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中国版『VOGUE』編集長、アンジェリカ・チャンからの手紙──コロナウイルス感染が深刻化する中で見えた、強さと希望。

  • 2020.2.19
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上海の人気観光名所であるユーユアンバザールはコロナウイルスの感染が広大してから閉鎖状態が続いている。2月7日撮影。 Photo_ Getty Images
Empty Streets of Shanghai as Extended Spring Festival Holidays Come to a Close上海の人気観光名所であるユーユアンバザールはコロナウイルスの感染が広大してから閉鎖状態が続いている。2月7日撮影。 Photo: Getty Images

今から遡ること約3週間前。1月中旬に行われたパリのクチュールコレクションに参加した後、世界中の『VOGUE』関係者がロンドンに集まるカンファレンスを終えて、ようやく家族のいる北京に戻ってきた。その時はまだ、帰国してから24時間のうちに生活が一変するとは思いもよらなかった。

中国に到着するとすぐ、夫と娘が待つ北京郊外の太舞スキーリゾートに向かった。楽しいファミリー旅行になるはずだったが、翌朝、リゾートが数時間以内に閉鎖すると発表された。スキー客は出て行くように告げられ、インストラクターたちは故郷に帰されることになったのだ。私たちはがらんとした廊下へ荷物を運び、閉鎖ギリギリの時間にリゾートをあとにした。そんな異様な光景を前に、娘のヘイリーは「気味が悪い。ホラー映画『シャイニング』みたい」と言った。

吹雪の中、駅行きのシャトルバスを待つ間、心細くてたまらなかった。この先、どうなるのだろうと不安のなか、北京に戻ってきた。その時にはじめて、新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために、旅行や帰省先から北京に戻った市民全員に2週間の隔離期間が義務付けられることが分かる。ウイルスの潜伏期間が14日間であるとする政府の医学的指示に基づいた隔離期間であり、措置に従わなければ罰則が科されてしまうのだ。

自主隔離のはじめの数日間は、世界から完全に切り離されたような気持ちでいっぱいだった。航空便は欠航になり、事実上、どこへも出かけられない。拡大する集団感染の報道をオンラインで読んで不安が募る。患者数、死者数が増えていくのを見て悲しみ、被害に襲われた武漢市の最前線で献身的に働く医師や看護師たちの勇気に胸を打たれた。一刻も早く危機がピーク向かうことを望む中、次第に普段とは異なる日常が形づくられていった。

北京の大半の人たちと同じく、春節のために帰省していた我が家の家政婦は、地元で足止めされてしまった。そこで、以前のように自分たちで家事をやりはじめ、あらゆる物を調達するためのオンライン配送サービスを見つけた。だが、事態が悪化するにつれ、配達員を含めた、訪問者のマンションへの出入りは一切禁止されてしまった。そこで1日に何度か、デリバリー品を引き取りにマンションの入り口まで外出することはあったが、自宅を出入りするたびに消毒スプレーを全身に撒き、入念に手洗いをした。ウイルスを防止するためのマスクと消毒剤を買うのは闘いだった。どこも売り切れてしまい、注文しても「品切れ」の通知が表示されるばかりだった。

デリバリーの受け取りや家事の合間に世界各国の同僚たちとWeChatやビデオ会議で数えきれないほど議論をした。そのトピックはほとんど、インタビューや撮影ができない中で、どのように中国版『VOGUE』の次号とその先の雑誌作りを進めればいいのか、そしてこの困難な時期にフォロワーのニーズを満たすソーシャルメディアコンテンツとは何かを考えることに集中した。マガジンで既に完成していた特集の中には、現在の状況に合わなくなり、やむなく差し替えたり、切り口の変更や再考が必要になったものもあった。一方、稼働している印刷所や輸送施設が減少したため、発売日も変更しなければならなくなった。

エディターたちとビデオ会議をしていると、この状況に慣れない彼らの子どもたちの泣き声や叫び声が聞こえることもあった。いつものように外で友だちと遊べない理由が分からず、ぐずっていたのだ。すべての学校が無期限に閉鎖となり、仕事もリモートワークに切り替わった企業がほとんどだった。私はさほど大きくはない都市型マンションに暮らす一般的な北京の家庭だが、どんなに親しい家族でも、途切れない緊張感が張り詰めた空間で四六時中ともにしているために、些細ないさかいも起こる。

2月18日時点で中国では7万人を超える感染者と1770人もの死者が出ている。Photo_ Getty Images
Concern In China As Mystery Virus Spreads2月18日時点で中国では7万人を超える感染者と1770人もの死者が出ている。Photo: Getty Images

春節の時期だったために多くの友人たちは外国へと旅立っていたが、感染の拡大により、その多くは行った先の国に留まっていた。休暇後、ウイルスに侵された我が国へ戻るよりも、近寄らないでいることを選んだのだ。オーストラリアに旅していた友人ファミリーは、子どもたちにオンラインで教育を受けさせ始めた。アフリカのサファリ旅行から中国に戻る予定だったアメリカ人の友人はパリに迂回し、フランスに滞在するか帰国するかを悩んでいる。北京在住で学校に通う2人の子を持つイギリス人家族は、状況が安全と言われるまでロンドンに留まるという。

幸いにも3人家族である私たちは順調な隔離生活を送っていた。ただ、母親に会えないのが辛い。母は股関節手術を終えて現在は病院で療養中なのだが、見舞い客の訪問は一切許されていない。12歳の娘、ヘイリーは北京の徳威英国国際学校に通っているが、指示があるまで休校になり、ほどなくしてオンライン学習が始まった。自主学習は自立心を育むには役に立つだろうが、地方や外国で身動きができなくなっている友人たちに会えないのは寂しそうだ。1ついいことがあるとすれば、彼女の趣味であるエレキギターを演奏する時間がたっぷりできたこと。今、彼女のお気に入りの曲はクイーンによる「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」だ。その理由は、自宅隔離を始めてから数日が経ったある晩、監獄の映画『ショーシャンクの空に』(1994年)を一緒に観て、劇中歌だったこのメロディーと歌詞にすっかり共感してしまったからだ。

2週間の自主隔離期間を経て、2月10日にオフィスを久しぶりに訪ねる。3月号を校了するために最小限のエディターたちが、マスク、眼鏡、使い捨て手袋にすっぽり覆われて出社した。北京は春節の連休明けの初日だったが、政府の自宅待機指示のため、オフィスにはほとんどひと気がなかった。今も、多くの企業は従業員にリモートワークをするように命じている。通りは寂れ、道ゆく人の姿はない。どの店も閉まったままだ。営業を続けているわずかなレストランやバーでも、客はまばらだ。ショッピングモールやオフィスビルなどの複合施設に入るときは、マスクをした警備員が必ず体温チェックを行う。

いう間でもなく、2月中旬から始まったコレクションウィークへの参加は不可能になった。ニューヨーク、ロンドン、ミラノを既にキャンセルし、パリは最終判断を保留している。だが、ヨーロッパ諸国の航空便の欠航と、到着後に14日間の隔離が求められる可能性を考えると、まず無理に思える。他のビジネスと同じく、中国のファッション業界がこの20年間で最大の危機に直面しているのは明らかだ。さまざまのイベントが中止され、ショッピングモールはガラガラ、人が集まることは許されず、旅行の機会は大幅に減り、ウイルス拡散を封じ込めるために物流とサプライチェーンは大きなプレッシャーにさらされている。さらに国内の雰囲気はひたすら陰鬱で、人に会ったりオンラインで会話しても、話題になるのは健康やコロナウイルスのことばかり。個人的には、世界中に大勢いるファッション業界の友人や知人たちから送られる心のこもった温かいメッセージはとても嬉しく、慰められている。世間から隔てられた身として、これほどありがたいことはない。

幽閉状態はとにかく不便だが、この体験をして良かったことも確かにある。衛生面を改めて気遣うようになったし、人生で何が重要なのかに思いめぐらす貴重な時間を得ることができた。長く離れていた結果、家族、友人、同僚にもっと感謝することを学んだ。そして、オンラインで仕事を進めるのが前よりもうまくなった。今回の経験から、私たちのライフスタイル、ワークスタイルは変わっていくだろう。

3月号のエディターズレターを執筆中に、1941年に戦時中のUK版『VOGUE』に掲載されたセシル・ビートンの写真を思い出した。爆破された建物のがれきの中で、モデルが当時流行の帽子、手袋、スーツを纏ってすっくと立っている。写真のタイトルは、「ファッションは不滅("Fashion Is Indestructible”)」。それは、善かれ悪しかれ影響を受けながらも人生は続き、あらゆる状況の中でも落ち着いて、優雅に勇敢に未来に向き合わなければならない、と語っているようだ。コロナウイルスとの闘いはいつか終わる。強くあり続けよう。私は次号のテーマを決めた。「勇気と平和」にすると──。

From US VOGUE

Text: Angelica Cheung

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