1. トップ
  2. アイデンティティを解き放て! 「ヴォーギング」が与えた夢。

アイデンティティを解き放て! 「ヴォーギング」が与えた夢。

  • 2019.6.12
  • 672 views


アイデンティティを解き放て! 「ヴォーギング」が与えた夢。
2019.06.12 18:00
ハーレムのとあるボールルームでヴォーギングというダンス現象が発生してから半世紀。現在、メインストリームで再流行の兆しを見せている。LGBTQコミュニティの自己表現やアイデンティティの解放を目指すこのムーブメントの歴史をたどる。

ヴォーギングの誕生。


多くの人にとって、ダンスやファッション、サブカルチャーとしての「ヴォーギング」と繋がる唯一のきっかけとなったのは、マドンナのヒット曲「VOGUE」だったかもしれない。あるいは、1990年のドキュメンタリー映画『パリ、夜は眠らない』やNetflixオリジナル番組「ル・ポールのドラァグ・レース」といった人気のおかげで、ヴォーギングがどんなものかを知った人もいるだろう。


ヴォーギングが誕生した場所は、1960年代ニューヨークのボールルーム。ハーレムのブラックコミュニティや、ラテンアメリカの同性愛コミュニティが生み出したとされている。それから1960~80年代にかけて、街のドラァグコンテストは見世物的なパーティーからヴォーギングを競うものへと変化。LGBTQの出場者は「Executive Realness」や「Town&Country」といった大会に参加し、トロフィーや「ハウスファミリー」の評価を競った。


「ハウス」は時として、有名なファッションブランドにちなんで名付けられ、ファミリーのメンバーは、ハウスの名を冠していた。たとえば、現代のウォーキングスターであるアジア・バレンシアガやダショーン・ランバン、タミヤ・ミュグレー、セザール・ヴァレンティノといった具合だ。ジェンダーやセクシャリティ、人種のために社会の隅に追いやられた彼らを受け入れたのは、80年代ニューヨークのゲイコミュニティの周縁に存在していたボールルームだったのだ。


ヴォーギングは、『VOGUE』の表紙でポーズをとるモデルにインスパイアされたダンスだが、古代エジプトのヒエログリフや体操の動きにも影響を受けている。その振り付けは白人の女性らしさを皮肉を込めて記号化したパロディであることが多く、美しさやセクシャリティ、気品の“理想”を讃えたり、あるいは批判するような内容だった。ドキュメンタリー『パリ、夜は眠らない』(1990年)で、ボールに通う1人はこう表現している。


「ヴィーギングは私たちにとって、名声や富、スターダムやスポットライトすべてを手に入れようとする行為だった」


ヴォーギングはボールルームに通う人々にとって、エイズ危機への反応も含め、自分たちのストーリーを語るためのツールだったのだ。出場者は『VOGUE』のモデルをマネて、静止ポーズや、メイクアップや髪のスタイリングの動作を再現した。ヴォーギングは競技であり、もっとも上手く技を決めることができた者が勝者となった。

世界のマドンナの登場。


80年代後半になると、ヴォーギングのスタイルにも変化が訪れた。正確なラインや対称性、シャープな角度を重視した「オールドウェイ」から、次第に、流れるような動きや柔軟性を取り入れた「ニューウェイ」へと進化し、ダックウォーク(しゃがんだ状態で足を蹴り出しながら前進する)やキャットウォーク、スピン、ディップ(ドラマチックに床面に崩れ落ちる)といった動きが加わった。現在では、ニューウェイをさらに厳正化したものとともに、「ヴォーグフェム」と呼ばれる女性らしさを極端に誇張したようなスタイルや、デスドロップ(床面に倒れ込むと同時に再び跳ね起きる技)のような高度な技も競われている。


ヴォーギングのシーンが大きくなるにつれ、マドンナをはじめとする多くのスターが惹きつけられた。マドンナがヴォーギングに出合ったのは80年代、ニューヨーク・マンハッタンにあるサウンド・ファクトリーというクラブだった。このダンスにたちまち魅了された彼女は、ドミニカ出身のダンサーで、有名チーム「ザ・ハウス・オブ・エクストラバガンザ」のメンバーだったホセ・グティエレスを訪れ、ビデオの振り付けとヴォーギングのトレーニングを受けたのだった(ホセはマドンナのワールドツアー「Blond Ambition」にも同行している)。その後、90年にはマドンナのシングル売上が世界30か国で第1位にランクインし、ヴォーギングは一躍国際的に知られるようになった。

自由は失われない。


誕生から50年近くを経て、いま、ヴォーギングがメインストリームで再流行しつつある。今月、ザ・ホセ・エクストラバガンザはアメリカ版『VOGUE』編集長のアナ・ウィンターとともに、メトロポリタン美術館で1カ月にわたって開かれるプライド運動やストーンウォール事件の50周年記念の一環として、「Battle of the Legends」大会のジャッジを務める。世界でも、FKAツイッグスリアーナアリアナ・グランデビヨンセといったポップスターをマネて、ダンススクールではヴォーギングが次世代に受け継がれている。

マドンナの影響により、当時は、社会の周縁にあるカルチャーを独占する行為やその著作権についての議論が巻き起こった。ヴォーギングがメインストリームへと波及し、グローバルな反響を得たかもしれないが、このムーブメントから独自の言語が失われることはない。


ヴォーギングには、新しいスタイルやコミュニティが出現しても、あるべき姿をとどめる強さがある。ハーレムで誕生したものが、今では世代を超えたグローバルコミュニティにまで発展したのだ。そして最近では、2016年にオーランドのナイトクラブで起きたパルス襲撃事件の犠牲者のため、ロンドンのグループが徹夜で踊った映像が急速に拡散されたのも記憶に新しい。


LGBTQ+の権利が脅かされている国では、ヴォーギングは、同性愛者が伸び伸びと自己表現できる空間だ。突き詰めると、ヴォーギングは本当の自分を表現する行為であり、自分が伝えたいストーリーや見せたいパフォーマンスを披露する自由なのだ。

Text: Sarah Schijen

元記事で読む
の記事をもっとみる