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【女子のばんそうこう】20代と30代女子におくる「大丈夫」。

  • 2019.12.2
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わたしはいま40代だけど、ありがたいことに日頃の付き合いのメインは20代、30代の女友達だ。彼女たちとおしゃべりする時間はとても楽しいので、同時に彼女たちにとって「かなり年上の女友達」である私が煙たくない存在だったらいいなと思っている。
昔は同世代の女友達と「最近の若い奴ぁ…」「思わず説教しちゃったよ」みたいな話で盛り上がったりもしたけど、本格的に若さを失ったいまは「年下はこちらが教え諭してあげる存在」だとは全然思わなくなった。仕事上必要だったり、相手がそれを乞うてくるならば別だけど、友達づきあいでそれは本当にいらない。

「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」という名言があるが、40代という「子供でも若者でも老人でもない年代」になるとこれはしみじみ頷ける。特に20〜30代なんてついこの間通って来た道だし。
「ハチミツとクローバー」の中で野宮さんが真山くんを見て「あいつは俺が苦労して何年もかけて脱ぎ捨ててきたモノをまた全部引っさげて目の前をウロウロしてる」と言うシーンがあるが、まさにそれが年下の同性。時代や個人の性格によって異なりはするけれども、「ダメだなあ」ではなく「分かる…そうなるよな…」が先に立つ。

何が言いたいかというと、20〜30代でのあれこれは「ダメ」なんじゃなく「すべては熟す過程に必要なこと」ということだ。振り返ればささやかだけどもそれぞれにちゃんと意味がある。つらいことや「これを失ったら死ぬ!」と思っていたことはいずれも長くは続かなかった。なのでいま悩んだり焦ったりしているまっただなかの女子は、どうか悲観せずに…と思う。

20代は勢いと(根拠は不確かな)自信と、同時に膨大な不安があって当然だ。わきまえすぎて引っ込んでる20代なんてつまんない。自意識はどんどん肥大していっていい。若さを過信していていい。「年寄りウザい」と思っていていい。多少の無理と無茶をして突っ走っていい。好きなことに猪突猛進でいい。勘違いや独りよがりに気づくのは年を取ってからでいい。ただひとつ、20代のうちに「自分は本当にダメだ」「早く落ち着かねば」と思い悩まないでほしい。卑下したり安売りしたりしないでほしい。人生はまだ始まったばかりだから、いくらでも再始動、軌道修正ができる。未来に絶望する必要はいちミリもないし、年をとることを人生の終わりだと怖れる必要もない。

30代はどんどん積み上げて、波に乗れる。自分が少しずつかたちになる。自信に芯が入り始める。20代の頃のおぼつかなさが嘘みたいになる。ただ仕事と恋愛に重みがでてきて、結婚、出産という言葉に振り回される時が来るかもしれない。焦りや絶望が20代の頃より深くなるかもしれない。迷走するかもしれない。だけどそれは全部必要なもがきであり苦悩だ。自分の土を知らぬ間にざくざく耕してる行為だ。「私はずっとこのままかもしれない」と人知れず涙を流したり、確かに掴んだと思ったものが手の内から全部逃げてしまって立ち尽くすかもしれないけど、それでも大丈夫だとあえて言いたい。そのつらさは必ず終わる。逃したものは逃してよかったと思う日が来る。その分自分が強くなったなと思う瞬間が間違いなく訪れる。

そして20代30代のうちに手に入れられなかったもの、成し遂げられなかったものは、40代で不意に手に入ったりするからどうかワクワクしていてほしい。ずっと縛られてた鎖や肩に乗った重荷がいきなり消えたりするから期待していてほしい。もちろん40代は40代のしんどさがあるけども、20代30代が思うよりはずっとずっと、楽しい。

先日、映画コメンテーターのLiLicoさんの本を読んだ。47歳の時、当時46歳だった純烈の小田井涼平さんと結婚した彼女は「仕事が軌道に乗るまでに22年かかった」とも書いていた。「晩婚も遅咲きもHappyに変えて」というのがその本のタイトルだ。世の中にはそういうことだってある。
花はいつ咲くか分からないし、何度枯らせて咲かせたっていい。だから周りとあまり比べず流されず、自分のペースで、いいこともしょうもないことも全部「これがいつか、いいネタか肥料になるんだな」と思いつつ暮らしてほしいな…と思うのであります。

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