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ジョディ・フォスターの「覚悟」から受け取ったもの【セレブ斜め愛 #7】

  • 2019.12.20
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「セレブ斜め愛」も、今回がフィナーレです。ツイッターの片隅で、何の役にもたたないことをつぶやいているだけだった五十鈴おばあちゃんに、いきなりコラムの執筆をお願いしてくださったコスモポリタン編集部の「攻めすぎ」な姿勢に、あらためて感謝しています。

最後に誰をピックアップしようかと悩んだのですが、大好きな俳優のひとり、ジョディ・フォスターにしました。

『告発の行方』と『羊たちの沈黙』の二作品でオスカーの主演女優賞を獲得した、世界でも指折りの超実力派。60年代の半ば、3歳のときからショービズで仕事を始めた大ベテランでもあります。

ゴールデングローブ賞には、「セシル・B・デミル賞」というカテゴリーがあります。長年にわたり映画界に多大なる貢献をした映画人を、毎年ひとりだけ選ぶ賞。その賞に、アメリカが誇るメリル・ストリープよりも先に選ばれていることをみても、ジョディがどれほど評価と尊敬を集めていたかがうかがえます。

その賞を受け取った2013年、ジョディの受賞スピーチの全文和訳は、ネットでも見ることができます。ジョディは「あることを告白したい気持ちになっている。ナーバスになっています。それは私の広報担当が私以上にナーバスになっているってことだけど」と、同性愛者であることをカミングアウトするかと思わせて…

「私は、シングルです!」

と宣言して肩すかしを食わせ、会場の映画人たちを大いに笑わせるというユーモアを炸裂させました。

しかしその後すぐに、「はるか昔に、身近な、大事な人たちにはカミングアウトしてきた」と続け、長年のパートナーだった女性、シドニー・バーナードへの感謝を述べるという、誠実さと知性とウィットが絶妙にミックスされたスピーチをして、世界中から賛辞を集めました。

もちろんおばあちゃんもそのスピーチに感動したひとりですが、しかし同時に、おばあちゃんは、「カミングアウト」のパートが終わったスピーチの終盤、ジョディが語った言葉に胸を突かれる思いがしたのです。

「このステージに上がることはもうないでしょう。Change(変化)。これからも物語を語り続けていくけれど、その方法は違ってくるかもしれません。これまでのように輝くような方法ではないかもしれない。3000のスクリーンで公開されるようなものではないかもしれない。もしかしたら、犬にしか聞こえない口笛のような、デリケートなものになるかもしれない。でも私はこれまで通り私のままだし、見られる存在でいたいし、深く理解されたいし、あまり孤独にはなりたくないの」

スピーチを締めくくったジョディの言葉は、おばあちゃんの眠りをしばらく浅くするほどのインパクトがありました。

ジョディ・フォスターほどの才能と人気と実績を兼ね備えた人ですら、カミングアウトした後は、大作映画や話題作からの出演依頼はゼロになるかもしれない。それでも私は仕事を続けていく」と覚悟をしなくてはいけなかった。そんな覚悟をしたうえで、「多くの『同じ立場の人たち』に伝えなくてはいけないことがある」と、別の種類の覚悟を決めた…。おばあちゃんはそんなふうにジョディの「二重の覚悟」を感じたのです。

「おばあちゃん、考えすぎでしょ」と思う読者の方も当然いるでしょう。でも、60年代からエンタメの世界のど真ん中にいたジョディの実感は、たぶんおばあちゃんが想像するより何百倍もつらく、厳しいものであったはずです。女性差別もLGBT差別も、それが「差別である」という認識すらされないまま大手を振ってまかり通っていた時代から、ジョディは、知性と才能を武器に、つぶされることなく、消費され切ってしまうことなく、サバイブしてきました。

そんなジョディの言葉に、感動とはまた別の、重くて、しかし前向きな何かをおばあちゃんは受け取りました。もっと正確に言えば、「重くて、でもだからこそ、前向きにしていかなくてはいけない、何か」を受け取ったのです。

コスモポリタンの読者の中には、「LGBTの世界は自分にとって遠いこと」と思う方もいるかもしれません。ただ、この『セレブ斜め愛』でホイットニー・ヒューストンのことを書いたときにも言いましたが、「マイノリティの定義を“本来同等に与えられるべき権利や機会が与えられない存在”とするならば、世界でもっとも人口の多いマイノリティは『女性』である」というおばあちゃんの持論は変わりません。

そのマイノリティの中にいる誰かが、同じ立場の、あとに続く若い人たちのために、意を決して何かを主張したり告白したのなら、せめてそれを応援したいのです。「何もこういう場所で、それを言わなくても」とか「寝た子をわざわざ起こすようなマネは不粋だ」などとは思わずに。

そういう発言、そういう行動が、どれほどの扉を開いたのか。それが見えるようになるまでには、少なくとも10年はかかるのですから。

ジョディ・フォスターのスピーチから約1年後、オスカーの主演女優賞はケイト・ブランシェットが受賞しました。そのスピーチでケイトは、

「女性が中心になった映画はニッチ(スキマ産業)だという愚かな考えにとらわれている人はいまだにいますが、全然そんなことはない。多くの人々が求めているし、実際お金も稼いでいますよ!」

と、毅然と発言しました。おばあちゃんがそのスピーチにも大きな拍手を送ったのは言うまでもありません。

世界を変えていくきっかけ、社会を変えていくきっかけには、必ず、大きな決断や大きな覚悟を胸に秘めて、最初の一石を投じた人がいる。この連載のマドンナの回でも書きましたが、そうしたフロントランナーは、間違いなく大変な風圧を受けるものです。おばあちゃんが歩いてきた道も、そうした人たちによって作られてきました。

だからこそ、おばあちゃんも微力ながら、自分が歩く道をもっとラクにするために、そして、後ろを歩いてくるだろう若い方々にとってこの道をもっとラクにするために、何ができるかを考え続けたいのです。

コスモポリタンをお読みの若いみなさんの歩く道が、おばあちゃんが若いときに歩いてきた道より、もっともっと歩きやすくなっていることを願ってやみません。

半年あまり、おばあちゃんにおつきあいくださって、本当にありがとうございます。またどこかでお目にかかれることを願って。

Love, 五十鈴おばあちゃん

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