1. トップ
  2. 【TAO連載vol.11】旅が私に教えてくれること。

【TAO連載vol.11】旅が私に教えてくれること。

  • 2019.7.26
  • 946 views

先日、上海国際映画祭に出席する機会があった。

第9回の連載でも書いた『Lost Transmissions』という作品のプレミア上映に加え、光栄にもアジアンニュータレントアワードという授賞式のプレゼンターも務めさせていただいた。

プレゼンターを務めた時。自己紹介は覚えたての拙い中国語でがんばりました!

滞在中は自由時間も割とあり、観光する時間が取れた。

最後に上海に来たのは8年くらい前だった気がする。その時すでに、上海は近代的な都市だと認識していたが、今回久しぶりに訪れて驚いた。

毎年のように新しい路線が開通している地下鉄はSF映画のセットのように近未来的で、その清潔さにビックリした。

地下鉄だけではなく、街中が本当にきれいでゴミひとつ落ちていない。人々も親切で、言葉が通じなくても助けてくれようとする人がたくさんいた。そして目を見てニコッと笑ってくれる、温かい心を持っていた。

温かかった中国のファンの人たち。またすぐに戻ってきたいと思わせてくれます。

ではどうして私はそれらの事実に驚いたのだろう。それは「イメージ」と差があったからだ。

アメリカに住んでいて、たくさんの中国人の友人がいる。アメリカで生まれたチャイニーズアメリカンもいれば、中国から来た移民の友だちもいる。彼らが私に与えてくれた「中国人のイメージ」というものは言わずもがな良いものであった。だから友だちになってきた。

ただニューヨークに10年住んでいた私にはどうしても「中国の人はきれい好き」というイメージが持てていなかった。マンハッタンの南側に位置するチャイナタウンが汚くて有名だからだ。道はゴミだらけで夏の暑い日には生臭く、ひどい臭いがする。おいしいレストランがあったり、安くて新鮮な八百屋さんがあったりするエキサイティングなエリアではあるが、ニューヨーカーの中では「チャイナタウン=汚い、臭い」などの印象で通っている。

もちろんどこの国だって個人差はあると常に念頭に置いているつもりだが、アメリカの環境下で暮らす中国人たちを「中国人全体のイメージ」として捉えてしまっていたのだ。なんて不公平な先入観で見ていたんだろうと思い、自分を恥じた。

では日本における「中国人のイメージ」はどうだろう?爆買いという新しい言葉が生まれるくらい、日本経済を助けてくれている景気の良さはポジティブに捉えられているかもしれない。ただ、夕方のニュースなどでは、中国人観光客のマナーの悪さ、などを特集したりしているのを見る。観光地でルールを無視したり、ゴミをポイ捨てしたり、などというもの。またはホテルの監視カメラに映った清掃員が便器のスポンジでコップを洗っている、など。皆さんも一度はそんな報道を見たことがあるのではないだろうか?

このニュースを見ることによって私たちの頭には無意識にイメージが作られる。それはほとんどの場合、ネガティブなものではないだろうか。

実際に私は日本で中国人観光客のマナーの悪さを目の当たりにしたことはない。中国国内でどれだけのホテルの清掃員たちが便器スポンジを部屋の掃除に使ってるのか知る由もない。ないのに、ニュースの影響で、いかにもたくさんそんなことが起こっているかのように思い込んでしまう。

こういったネガティブなニュースはたくさん目にするものの、逆に現在の上海がいかに先進的で国際的であり、道も驚くほどきれいなことなどは報道では見ない。自分の国に影響を及ぼす問題がある面しかニュースで取り上げないのはどの国も似たり寄ったりだが、悪いニュースばかり見させられている私たちは果たして物事の本質、真髄を知ることができているのか。知ろうとしているだろうか?

上海滞在中、南京東路近くにある外資系ホテルでパーティに出席した。

実はまったく知らない人の誕生日会だったのだが、ホテル側の気配りで招待してもらった。そこで出会った若者たちは私を見て「えーTAOちゃんじゃん! なんでいるのー⁉」と流暢な日本語で話しかけてくれた。

ひとりやふたりではなく、英語と日本語を堪能に使いこなしている人たちがたくさんいた。私と同年代、もしかしたらもっと若い人たちだったかもしれない。彼らは上海、北京、台湾といろいろなところから集まってきているファッション系の仲間たちだった。

私を知っていてくれたこともうれしかったし、何よりその語学力に驚かされた。

その夜、そのホテルマネジャーとゆっくり話す機会があった。同じように英語も日本語も達者な彼女はいろいろな国を旅したあと、上海に拠点を戻した現地の30代女性だった。

Google、YouTube、Instagramなどのサービスやアプリの使用が制限されている中国本土では、海外から来るお客さんの不満や疑問も多くあるらしい。「こんなに規制がかかった国に住んでいるのって不便じゃないの?」「自由が奪われているとは思わないの?」そういった発言を毎日のように聞かされているマネジャーの彼女は、初対面の私にも隠さず熱を帯びてこう言った。

「私たちだって不自由の中に自由を見つけられている。自分の国の不自由さに気付くこともできていない人たちに、私たちの自由が何なのか判断される筋合いはない!」

グサッときた。

そのとおりだ。私たちは前述のニュースのように、情報によるイメージ操作をされていることがあるかもしれないのに、多くの人がそれを疑いもしないで生きている。与えられているものや、見えているものだけがすべてであり、それ以外の世界は自ら求めなければ存在すらしない。

今回上海を久しぶりに訪れることができて、現地の人たちと触れ合うことができて本当に良かった。旅以上に学べるものはない。いつも、自分がいかに狭い世界で生きているかを思い知らせてくれる。

おいしいものを食べたり、ビーチリゾートでゆっくりするのもよいが、海外に行くならやはりローカルな声を聞いて、旅の醍醐味を味わってほしい。

最近の日本の若者は海外旅行に行ったり、留学しようとする欲がないと聞く。外に出なくても日本国内で十分に幸せだからなのだそうだ。私はその人たちの「幸せ」が何だが決めることはできない。「知らない方が幸せだ」、一理あるのかもしれない。

でも私は知りたい。お隣の国で、地球の裏側で人がどんなふうに暮らしているのか、一生をかけてでもなるべく多く見たい。私の「幸せ」が色鮮やかになるから。

有名な近未来的夜景にため息。

元記事で読む
の記事をもっとみる