1. トップ
  2. シャネルに魔法をかけた、カール・ラガーフェルド。ファッション業界のカリスマを、今もなお想う

シャネルに魔法をかけた、カール・ラガーフェルド。ファッション業界のカリスマを、今もなお想う

  • 2019.7.18
  • 2569 views

「他人にとって現実であるより、現れては消える幻でありたい」と生前に語ったデザイナー、Karl Lagerfeld(カール・ラガーフェルド)。半世紀以上、ファッション業界のカリスマとして君臨したカールは、私にとっては、現実のスターデザイナーであり、ファッションが紡ぎ出すファンタジーに降臨した神であった。

ファッション業界のカリスマが去った、あの日

ファッション関係者やモデルの憧れとして君臨したカール・ラガーフェルド

2019年2月19日。ロンドンコレクション最終日で、ロンドンにいた私は、ショーを見ながらも、その日のうちにミラノに立つこともあり、何かしら慌ただしい気分で過ごしていた。そこへ東京の編集者からメールを受信した。「カールの逝去について、ロンドンはどういう反応ですか?」と。

一体、何のこと?

もう5か月近く経っているにも関わらず、いまだに実感が湧かないカール・ラガーフェルドの逝去について、知った瞬間だった。

急な情報に混乱しながら、2日後に開催されるミラノのフェンディは、そしてパリのシャネルのコレクションはどうなるの? と、とっさに頭を駆け巡った。

Alexander McQueen(アレキサンダー・マックイーン)の若い死に、胸がつぶれる思いをしたことはある。しかし、カール・ラガーフェルドがどれほど年齢を重ねようと、その存在が消えてしまうなど、想像したことすらなかった。する必要がなかったからだ。

「生きるレジェント」として君臨し続けた、カール・ラガーフェルド
ファッション業界に多大なる影響をもたらした、カール・ラガーフェルドという存在(C)CHANEL

カールは自らも「心のどこかで、私は生きるレジェンドになる。そういう運命なのだと信じていた」(書籍『The World According to Karl』より)と、自覚的であったほど、カールの放つオーラは、創造力、ユーモア、知性、ゴージャス感、品格などファッションが求めるものを包括して輝き、それがなくなるということは、ファッションの世界から大きな何かが欠落するに違いなかった。

カールが存在しないファッション界など、想像もできなかったのだ。

2019-20秋冬プレタポルテコレクション(C)CHANEL

最後のコレクションとなったシャネルのショーは、今、どの瞬間も切り取って差し出せるほど、鮮やかに胸に焼きついている。いくつかある私の生涯忘れられない、コレクションのひとつになるだろう。そしてその一瞬を思い出すたびに、その場に身を置いていた幸せが蘇り、選ばれた素晴らしい瞬間の積み重ねだけが創り出せる、永遠の伝説となる場に、居合わせることができるファッションジャーナリストという職業を、誇りに思うのだ。

会場の内観(C)CHANEL

恒例の会場グラン・パレに一歩踏み入ると、そこはカールとシャネルが作り出した魔法の世界が広がっていた。白の雪に覆われた架空の高級スキーリゾート「シャレーガーディニア」100mにも及ぶ、雪のランウェイだ。

カールが不在などと信じられないほど、いつものように、とびきり華やかでありながらシャネルらしい、機知とユーモアに富んだステージが目の前にあった。招待状は雪の結晶が薄いグレーの濃淡に描かれていたが、私には、今にも水滴に変わりそうな結晶のスケッチが、涙ぐんでいるようにしか見えなかった。

「The beat goes on,,,,」と書かれた、ラストコレクションで配布されたカード(藤岡さん私物)

座席には、カールが描いた、ココ・シャネルとカールが並ぶイラストに「The beat goes on,,,,」と書かれたカードがそれぞれに置かれていた。やがて訪れる何を予感してこのスケッチを描いたのだろうか。

そしてショーが始まる前に1分間の黙祷。静寂を破ったのは以外にもカールの肉声であった。シャネルのアーティティックディレクターとして仕事を始めた経緯を語っていた。

その依頼を受けたとき、人々は口をそろえて「やめたほうがいい。最悪だ。もう終わったブランドだ」といった。
今でこそ、古いブランドを再生していくのが当たり前だが、当時は誰もそんなことはやっていなくて、新しい名前や新しい世界が必要とされていた。
だからそれを聞いて、むしろ面白いじゃないかと思ったんだ。その状態も含めて、すべてが。だからみんなが「やめておけ。うまくいくはずがない」といったけれど、二度目に打診をされたとき、引き受けることにしたんだ。
でも結果的にそれは、ブランドがファッションシーンに見事に返り咲く初めてのケースとなった。誰もが、英国の皇太后さえが、欲しいと思う存在にね。彼女が車から降りてきた姿は、今でも忘れられない。僕達は花から何まで本当に美しく整えて準備をし、彼女は英語でこういったんだ。
「あら、まるで絵画の中を歩いているようね」と。あのことは一生忘れられないだろうね。

淡々と語るカールの声は穏やかで、36年の長きに渡るシャネルとの充実した仕事ぶりをかいま見せた。

コレクションの準備をするカール・ラガーフェルド(左)

今でこそ、老舗ブランドに気鋭のデザイナーを抜擢し、再興を図るのは当たり前の手法だが、1983年当時はまだ例がなかった。創業者であるココ・シャネルが亡くなって以降、「シャネルは墓に戻る」とまでいわれた経営不振にあえぐブランドを手がけ、83年にオートクチュール、84年にプレタポルテコレクションを開催し、高い評価を得てシャネルは見事に返り咲いたのである。

常に新しいことにチャレンジし続けた、ファッション業界の逸材

「シャネルはファッションより良いもの、つまりスタイルを残した。そしてスタイルは古くならないのです」そして「シャネルのスタイルを進化させたかった。過去を知り、その積み重ねの上に、より良い未来を作ろうと」とガブリエル・シャネルへの敬愛と絶対的な愛があったからこそ、シャネルのルネッサンスというべき復興と、華麗なる現在の発展があることを示唆している。

天才と称され「世界に認められた」才能あふれる逸材

早熟であり、多角的な才能を発揮したデザイナー(C)CHANEL

享年85歳。1935年9月10日、ドイツのハンブルグの裕福な家庭に生まれた。14歳でパリに移住。16歳のとき、国際羊毛事務局(以降IWS)開催のコンテストで、コート部門でグランプリをとる早熟な天才だった。

同時期にドレス部門のグランプリを取ったのが、イヴ・サンローラン。パリオートクチュール組合が経営する学校の同級生であり、卒業してからも、良きライバルとして存在し合い、ときには愛人を取り合うなど紆余曲折はありながら、ふたりは親友であったと、のちに雑誌のインタビューで答えている。

カール・ラガーフェルドが自ら撮影した『The Little Black Jacket』

ポップでキッチュ、ファッションデザイナーにしてカメラマン、本も書いて出版する。ドイツ人だけどフランスが大好き。そして、不世出の才能を持つカール・ラガーフェルドを得て、不死鳥のように蘇ったシャネル。

たくさんの魔法と神話が絡み合ったツィードのように、カラフルで起伏に富むカール・ラガーフェルドの物語は、亡くなってもまだ終末を見せず、これからも、カールの迷宮でうっとりと彷徨っていたいと願う私たちの気持ちを見透かしたように、鼓動を打ち続けている。

一生忘れられない、魂を揺さぶられたコレクション

■1:衝撃が走った「マイ・ファースト」コレクション
1988年春夏コレクション

忘れられないコレクションは数え切れないほどあるが、もちろん最初に見たコレクションは、感動と衝撃でこれがパリコレクションかと震える思いで見たのを覚えている。

’90年代の初頭、当時シャネルのミューズであったイネス・ド・ラ・フレサンジュが、煙草を燻らせながら、余裕の笑みを浮かべステージでゆっくりウォーキングした(今はあり得ないステージ上のタバコ、コレクション会場は禁煙です)ときの、肩の力を抜いた感じが、いかにもパリの洗練と成熟した女性を感じさせ、その大人の雰囲気に初めて飲んだシャンパンのように酔ってしまい、ぼんやりと熱気に曇った頭を抱えながら、やたら高揚していたのを覚えている。

ツィードのジャケットを着たパンツ姿のイネスの姿が、今も目に鮮やかに蘇ってくる。

■2:ファッションがアートと化した「ベルトコンベア」コレクション
1997年春夏 プレタポルテ コレクション

カールといえばアートとの関係性が常に存在する。「アート」をテーマにしたオブジェを置き、会場を美術館に見立てたコレクションも大好きだった。

だが、その前にも、ベルトコンベアをまるで空港のバゲッジコントロールのように見立てて、会場に設置。黒いピラピラのカーテンから、モデルがマネキンのようにポーズをつけて登場し、そのまま一周し、黒のカーテンの中に消えてゆく…という演出のダイナミックさと前衛性には、圧倒された。

まるで回転寿司のようにシャネルの服が現れては、去ってゆく。当時は回転寿司が、ヨーロッパではポップな文化として注目されていて、スノッブな回転寿司店が、高級ブティックに併設されていたりした。

2018-19年 秋冬コレクション

その同時期、ヨーロッパの知的階級を震撼させていた、日本のパフォーマンスアーティスト「明和電機」のベルトコンベアアートへの強い関心もあったのではないか、と推測している。

アートには常に広く門戸を開放して吸収するカールの近作では、リプラントできる森を背景に見せたコレクションがあったが、これも日本の建築家である石神純也の「水庭」に共通する思想が感じられた。

石神さんにその話をした時に「カール・ラガーフェルドから食事に自宅に呼ばれて、その話をしましたよ」と聞いたので、ふたりのアーティストの間には、刺激し合う何かが確実に存在したと感じた。

そしてカール・ラガーフェルドは、シャネルでは、ユーモアあふれたセンスで、カールの刻印をしっかりと刻み、シャネル以外の何物ではないものに昇華させていた。

■3:ゴージャスなイメージを決定づけた「カールとスーパーモデルの関係」
1996年 春夏 オートクチュールコレクション会場にて、モデルのNadja Auermann(ナジャ・アウアマン/左)、Naomi Campbell(ナオミ・キャンベル/中)らとともに

イメージを決定づけたのは、何よりも’90年代を駆け抜けた、スーパーモデルの存在だ。思い出に残るコレクションというより、シャネルとカール・ラガーフェルドのゴージャスなスーパーモデルたち…リンダ・エバンジェリスタ、シンディ・クロフォード、クリスティン・ターリントン、ナオミ・キャンベルらだ。

ステージに現れるだけでも華やぐのに、当時の演出は三人一緒のウォーキングなど、ゴージャス×3または×2が主流で、華やかさがあふれんばかりであった。

女優顔負けの美貌と、スタイルも良いサラブレッドのようなスーパーモデルとシャネルは、これ以上のインパクトはないほどの好相性。まさにお互いが絶対的な引き立て役であり、その中心には必ずカールがいた。

1987年 春夏コレクションでInès de la Fressange(イネス・ド・ラ・フレサンジュ)とともにランウェイを歩くカール・ラガーフェルド
1996年春夏コレクションのバッグステージで、モデルのNaomi Campbell(ナオミ・キャンベル/右から2人目)、Kate Moss(ケイト・モス/右)らとともに

ココ・シャネルと同じように、数々の金言を残したカール・ラガフールドの言葉の中で、私が最も好きな言葉を、これからも心に刻んでゆきたいと思う。

「恥ずかしくない容姿は、人々にあなたの内面に、より興味を持たせる後押しをする」

左が著者。10年ほど前、ローマで開催されたパーティーにて

逆説的でもあり、なんという、うんちくに富んだ言葉だろうか。

元記事で読む