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【女子のばんそうこう】「グランメゾン東京」で学んだ「令和の女に必要なもの」

  • 2020.1.9
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去年の話で恐縮だけど、「グランメゾン東京」は皆さん観ました…?
「日曜夜9時といえば中年男性の熱血奮闘物語枠だし(ぜんぜん嫌いではないけど)そこにフレンチレストランの話…?」という不安と「キムタクは何やってもキムタクでは」という先入観で観たのだけど、結果、そう思ってた自分をスリッパではたきたいくらいめちゃくちゃよいドラマだった。そして私はキムタクの役者としての技量と、時代を牽引し続けるアイコンとしての計算に撃ち抜かれたのであった。まあそれはいいとして、今回はオンナの話だ。

「自分の道」を歩く女たち

日曜劇場で私がひっそり感じていた不満は「いつだって男たちが頑張り、女はそれを支える側」という点だった。熱い男たちは大好き。でも女だって熱いんだぜ…?サポート役以外の存在意義があるんだぜ?ずっとそんなふうに思ってた。
今回の「グランメゾン東京」の素晴らしかったところは、男たちのみならず、女たちがとても熱くて格好よかったところだ。鈴木京香演じるヒロイン(という言い方ももはやそぐわないな…)の倫子始め、登場する女性たちは年齢職業問わずみんな「たった1人で立っているひと」だった。シェフ、パティシエ、ソムリエ、編集者兼フーディ、母親、祖母…。恋愛をメインに掲げず、男性に依存する幸せを求めず、誰かの陰に隠れず、時に声を荒げ時に悔し泣きしながら、自分の仕事と進むべき道にまい進する。それぞれが女という以前に「ひとりの人間」として描かれていた。

男と女の「色恋」以外の結びつき

特に倫子さんは「おちこぼれシェフ」からのスタート、店の相棒として選んだ尾花(キムタク)はフレンチ界の鼻つまみ者とはいえ、輝かしいキャリアの天才シェフ、しかも「俺様」である。だけど彼女は卑屈にならないし、変にへりくだりもしない。
同じ目標に向かって泥臭く突き進んでいくうちに芽生えるのは、今までのドラマなら絶対に「恋」だっただろう。でも彼らに生まれたのは恋愛ではなく「圧倒的な信頼&リスペクト」だ。互いの存在が己を奮い立たせ、さらに夢の実現への気持ちを高めてくれる。そういう相手とは別々の場所にいても絆は壊れないし、その人のことを思うだけで心が強くなる。
それがいつか男女の情愛になる可能性ももちろんある。でもそれはどうでもいい。価値観は色々と合わない。すぐ喧嘩もする。だけど最高のパートナーであり、世界が敵になってもコイツの味方として肩を組みたい。それが男だろうが女だろうが、どっちでもいいよな。こういうかたちの愛は、大人の心にはじわじわ沁みてくるんだよね…。

令和の女子に必要なのは「甲斐性」

そういう感想を新年早々なぜここに書き連ねたかというと、「女子にはこういう姿勢が大事だよな!」と思ったからだ。
上2つの項目で「色恋がないのがいい」と言ったけどそれは別に「恋愛をしてる場合じゃないよ」という意味じゃない。恋は不意におとずれて制御できないものだったりするから存分にすればいいと思う。ただ、それを女子の「人生の目的」にはしない方がいいんじゃないの?ということだ。
白馬の王子様などもはや望むべくもない世の中、パートナーができたとしても永遠に食いっぱぐれずに妻子を食わせてくれる時代でもない。令和の女子は、自分の進むべき道を自分ひとりの足で歩ける甲斐性が必要不可欠だ。そしてパートナー以外にも色んな仲間がいることが世界を拡げる上で大事だと思うし、パートナーがいなくたって「信頼のおけるひと」「男女の愛以外の愛を注げるひと」を作ることができれば、それはとても幸せな人生だと思うのだ。
「そうは言っても私は素敵な男性とめぐりあいたいし、愛されたい!」と思う女子もいるだろう。大丈夫!モテや愛されを目指すより、自分のやりたいことを一生懸命やっている女、誰かに寄りかかろうとしていない女は、男にとってもすごく魅力的で得がたい女に見えるから。

今年もまた私たちは、自分のことが嫌いになったり、ブスだなあと凹んだり、恋をしてうまくいかなかったり、誰かと比べて焦ったり、人生この先どうなるんだと悶々としたりするかもしれない。いや、多分する(笑)でも、間違ったらひとつ戻る。できるようならひとつ進む。そうやって、「わたし」を少しずつ少しずつ、積み上げていこう。気づいたら、去年よりも少し景色のいいところにいるように。そんな筋力をつけてゆこう。

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