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山崎ナオコーラ映画連載「映画マニアはあきらめました」 第5回は吉田羊主演の「ハナレイ・ベイ」 <ザテレビジョンシネマ部>

  • 2019.7.26
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「ハナレイ・ベイ」
(C)2018『ハナレイ・ベイ』製作委員会

【写真を見る】サメによって息子を亡くした母を演じる吉田羊

山崎ナオコーラが映画をテーマに等身大でつづるエッセイ。第5回は村上春樹の短編を原作に、吉田羊が息子を亡くした母役を繊細に演じる人間ドラマ「ハナレイ・ベイ」を観る。

第5回「ハナレイ・ベイ」

「チェアリング」という言葉がある。

野外で使用できる軽量の椅子を持って出掛け、あちらこちらでのんびりすることだ。軽い食事をしたり、飲酒をしたりもする。

私は現在妊娠中のため酒が飲めなくて、お茶を飲むだけなのだが、桜の時季や新緑の時季に、近所の川へ出掛けて、椅子に座って長い時間ぼんやりするのは気分が良かった。

そうして、「ハナレイ・ベイ」を観て、「これは、チェアリング映画だ」と思った。

主人公のサチ(吉田羊)は、19歳の息子のタカシ(佐野玲於)を亡くす。サーフィン中にサメに右脚を食いちぎられ、溺れてしまったのだ。場所は、ハワイのカウアイ島のハナレイ・ベイ。知らせを受けてハワイへ行き、亡きがらに対面して、それから火葬などの事後処理をしていくサチは、泣いたり、異常な行動をしたりといった、身近な人を亡くした直後にありがちな表情や行動は一切見せず、淡々と動いている。

同行した警官から「個人的なお願いがあります。どうか、今回のことで、この私たちの島を恨んだり、憎んだりしないでほしいのです」と言われたところで、イエスともノーとも答えず、ただ、じっと聞く。警官は続けて、「大義がどうであれ、戦争における死は、それぞれの側にある怒りや憎しみによってもたらされたものです。でも自然はそうではない。自然には側のようなものはありません」といった、ちょっと踏み込み過ぎにも思えるセリフも出す。サチは無表情で聞く。そして、遺された荷物をとりあえず受け取り、手形の受け取りは拒否し、日本に帰る。

サチは、日本でピアノ・バーを経営している。そして、その後は毎年、秋の終わりの命日の近くの3週間を休みにして、ハナレイ・ベイを訪れ、ただひたすら浜辺に椅子を置いて海を眺める。

【写真を見る】サメによって息子を亡くした母を演じる吉田羊
(C)2018『ハナレイ・ベイ』製作委員会

これが、「チェアリング」という行動に私には見えた。サチは多くを語らないし、表情も変えない。でも、ひたすら海の側にいる。太陽が動いたら、日なたから日陰に椅子を移動させて暑さをしのぎ、とにかく海の側にいる。それは、喪失感のなせるわざだ。息子に想いをはせたくて、あるいは、グリーフ・ケアを自分でしたくて、しないではいられないのに違いない。また、あの警官からの呪いのような言葉を必死で受け止めようともしているのだろう。自然災害で亡くなるというのはどういうことなのか。自分は島を受け入れられるのか。

この映画の原作は村上春樹の「東京奇譚集」に収められた短編小説「ハナレイ・ベイ」だ。全体としては、村上春樹には珍しく中年の女性が主人公だったり、美しいリゾートが舞台だったりして、「村上春樹っぽさ」をあまり感じられないが、戦争と絡めて自然災害を捉える視点にはやっぱり村上春樹節がある。

毎年、ハナレイ・ベイで「チェアリング」をしてきて10年目、サチは、日本人サーファー、高橋(村上虹郎)と三宅(佐藤魁)に出会う。孤独好きなサチには珍しく、この2人と小さな交流をする。2人は、タカシが亡くなった年頃と同じくらいに見える。

それにしても、村上虹郎の存在感はすごい。登場した途端に、「わあ、映画だ」という雰囲気が画面に広がる。これから大物になる俳優なんだ、というのがひしひしと伝わってきた。

「ハナレイ・ベイ」
(C)2018『ハナレイ・ベイ』製作委員会

佐藤魁の素人っぽいしゃべりも良かった。逆にリアルな感じがして、ハワイにおける「日本人」が浮き上がったし、空間が和んでいたし、村上虹郎といいバランスができてすばらしかった。佐藤魁という人を私は初めて知ったのだが、プロ・サーファーらしい。やっぱり、かっこいいサーフィンのシーンがあると映画がしまる。

原作では、この2人は、もうちょっと軽い扱いなのだが、映画では重い役割を担い、かなり魅力的に描かれる。

知り合いのレストランでピアノを弾かせてもらったサチは、たまたま食事に来ていた高橋と三宅とテーブルをともにする。その時、元海兵隊員に絡まれる。

この元海兵隊員も、原作以上に重い役割を担っていて、戦争と絡めながら自然災害で身近な人を亡くすことについて語る。

日本とアメリカの関係や、戦争によって人を亡くすことについての言及は、サチの「息子を自然災害で亡くす」という物語とは無関係のはずなのに、しっくりと世界観になじんでいるのは、村上春樹らしさだし、監督の松永大司による小説の深い読解のたまものだ。

サチと、この高橋と三宅という日本人サーファーの交流は、この元海兵隊員とのいざこざによってさらに深まるのだが、とはいえ、息子について多くを語るわけでもないし、友情というほどのものを築くわけでもない。

でも、この関係のおかげで、光明が見える。

身近な人を亡くした経験のある人は、後半になるにしたがって、ぐっと胸に迫ってくるものがあるだろう。

私も、亡き父のことや、流産の経験、今いる子どものことを思った。

明るい光の中でさらりと死が語られるので、それぞれの喪失体験が思い出しやすくなる。

ラストもスッと終わって、短編小説らしさがあって良かった。

文=山崎ナオコーラ

山崎ナオコーラの「映画マニアはあきらめました!」
KADOKAWA

作家。1978年生まれ。2004年にデビュー。著書に、小説「趣味で腹いっぱい」、エッセイ「文豪お墓まいり記」「ブスの自信の持ち方」など。目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。(ザテレビジョン)

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