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津南・雪が残してくれた幻の古代布・アンギン

  • 2015.3.20
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多くの縄文遺跡が発掘されている新潟県の津南町。そのなかに、暮らしに使われていた布があります。その名もアンギン。初めてみたときに植物を人の手で編んだ力強さ、編み目の美しさにはっと目を奪われてしまった私。「暮らしと、旅と...」津南編vol.3は、幻の布といわれるアンギンを農と縄文の体験実習館「なじょもん」で編んでみます。

アンギンとは、イラクサ科のカラムシという草を編んだ布のこと。編衣(あみぎぬ)が語源となってアンギンと呼ばれるようになったのではないかといわれています。なぜ幻の布なのかというと、昭和28年に津南町と長野県栄村とにまたがっている秋山郷で発見されるまで、鈴木牧之の書いた「秋山紀行」など、近世末期におけるこのあたりの衣生活資料として文献上にしか登場しない布だったから。一見どこにでもありそうな風情をしながらも、すっかり姿を消してしまっていたアンギン。1953(昭和28)年に津南の民俗学者、滝沢秀一によって秋山郷にあるのがわかり、その際にひとりだけ編み技術をもった人も発見されました。以降、その時代の報告書を参考に、“未来へつなぐために編み技術を保存しなければ”と、「なじょもん」の佐藤雅一さんを始めとした地域の人たちが保存活動に取り組んでいます。

そうと聞かずとも、佐藤さんの手元にあった名刺入れは今まで見たことのない風合いの編み布で、私には特別の素材に見えました。「なじょもん」では、他のスタッフも同様に素敵なアンギンの名刺入れを持っています。

そこで、私も名刺入れを作るべく、アンギン編みを教えられる「ならんごしの会」のみなさんの生徒になることにしました。ちなみに“ならんごし”とは、どんぐりのこと。楢の木平に「なじょもん」があるため、ナラの木=どんぐりということでこの名がつけられています。

「いやー、佐藤さんから話がきてやってみることにしたけど、実際はここまで来るのに大変だったっぺ」というのは「ならんごしの会」の世話役、宮沢サクさん。アンギンに関わって13年の立ち上げの中心人物です。現在は9名がアンギンを保存する活動をしており、今回はそのうちの6名が先生として集まってくれました。まずは編む前の段階、糸作りを教わります。先月、向島で綿から糸を撚ったのと同様、編む前にはまず糸。でも、その前には糸となるカラムシがないといけないし、カラムシを繊維状に下ごしらえしておかないと糸も作れません。大変だこりゃ。 糸を作る準備をするのは夏。カラムシをアンギンにするまでは1年がかりの作業です。材料となるカラムシは、以前は野山に刈り取りに出かけていましたが、足下が危険なので現在は自分たちで畑を作っています。7月の土用の日あたりから収穫が始まり、刈り取ったものは葉をとって長さを切りそろえたら水に浸しておきます。その後、表皮をはぎ、また水に浸します。それから、繊維を板の上でしごいて取り出す“おかき”という作業をしたあとに陰干しして繊維の出来上がりです。これはお盆までの作業。お母さんたちは同時に、家の農作業もするので大変です。畑→収穫→浸水→表皮はぎ→浸水→おかき→陰干しという段階を経てやっと繊維がとれるのです。

「おかきの作業が一番肝心よ」というのは81歳の石沢マサエさん。きれいな糸を作ることが編みやすいかどうかを左右し、最終的にきれいにアンギンが仕上がるかどうかの決め手になります。それならば、と今回はみなさんが冬にやる作業、糸を撚ることに。

繊維を裂き、ちょうどいい太さに揃えながら両手を動かして2本の繊維をそれぞれ撚りながらさらに1本に撚っていくのはかなり難しい作業です。名刺入れを作るのには15mほどの糸が必要なのに、1時間やって初心者で1mくらいしかできません。これが編むときにタテ糸になります。

アンギンを編む台の溝にタテ糸をかけ、繊維をヨコに置きながらタテ糸を編みます。この作業をひとつひとつしっかりと行い、力を均等にかけていくこと、それがきれいな仕上がりにつながります。ちなみに下の写真は私のやりかけのもじり編みで編んでいるもの。慣れないのでデコボコしていますね。 現在、アンギンはどのように使われているかというと、名刺入れやブックカバー、帽子などとしてなじょもんの売店で販売されています。なんと、上記の名刺入れの裏布は同じカラムシを素材にした織物、小千谷縮の古布でした。タテ糸を藍で染めたものやヨコ糸をサクラで染めたものなどもあり、布好きにはたまらないシロモノです。ならんごしの会では、こういった商品開発も行っており、ひとりひとりが企画して実際に作って会議で商品にできるか検討します。実は、ここにいるみなさんは生活の中でアンギンを使った経験がなく、新しい素材として日々、アンギンに向き合っています。

私は、日本酒を飲むおちょこコースターが欲しいと提案。大きなコースターではサイズがおちょこに合わないので、実際に作ってみることにしました。実は、名刺入れを作るには時間が足りなさすぎたのです。

アンギンはとても強い繊維のため、手触りはごつごつしています。でも、使っているうちにやわらかくなるのが良いところ。春先の晴れた日に1週間ほど雪にさらすと、さらにしなやかになり、手あかなどの汚れが漂白されてきれいになります。雪とアンギンは切ってもきれない関係で、雪があるからこそ縄文時代に土器を作る際に下に敷いていたとされるアンギン布の端切れが朽ちずに見つかったともいわれています。5000年前の縄文人の智慧が今も自分の手の中で繰り返されているかと思うと、タイムトリップしたかのような気持ちになりますね。まさに時空を越えた暮らしの旅へ。 「各地にアンギンはあるのですが、日本初で編み方を復元したのがここ津南なんです」と佐藤さん。

お金に換算すると値段をつけられないほどの労力がかかるアンギン編みに、なぜ「なじょもん」は力を注いでいるのかと質問をしたら、「1万年間森と共生してきた縄文時代の自然のとのつき合い方に向きあえる施設が『なじょもん』です。カラムシというものがどういう環境で生息して、資源をどう採集、加工して糸にして形にしてきたかということを知ることが大事なんです。縄文から続いてきた“編む”という原始的な行為が形に残っていることは何を意味しているのでしょうか。人間が進化した中で合理主義、効率主義のなかで意図的に捨ててきたものを見つめ、それを未来に生かすためにもアンギンが必要なんです」と答えてくれました。確かに、モノの選択肢が増えて便利になったために鉛筆削りや蝶々結びなど、身体性を使って行うものができない子もいると聞きます。

各地で植林のため少なくなった落葉広葉樹の森が残っている津南。積雪もあり、縄文時代に近い環境が人の住む場所で残っている珍しい地域だと佐藤さんはいいます。幻だった編衣、アンギンが津南で発見され、編み技術まで伝えられることができるのはこの環境が続いてきたからこそ。 「ならんごしの会」の宮沢さんのご主人、幸一さんは趣味が高じて自宅にアトリエを作り、アンギン編みをするようになりました。なんでも工夫して作ってしまう孝一さんは、のこぎりの刃を切ってならんごしの会のみなさんが使うおかきの道具も作っています。自身が3ヶ月かけて編んだという袖無しの衣を着てもらいましたが、その布の存在感といったら、この通りです。

現在は、上の写真のように布と布を合わせ平面として成り立っているアンギンですが、編み技術がもっと複雑化すると立体形状になり、ぶどうの蔓などで編んだ籠のように立つはず、と佐藤さんはいいます。もしそうなると、土器の起源にもかかわってくるかもしれない重大な発見です。信濃川中流域は、世界最古級の1万5千年前の土器がたくさん出土している土地だけに、当時の食の改善や、定住社会へのシフトなど、時代の変化がそこで証明できるのではないかといいます。さまざまな事象を組みあせながら、縄文から連綿と続く人の暮らしが津南にあることを証明していき、未来学としてつなげていく。それが「なじょもん」の存在意義で、その場所で定期的にアンギン編み体験を行っているならんごしの会の活動は智慧を未来へ継承する役割を担っていました。

私は、ひとつの布にそんな可能性があるとは知らずにアンギンに惹かれたわけですが、そのモノに光が宿っていることだけはひと目で感じることができたので、やはり相当な力強さのある布なのだと思います。きっと読者のみなさんも使い古されたアンギンを見たときに衝撃を受けることでしょう。なんだ、この布は何かが違うぞ、と。その理由は実際に編んでみることでも感じられるかもしれません。さらにいうならば、日々の生活に取り入れてみたらもっとかも?とりあえずはブックカバーとおちょこコースターを使ってみようと思います。

次回は野外へ。このあたりは、ジオパークに認定されたばかりの面白い地形の場所です。自然と歴史が物語る、縄文以前からのジオを体感しに自然観察に出かけます。

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