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彼はセフレ?彼氏?彼に大切にされるとはどういうことなのですか?【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2019.10.30
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“【お便り募集】文筆家ひとみしょうさんにあなたのお悩み解決してもらいませんか?”にお悩みを送ってくれた方の中から、ピックアップしてひとみしょうさんが解決していきます。

〜「みーこさん 35歳」のお悩み〜

初めまして、みーこといいます。

現在、付き合って半年(出会って13年)の彼氏(41)がいます。元々、彼とは彼氏→セフレ→彼氏といったフラフラしててよくわからない関係がずっと続いています。

お互い結婚の話はあまりしませんが、彼はもう結婚はしないと言っています。

セフレ期間のほうが長く、お互いのことには干渉せずにきたせいか、今もほとんど連絡もしませんし、デートもしません。1週間~2週間に1度会ってセックスするだけ。

最近、気持ちがあるだけで、セフレと変わらないことに気がついたんです。

私が1度距離を置きたいと話して、すぐにまた戻ったんですが、その時だけは連絡もマメで愛情表現もしてくれて。

それは、すぐになくなりました。

私が病気でも、あまり心配してるふうには聞こえない文面です。

大切にされるってなんだろう?ってわからなくなってきて、最近では精神的にも辛くて喉のつまり感がどんどん悪くなってきました。

だんだん自分が惨めに思えてきて、いっそ別れた方がいいのか、好きだから自分が変わるしかないのか、どっちにしても辛いだろうなと思います。最近では、「彼が結婚でもしてたら」と、変なことまで考えるようになりました。

私はどうしたらいいのでしょう?

〜ひとみしょうさんのお悩み解決コラム〜

みーこさんも彼も、自分のことが自分で淋しいから、相手を必要としている(中途半端な関係とわかっていて別れることができない)ということです。

彼は、自分の人生に対して、なぜか淋しさを抱いている人です

みーこさんに限らず、セフレなのか彼氏なのかよくわからない関係を続けていて、別れたいけど別れたらつらいと思って別れないままの人って、わりと多いように思います。相談メールをお寄せくださる方の中に多くて、相談メールを送るという発想のない人たちの中には少ないのかもしれませんが、でも、なんだか多い気がします。

そのような相談メールを読むたびに、相談メールをくださる女性にではなく、その恋人に(つまり彼氏に)、「ぶっちゃけ、彼女のことをどう思っているのか」と問いただしたい衝動に駆られます。が、もちろんそんなことはできないので、これまでは彼の気持ちを推測してきました。たとえば、彼は乙女心を知らない、犯罪レベルで不器用すぎる男なのではないか?などと推測してきました。

がしかし、最近、そんなふうには彼の気持ちを推測しないことにしました。彼が犯罪レベルで不器用な男であれ、彼女の人生に対する責任を追いたくないと逃げ回っている確信犯的な男であれ、結局のところ彼は、自分の人生に対して、なぜか淋しさを抱いている人なのだろうと思うようになったからです。

彼のこと・みーこさんのこと

さて、そのような視点から、みーこさんの彼の気持ちを推測するに、彼はみーこさんのことをある意味では必要としているはずです。彼氏→セフレ→彼氏……というあいまいな関係であっても、その関係を成立せしめているのは、彼がみーこさんの存在を真剣に必要としている、その切実さだろうと思うからです。

一方、みーこさんも、ある意味では、彼のことを切実に必要としているのだろうと思います。そして、みーこさんの場合は、その切実さプラス、女として彼氏に大切にしてもらいたいという、いわば女性が正当にもつ乙女心のようなものが加わっているように感じます。

利己的な恋愛・利己的なセックス

誤解しないで聞いていただきたいのですが、みーこさんや彼氏がもつ切実さとは、ある意味では利己的なものです。つまり、自分のことが自分でなぜか淋しい、その淋しさをどうにかしてもらえることを相手に望んでいるということです。

こういうのを、ぼくは、漠然とした淋しさと呼んでいます。

漠然と淋しい人は、たとえば、セフレ→恋人→セフレ……というのを繰り返します。エッチしている最中(抱かれている最中・彼女に温かく包み込んでもらっている最中)は、少なくとも淋しさを感じることがないからです。また、自分は淋しいという事実は、誰にでも言えることではないので(みなさん自尊心があるから)、一度セフレになり、その味をしめた人は、セフレ→恋人→セフレ……というのを繰り返すのです。エッチの相性がそれなりに合うと、その繰り返しはさらにひどくなります。

なぜあなたは淋しいのか?なぜ彼は淋しいのか?

ところで、なぜあなたや彼は淋しいのでしょうか?

たとえば、本当は「こう」生きていくのがベターだと自分で(本当は)わかっているにもかかわらず、そのわかっていることに素直に生きられないから、漠然と淋しいのです。

「本当はこう生きていくべき」というのをわかっている自分と、そう生きていない自分とが、心の中で葛藤している、その葛藤する自分を、もうひとりの自分が見て葛藤する――この葛藤が漠然とした淋しさの素(もと)なのです。

具体的には、彼は、本当はみーこさんと結婚する気が(あまり)ないのだから、早めにみーこさんを手放し、みーこさんが他の誰かと幸せに結婚するのを応援したほうがいいとわかっています。でも彼は、自分のことを精神的にも物理的にあたたかく迎え受け入れてくれるみーこさんがいないと、漠然とした淋しさに苦しむから(きわめて生きづらいから)、みーこさんのことを手放せないのです。

一方、みーこさんは、彼といても明るい未来などないとわかっています。どこかで別れという痛みを受容し、人生の次のステージに行くべきだと知っています。でも漠然とした淋しさを彼に癒してもらわないと、淋しくて苦しくて生きている心地がしない(時がある)から、彼とお別れすることができなのです。

彼に大切にされるとはどういうことなのか?

彼に大切にされるとはどういうことなのか?これは、自分がもつ漠然とした淋しさを自分の力で消すことができた時、瞬時に理解できます。いわゆる「精神的に自立したオトナ」になれば、自分を大切にするということがどのようなことなのかが直感でわかり、ひいては、愛しい人を大切にし、大切にされるということがいかなることなのか、わかるからです。

いま、漠然とした淋しさを抱えている人が本当に多いと、ぼくは思います。多くの人が、「ふつうに」生きていくうえにおいて必要な希望を見出すことを困難だと思っているのだろうと思います。

つまり、多くの人は、自分の人生に、大なり小なり絶望しているのだろうと思うのです。

どうすれば希望を見出すことができるのか?

どうすれば絶望せずに済むのか? 逆説的にいえば、どうすれば希望を見出すことができるのか?

これはなかなか難しい問題です。

がしかし、1つ答えのようなものを言うなら、「わたしは淋しいです」と、正直に言える友達を、彼以外に探すことです。漠然とした淋しさをわたしたちは隠そうとしますね。プライドがあるから。淋しいヤツと人に言われたくないから。隠そうとするから、暗がりに紛れるかのようなセックスをせざるをえなくなるのです。隠すから漠然と淋しくなるのだし、隠すから状況がよけい悪化するのです。

彼以外に「わたしは淋しいです」と言える友を持つと、みーこさんの心は自然に開かれますよ。そしたら、「なんだ、みんな大なり小なり淋しいのだ」「淋しさをガソリンにエッチするのは、なにも100%悪いことでもないのだ」と思えてくるでしょう。

そう思えた瞬間、みーこさんの次の人生の扉が開かれます。

お互いがんばって生きていきましょう!

(ひとみしょう/作家)

※参考 『死に至る病』キルケゴール(鈴木祐丞訳)講談社(2017年)

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