことだったんですけど、具体的に何がやりたいっていうのはなかったんですね。

そんな中でディスコのDJを見て、お客さんが沢山入ってる中でも、DJだけは自分のポジションで、お客さんを束ねて煽っている姿に憧れまして。で、その頃通っていた専門学校のパーティーでDJっぽいことをやってみたら、「あれ? 俺、意外といけるな」って思って、DJの見習いになりました。

見習い時代を支えたまさかのスキル!

――「見習い」というのは、ディスコの店舗に所属するという感じですか?

DJ KOO:そうです。落語家さんのシステムに似てるのかな? そのお店にチーフのDJがいてセカンドの人がいてっていう感じで、そこに見習いとして入って、無給でウェイターをしながらDJを覚えていきましたね。最初はお客さんがほとんどいない時にプレーして、お客さんが帰ってから練習してっていう生活でしたね。

――そうした下積みのような生活は何年くらいやられてたんですか?

DJ KOO:半年くらいでしたね。当時はすごく縦社会で、変な体育会系だったんですよ。でも僕、高校時代3年間ずっとラグビーをやっていて、体育会系における振る舞いは鍛えられていたので、そこはすごく良かったです。

他のお店のどの見習いDJよりも早く、おいしいラーメンを歌舞伎町で買ってきたり…。優秀なパシリでしたね(笑)。そのおかげもあって、そんなに長い下積み期間でもなく、すぐにお店でデビューできました。

小室哲哉との出会いは“レイヴ”!

――そこからどういう経緯でTRFに参加される流れになっていくんでしょうか?

DJ KOO:そこから、今はヒップホップで有名なdj hondaくんと一緒に「The JG’s」というユニットを組んで、リミックスを作りだしたんです。当時のDJはまだレコードで回していたんですけど、「ここのサビが倍あるともっと盛り上がるのに」とか、「イントロがちゃんとリズムがあるとつなぎやすいのに」という発想で、編集の仕事を始めたんです。

それを実際に作ってお店で流していたら、洋楽のプロモーターの人たちが「これをぜひとも製品にしたい、プロモーション盤にしていきたい」と言うので、仕事を色々と受けたんですよ。

そこで初めて、ユーロビートのノンストップミックスを僕とhondaくんで製品化しました。いろんなアーティストの人のリミックス、ダンスミックスを80年代は沢山作りましたね。

それから90年代に入って、小室哲哉さんが横浜のベイサイドクラブというところで、当時ロンドンで流行っていた“レイヴ”を開催することになって。

それにあたってDJが必要なんでやらないかと、お店のスタッフから紹介されて行ったのがきっかけです。なので、その時はTRFをやる云々では全くなくて、そのイベントのDJとしての参加っていう形でしたね。

「小室さんの押しかけ弟子のように、半年スタジオに通った」

――そこからメンバーとなるのには、何かのタイミングがあったのでしょうか?

DJ KOO:小室さんのイベントに参加するってことで、ごあいさつに行ったんです。その時小室さんはスタジオでレコーディング作業をされていて。

当時、僕はすごく斜に構えたところがあって、「小室哲哉=ポップスを作る人」というイメージがあったんですよ。なので「僕らがやっているマニアックなリミックスとは違うんだろうな」と思っていたんですけど、スタジオに行った時、小室さんはシンセサイザーの音を波形を見ながら自分で作っていて。

機材も当時最新鋭の、僕らでは手の届かないような機材に囲まれているのを見て、「この人は日本で一番マニアックだし、情報にも機材にも一番通じてる人なんだな」と思って。

それであいさつした時に「明日もスタジオに来させていただいていいですか?」って言ったら、小室さんが「いいよ」って言ってくれたんです。

そこから僕は、小室さんの押しかけ弟子みたいな感じで、半年くらいは毎日通いましたね。何するわけでもないんですよ。ただ小室さんのやることを見ていたりするだけで。

そのうち小室さんに、「終わってからこれやっといて」と言われて残り仕事のようなことをやらせてもらいながら、一緒に海外レコーディングに行ったりする中で、TRFのプロジェクトに直接参加するようになった感じですね。

【写真を見る】dj hondaとのリミックス製作に明け暮れた80年代から、いよいよTKファミリーとなる90年代へ!
KADOKAWA

――バンドで言うところの、いわゆる“ローディー”のような感覚でしょうか。

DJ KOO:そうです、まさにローディー的な形でした。そんな時に小室さんが突然「KOOちゃんってラップできたっけ?」って聞いてきて。

「ええ、The JG’sの時にやってました」「じゃあちょっとこれラップ入れて」って言われて、TRFのアルバムの中に何曲かラップ入れたりしてましたね。だからその当時、アルバムを出すavexの人たちは、誰が何をやっているかってすごくわからない状態で…(笑)。

「これは単に小室さんのソロアルバムなの? それともユニットのアルバムなの?」っていう、手探りな感じだったと思いますよ。スタッフも僕らの売り出し方をどうしたらいいか、なかなかわからなかったんじゃないですか(笑)。

目指していたのは「みんなが主役になれるような曲」

――そこから90年代はTRFとして精力的に活動されていくことになりますが、そういった中で強く印象に残っている出来事や、思い出深いエピソードがあれば教えてください。

DJ KOO:それまでいろんな音楽の仕事をやってきたんですけど、いい時も悪い時もありつつ、なかなか世間の人に自分が関わった音楽を知ってもらえることって無かったんです。

でも「EZ DO DANCE」が出た時に、うちの奥さんが「『EZ DO DANCE』みんなカラオケで歌ってるよ!」って教えてくれて、そこで「ああ、俺もメジャー感のある所に来たんだな」っていう感覚はありましたね。

それまではクラブやディスコで活動していましたから、やっぱりアンダーグラウンドでずっとやってきた感覚とは違うところが見えましたね。

――ある意味では、それまでやられてきたことがそのままメジャーな領域でも通用したと言えると思いますが…。

DJ KOO:そこはやっぱり、小室さんの力があったからこそですよね。「EZ DO DANCE」ができるまでに、しょっちゅう小室さんと一緒にカラオケ行ってましたから。

もちろん歌いに行くわけじゃないんですよ(笑)。でも、当時カラオケってめちゃくちゃ流行っていたじゃないですか。なのでみんなを集めてカラオケに行って、いかに曲が流れた時にみんなで盛り上がれるか、っていうことを見ていたんでしょうね。

――「曲の盛り上がり方」を見ていたと。

DJ KOO:そうです。歌っている人がいる一方で、お酒を飲んでいる人がいて、友達と話している人がいて、っていうのが当時のカラオケじゃないですか。でも、小室さんはそうじゃなくて、「みんなが一つになれるカラオケ」(を目指していた)。

なのでTRFの曲って、サビの前になると「サビが来ますよ~」っていう感じの音が入って、サビは必ず「Yeh,yeh,yeh,yeh,yeh Wow,wow,wow,wow♪」みたいにみんなで手を振ったり、「Survival Dance!」「フゥ~!」と掛け声をかけたり、初めて曲を聴く人や酔っ払っている人でも盛り上がれる形になっていて。みんなが主役になれるような楽曲を小室さんは考えていたみたいですね。

「いろんなスタジオから次々名曲が生まれるのを体験」

小室哲哉のプライベートスタジオでの夢のような日々を明かしたDJ KOO
KADOKAWA

――TRF時代の楽曲制作に関しては、作詞作曲アレンジまですべて小室さんがやられていたと思いますが、KOOさんは当時製作にどの程度関与されていたのでしょうか?

DJ KOO:実際小室さんが全てやられていて、僕はデータの直しであるとか、トリートメント作業のようなことをアシスタント的にやっていましたね。でも、その場にいられて小室さんがやられていることをリアルタイムで見ながら過ごして来れたというのは、本当に貴重な体験でしたね。

最初は小室さんが外部のスタジオでレコーディングしていたんですけど、そのうち「プライベートスタジオを作りたい」と仰ったんです。それで一緒にいろんなスタジオのミキサーとかを見てきて機材を選んで、小室さんのプライベートスタジオを作って。そこで最初に作った曲が、TRFの「BOY MEETS GIRL」だったんです。

そのうちに“小室ファミリー”が世に出だしてきて、一つだったスタジオが二つになって、三つになって、ワンフロア全部がスタジオになったんです。終いには、クラブ系のシステムがある部屋も作って、そこで実際に音を鳴らしてみて。曲がどんな感じか、みんなで楽しめる状態になっているかとか、そういうのを試すクラブルームまでありました。

その頃は、TRFのレコーディングをしながら、他のスタジオでは篠原涼子ちゃんが「恋しさと せつなさと 心強さと」をレコーディングしていて、globeのKEIKOが歌詞の打ち合わせをやっていて、安室奈美恵ちゃんが、その頃は「BODY FEEL EXIT」だったかな? それを歌っていて…っていう状態です。

――当時それらの曲を聞いていた身としては、夢のような空間です…(笑)。

DJ KOO:いろんなスタジオでそういう曲が次々と生まれていくのを、文字通りゼロから体験しているので。そうして小室さんのそばにいられたことが何よりも貴重でしたね。

伝説のドレッドヘアー誕生秘話!

今なお美しいヘアースタイルを維持しているDJ KOO
KADOKAWA

――楽曲制作に関わる一方で、ステージでは演者、DJとしてのポジションになるわけですが、ステージ上での役割や、意識していたことはどんな所でしょうか?

DJ KOO:最初の頃はやっぱり大変でした。だって、DJが後ろにいるグループなんて当時は無かったですし。だから、「アイツは後ろで何をやってるんだ?」とか散々な言葉を浴びせられながらステージに立ってましたね。

実際僕の仕事というのは、レコーディングをして小室さんとミックスダウンしてしまえば、本来はそこで終了なんですよ(笑)。そこであえてバンドでもなく、カラオケでもなく、DJを置くというのが、TRFにおける小室さんのビジョンだったんです。

小室さんに「1時間とか1時間半のワンパートでフロアを盛り上げるのがDJの仕事だとわかっているんだけど、あえて3分間、1曲の間でDJの仕事を見つけてくれ」って言われて。

でも、本来は(ステージに上がる前に)僕の仕事は終わっているんですよ。変な話ボタン一つ押して音源が流れればそれでいいんですけど、そこで僕はグルーヴ感、お客さんをDJらしく煽る、それと見た目のインパクトやアクションっていうところで、どうにか3分間もつようにしましたね(笑)。当時は「もたせる」っていう意識でしたもん。

だからこそ、初めてドレッドヘアーにして、派手なアクションで「イエー!」って手を挙げてお客さんを煽っていったりとか、そういうことに努めていましたね。

――確かに当時のKOOさんのドレッドヘアーは、子どもながらに見ていて非常にインパクトがありました(笑)。

DJ KOO:(笑)。でも、そういうことなんですよ。何やっているかわからなくてもインパクトがあるっていう。

(#3へ続く)(ザテレビジョン)

元記事で読む