1. トップ
  2. 役所広司が熱演!オリンピック東京開催に尽力した嘉納治五郎とは<いだてん>

役所広司が熱演!オリンピック東京開催に尽力した嘉納治五郎とは<いだてん>

  • 2019.9.29
  • 955 views
9月29日放送の大河ドラマ「いだてん―」では嘉納治五郎(役所広司)の死が描かれた
(C)NHK

9月29日(日)に放送された大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」(毎週日曜夜8:00-8:45ほか、NHK総合ほか)では、役所広司演じる嘉納治五郎の死が描かれた。

【写真を見る】第37回(9月29日放送)には平沢役の星野源が再登場した

同作は宮藤官九郎が脚本を務め、中村勘九郎と阿部サダヲのダブル主演で描く日本のスポーツの歴史物語。日本で初めてのオリンピックに参加した金栗四三(勘九郎)と、日本にオリンピックを招致した田畑政治(阿部)が奮闘する姿を描く。

講道館柔道の創始者でもあり、”日本スポーツの父”と呼ばれる嘉納は、アジア初のIOC委員となった人物。

日本のオリンピック初出場のために奮闘し、1912年のストックホルムオリンピックに選手団団長として参加。その後はオリンピック初のアジア開催を目指して東京招致に奔走し、同作には金栗四三篇からこれまで登場し続けている。

嘉納について同作のスポーツ史考証を務める筑波大学教授・真田久氏は、「これまでは柔道の嘉納治五郎というと、神様のように奉られてきましたが、『いだてん―』の嘉納治五郎は、喜怒哀楽がはっきりし、それでいて理想を見失わないキャラクター、つまり人間味のある人物として描かれていると思います。教育者やIOC委員としての治五郎の資料と照らし合わせると、実像に近いと思います」と語る。

また、嘉納が残した功績については、「日本のスポーツにとっては、オリンピックを通して国際舞台への道を開いたこと。オリンピックを契機に、陸上、水泳、テニス、サッカーなど様々なスポーツが世界に繋がっていきました。オリンピックに果たした功績としては、日本でのオリンピックの開催の意義を世界に認めさせたことでしょう。アジアでの初開催だけではなく、オリンピックを世界の文化にするために日本開催が必要だということを世界の人々が認めたということです」と話す。

そしてそんな嘉納の行動には、「オリンピックの理念にはスポーツによる平和な社会の建設という理想があるので、日本での開催により、治五郎の提唱する『精力善用・自他共栄』(スポーツや教育で得た自身の力を目的に応じて効率よく活用し、特に他者のために尽くすことで、自分と他者がともに繁栄すること)の考えを広め、平和な社会を実現しようとしていた」という思いが込められていたという。

最大の危機にあっても、“逆らわずして勝つ”、という姿勢

1938年、 嘉納はカイロでのIOC総会から帰国する船・氷川丸の中で息を引き取った。

晩年の嘉納について真田氏は、「カイロでのIOC総会に出かけるとき、東京の返上やロンドンの突然の立候補(実際にはすぐに取り下げた)などの状況を聞かれた時、治五郎は『今からそんなことを心配したら頭がはげる。いざとなれば柔道の奥の手を使うまでさ』とユーモアたっぷりに出かけました。最大の危機にあっても、逆らわずして勝つ、という姿勢だったのでしょう」と話す。

嘉納の逝去にあたってIOC委員から送られた追悼メッセージからは、「いかに治五郎が尊敬されていたか分かる」とのこと。

作中にも登場したIOC会長のラトゥール伯爵は、「嘉納氏の逝去は単に日本にとって偉大なる損失たるに止まらず、全世界のスポーツ界にとってもまた同様である。氏は青年の真の教育者であった。我々は嘉納氏の想い出を永く座右の銘として忘れないであろう。あたかも兵士のごとく氏は自己の義務を遂行しつつ逝った。しかし氏はもっと永く生きて氏の生涯の夢であった東京オリンピックを見るべきであった。この東京オリンピックこそ、氏が日本のあらゆるスポーツを今日の高き標準に引き上げるため費やした永年の労苦に対する報酬であったであろう。日本の全スポーツマンに対し、我々の最も深き哀悼の意を伝えたい」とメッセージを寄せている。

10月6日(日)放送の第38回では、嘉納の死によって組織委員会は求心力が失われ、さらに日中戦争が長期化し1940年の東京オリンピック開催への反発が強まる様子が描かれる。

嘉納が夢見た東京オリンピックは果たして開催できるのか、今後の展開に期待が高まる。(ザテレビジョン)

元記事で読む
の記事をもっとみる