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20代女子が抱える漠然とした不安や淋しさの正体とは?

  • 2019.10.21
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不安や淋しさには2種類あります。原因がわかっているものと、わかっていないものの2つです。

たとえば、彼氏からLINEが返ってこないから不安だ(それゆえ淋しい)という場合は、彼氏からLINEが来さえすれば、その不安や淋しさは消えてくれますよね。

なので、原因がわかっている不安や淋しさは、さほど問題ではありません。その原因を「潰す」ことができればそれでいいのだから。

問題は、原因がわからない不安や淋しさです。

この正体はズバリ〇〇です、というところから、今回はお話したいと思います。

20代女子が抱える漠然とした不安や淋しさの正体とは?

正体はズバリ葛藤です。

漠然とした不安や淋しさの正体は葛藤です。

たとえば、なんとなく不安で、なんとなく淋しい人のなかには、いわゆる自分探しをする人がいますよね。

自分探しをする人とは、たえず葛藤している人です。「こうありたい自分」と「実際の自分」との差異に葛藤している人です。

葛藤すればやがて、なんらかの答えが出て、葛藤する気持ちがおさまり、「こうありたい自分」で生きていけるのではないか?

と思うかもしれませんが、そうはならないところにこの手の葛藤のやっかいさがあります。

葛藤はなぜ消えてくれないのか?

では、葛藤はなぜ消えてくれないのでしょうか?

答えは、あなたが「過去の自分を世間に隠そうとしているから」です。

たとえば、一流の音大を卒業して、世界で演奏活動をしたいと思っていた女子がいます。

その人は、コンクールに落ちまくって、結局、大学卒業後、地元に戻ってピアノの先生をすることになりました。

世界的に有名なピアノ演奏家の道を、なかば閉ざされてしまったわけです。

彼女は「こうありたい自分」と「今の自分」との差異に葛藤します。

それだけならまだ救いようがあるのですが、彼女は「世界的な演奏家になれなかった自分(つまり今の自分)」を隠すようになりました。

彼女の心を、漠然とした不安と淋しさが襲います。

やがて彼女はピアノの先生を辞めて、コンビニに行くとき以外は自室に引きこもるようになりました――――――

というのが、おそらく誰もが理解しやすいであろう「葛藤・隠蔽」の正体なのです。

隠さないようにするには

もっと一般的な女子を例に挙げるなら、受験に失敗した過去を隠す、いじめられていた過去を隠す、お父さんがいなかった過去を隠す、お父さんに甘えたいと思っていた自分を隠す、彼氏にフラれて追いすがった過去を隠す……

などなど、隠すことが、漠然とした不安や淋しさをあなたの胸に運んできているのです。

では隠さないようにするにはどうすればいいのでしょうか?

1つには、友だちに過去を喋る、ということがありますね。

あなたが知っている「漠然とした不安や淋しさをあまり感じてなさそうな女子」って、性格がわりとオープンでしょう?

彼女は、たとえば自分の黒歴史や中二病みたいなところを、周囲の人にあけすけに話しますよね?

「わたし、元カレのことが好きすぎて、東京から静岡まで彼氏にエッチしに行ったんだけど、会ってくれなかった」とかと。

「会いに行った」と言えばいいものを、彼女はわざわざ「エッチしに行った」と言います。

聞き手に対するサービス精神でそう言っているのではありません。彼女の本質は「ダサい自分を世間にさらす」ようにできているのです。

友だちに言えない人は?

では、友だちに言えない人はどうすればいいのでしょうか?

具体的な方法として、環境を変えてあげることが挙げられると思います。

たとえば、「大学デビュー」という言葉がありますね。

高校まではいじめられ、死にたいと思っていたものの、自分のことを知る人のいない大学に入ったとたん、友だちに恵まれ、死にたいと思わなくなった。

それどころか、毎日が楽しく「お母さん、わたしを産んでくれてありがとう」と思えるようになった、とか。

社会人であれば、転職先を探すとか、いったん働くことをやめて留学を検討してみるとか、さまざまな方法があると思います。

世界的に支持されている「漠然とした不安や淋しさの消し方」

漠然とした不安や淋しさのことを、「絶望」と端的に言っている世界的哲学者がいます。

彼は、究極的には、この世に生まれてきた使命を知り、それに生きることが、漠然とした不安や淋しさを消す方法だと説きます。

たとえば、法要のあと、お坊さんが「人はみな使命をもってこの世に生まれてきます」と言うのを聞いたことのある人もいると思います。

その使命を知り、その使命に生きることが、漠然とした不安や淋しさを消す方法だ――――――

この説は、現在、世界的な定説となっています。

「今」を感じることの大切さ

もう少し話のサイズを小さくして述べるなら、「感じること」を大事に暮らすことです。

過去のことを隠そうとする人は、自分の心の中で、絶えず自分の過去と対話している人です。

つまり、言葉の世界に生きており、せっかく外部に向かって無限に開かれている感覚器官が死んでいる人です。

たとえば、いまステキな風が吹いてもそれに気づかない。あるいはステキな花のにおいに気づかない。空が青いことに気づかない。

なにか美味しいものを食べていても「え? うん、美味しいけど、それがなにか?」と言う。

少し強い言い方をすると、「五感が死んでいる」んですね。

「言葉」はつねに過去で、「感じる」はつねに今だから、五感が死んでいる人とは、今を生きていない人だといえます。

「今」を「感じる」つまり、せっかくもって生まれた五感に働いてもらう……。

漠然とした不安や淋しさにとらわれている人は、これができていないのです。

おわりに

漠然とした不安や淋しさのやっかいな点は、どこに行こうとなにをしようと、それがついてくるところにありますね。

気晴らしに友だちとお茶していても、あなたの漠然とした不安や淋しさはあなたについてくるでしょう?

「ちょっと家に置いて出かけるわ」というわけにはいかないでしょう?

だから、漠然とした不安や淋しさを抱いている人は、ホントに苦しんです。

誰かわたしの心の火を消してよ!もうなにをされても怒らないから、とにかく早く消して!……これがホンネでしょう。

そういう人は、できるだけ、今を感じる工夫をすることです。1つの工夫だけでは改善されません。毎日少しずつ、今の「今性」を感じる工夫をし続けることです。

そしたらやがて、漠然とした不安や淋しさは消えてくれます。少しずつ、向き合ってみてくださいね。

(ひとみしょう/作家)

(愛カツ編集部)

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