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日本の運命を託された勇敢な50人、佐藤浩市「僕らはそれを伝えるメッセンジャー」<Fukushima 50(フクシマフィフティ)>

  • 2020.3.6
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映画「Fukushima 50(フクシマフィフティ)」で親子役で共演する佐藤浩市、吉岡里帆
撮影=桑島智輝

【写真を見る】吉岡里帆が思わずゾッと…「(佐藤)浩市さんは若々しくてデニムの似合うカッコいい方のイメージだったのが…」

日本のみならず、世界中が注視していた東日本大震災における福島第一原発事故。その知られざる真実に迫った映画「Fukushima 50」(フクシマフィフティ)で主演を務めた佐藤浩市は、原発の第1・2号機当直長として事故現場の最前線にいた伊崎利夫を熱演。そして、彼の娘であり、不安に揺れる避難所で父の帰りを待ち続けた遥香を吉岡里帆が演じ、事故当時の原発内の様子だけでなく、家族の姿にも迫った深い人間ドラマが誕生した。

原発の第1・2号機当直長として事故現場の最前線にいた伊崎利夫(佐藤浩市)と、作業員たち
(C)2020『Fukushima 50』製作委員会

――それぞれ出演を決められた理由を教えてください。

佐藤「事故の対処に当たった作業員たちのことを、海外メディアが敬意を込めて“Fukushima 50”と呼んでいるのは耳にしていました。でも、日本ではことについて報道されることはほとんどなく、“Fukushima 50”という呼び名も、そして彼らのほとんどが地元の人間だったというのもあまり知られてないと思います。僕らはそれを伝えるメッセンジャーとなることに意味を感じました」

吉岡「私は東日本大震災が起きたときは高校生で、関西に住んでいたのもあって、被災地の様子をニュースなどで見ても、どこかで遠いところの話のように感じていたかもしれません。その後、このお仕事を始めてから、福島の富岡町に住まれていた方に取材させていただく機会があり、そのときにうかがった故郷への思いに胸がいっぱいになりました。その直後に、この映画のオファーをいただいてご縁を感じましたし、当時を知らない世代に伝えていくのは大事なことだと思い、出演させていただくことを決めました」

――佐藤さんは原発の中央制御室(中操)、吉岡さんは避難所と、場所こそは違いますがとても緊迫感のあるシーンに挑まれました。現場の雰囲気はいかがでしたか?

佐藤「撮影では、僕ら中操メンバーのシーンを先に撮ったのですが、そこでは事故が起きたあの日から時系列に沿って順撮りで撮影していきました。もちろん、実際にその場にいた方の気持ちに完璧に寄り添うことはできないのですが、電源の落ちた真っ暗な中で撮影をしていくと、それだけで気持ちはめげてくるんですね。演じている僕らですらそうなのだから、実際の方々はどんな気持ちだったのか。それを常に考えながら撮影に挑んでいました」

吉岡「私が参加した家族パートはシーン数的に少ないですし、浩市さんたちの現場とは比にならないのですが、避難所に集まったみんなでニュースを見るシーンでは本物のニュース映像が使われていました。見ているうちに胸に押し迫ってきて、そこに父親がいると思うと恐怖を感じました」

遥香(吉岡里帆)ら、避難してきた人々は避難所でニュースを福島第一原発の様子を見守る
(C)2020『Fukushima 50』製作委員会

浩市さんとお会いした瞬間に、思わずゾッと…(吉岡)

――伊崎と遥香が避難所で無事に再会するシーンは、事前に何か打合せをされたのでしょうか?

佐藤「いや、あまり話していません。彼女はまだ若いけど、なかなかクレバーでスマートな方なので、この子なら大丈夫だろうと思いました。ごめんね、上から目線の言い方で(笑)」

吉岡「いえいえ、ぜひとも上から目線でお願いします(笑)」

佐藤「あと、伊崎と遥香は、お互いに何とかしたいと思いつつも、そんなに友好な関係でもなく。その発端は伊崎が遥香の結婚に反対したことにあるんですけど、そこから震災が起き、こんな有事になるならば、お互いにもっと歩み寄っておけばよかったと思うわけです。僕も吉岡も自然とそういう親子の関係が透けて見えればいいなと思っていたので、余計なことは話さずにいました」

吉岡「確かにそうでしたね。でも、私は避難所の撮影で初めて浩市さんとお会いした瞬間に、思わずゾッとしてしまいました。浩市さんといえば、若々しくてデニムの似合うカッコいい方というイメージがあったのですが、そのときの浩市さんには悲壮感が漂っていて、最初は何と言葉をおかけしたらいいのか分かりませんでした。私なんかが話し掛けてもいいのかなとも思ったし、この撮影で10歳ぐらい老けられたのではないかと思うぐらい苦しそうな表情をされていました」

佐藤「多分、それは僕だけでなく、中操にいたメンバーはみんなそうだったと思います。撮影が進んでいくうちに、みんな驚くほど顔が変わっていきましたから」

吉岡「本当に壮絶な撮影だったんだと思います。だからこそ、避難所でお父さんと再会したときには、これまで当たり前だと思っていた家族と過ごす時間がようやく戻ってきたような感覚がありました」

――吉岡さんの目には、自分が犠牲になることもいとわず、事故に立ち向かった方々の姿はどう映りましたか?

吉岡「こういうことが起こるという想定がない中で、皆さんができる限りのことで立ち向かわれていて。突然、日本という国を守らないといけないという重圧の中、最良の判断をしなけばならないというのは本当に苦しかったと思います。皆さんに対しては敬意しかないです」

佐藤「やはり自分の家族やその土地の空気や匂い、そういったものを守りたいという気持ちは、皆さんの中に当然あったと思います。この映画で描かれるのは特殊な経験なので、簡単に自分に置き換えることはできませんが、もし家族の身に何かあったと考えるなら、“身を挺す”という言葉がありますが、自分もそうなるだろうと思います」

【写真を見る】吉岡里帆が思わずゾッと…「(佐藤)浩市さんは若々しくてデニムの似合うカッコいい方のイメージだったのが…」
撮影=桑島智輝

大切な人や守りたいものがあると強くなれる(吉岡)

――“Fukushima 50”の皆さんの勇気と決断、そして仲間への思い。さらには彼らの帰りを待つ家族の姿も胸を打たれました。

佐藤「娘の結婚に反対する伊崎のように、誰かに憎々しい発言をしてしまったとします。それが有事のときに『なんであんなことを言ってしまったんだろう』と後悔する。そう思える存在がいるのは幸せなことだと思いますし、それこそが自分が大切にしたい何かなんだと思います」

吉岡「家族パートは本当に普遍的なシーンだと思います。こんな大変なときでさえも子どものことを考え、大切な人を信じて待つんだという、きっと誰もがどこかで感じるような瞬間が描かれています。生きていると、つい独りよがりになってしまうこともあると思いますが、人は一人では生きていけないし、大切な人や守りたいものがあると強くなれるし、それはとても大事なことだとあらためて感じました」

映画「Fukushima 50(フクシマフィフティ)」は3月6日より公開中
(C)2020『Fukushima 50』製作委員会

映画のあらすじは…

2011年3月11日、東日本大震災によって福島第一原発で事故が発生。日本観測史上最大の地震と津波により、福島第一原発発電所は停止。全電源を喪失し、このままでは溶けた燃料が格納容器を突き破り、放射性物質にさらされるメルトダウンに陥る危機が。現場を率いる当直長の伊崎(佐藤)と、指揮官である所長の吉田(渡辺謙)は最悪の事態を避けるための対処に挑み、伊崎の娘・遥(吉岡)をはじめ避難所に集まった人々は不安を抱えながら無事を祈っていた。(ザテレビジョン・取材・文=馬場英美)

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