1. トップ
  2. ライフスタイル
  3. うつわディクショナリー#47 安齊賢太さんが生む静謐な黒の世界

うつわディクショナリー#47 安齊賢太さんが生む静謐な黒の世界

  • 2019.3.25
  • 756 views

それが美しくあるように、使う人が自由にかかわれるもの

陶芸家の安齊賢太さんは、粘土と漆を自分流にあやつって他のどこにもない黒い焼物を作り続けてきた。その黒に彼がゆだねるのは、それが美しくあるように使う人がかかわることだという。そんなうつわに刻まれていくのは、きっと人それぞれが大事にした時間や記憶だろう。そう思うと漆黒の佇まいがなんとも愛おしく見えてくる。

 

—安齊さんは白磁も作られますが、今回は黒い作品のみの展示です。

安齊:展示のタイトルは「Eyeliner(アイライナー)」。「プラグマタ」ギャラリーのオーナー、ペトロスさんからは、いつも直前までタイトルは聞かされないのですが、アイライナーは目を際立たせるものであり、それにより目は美しく見えることもあれば、しっとりと見えることもある。黒のラインがものの見え方に与える効果を僕の作品に重ねてくださっています。

 

—使い込んでしっとりと馴染んだ木工品のようでもあり、金属のようでもある独特の黒です。この黒はどのように生まれるんですか?

安齊:粘土を成形し一度焼いたあと、土に漆を混ぜたものを塗っては磨くという作業を8〜10回繰り返し、再度、窯に入れて焼き付け、さらに磨くことでこのような黒が生まれます。漆は、塗ることでものに強度を与えるので、釉薬が発明される前の縄文時代から焼物に使われていて、陶胎漆器(とうたいしっき)と呼ばれています。それに近いやり方ですが、土の生の質感を出したかったので試行錯誤の末、土に混ぜて塗るという方法に至りました。漆は土台となる焼物に黒を定着させる糊の役目をしています。

 

—8〜10回も!? そんなに手間ひまをかけてまでこの黒にこだわった理由は?

安齊:僕は京都、イギリス、伊豆で焼物を学び、2010年に地元の福島に工房を構えて独立をしました。そして、その翌年に東日本大震災が起きて、しばらくは作品を作りませんでした。その間に、それまではあまり触れてこなかった絵画や現代美術を観るようになりました。そのときに出会ったフランスの画家・ルオーの絵が、僕にとってはとても印象が深くて。

 

—どんな風に?

安齊:100年も前の絵ですが、静かなのにこちらに強く訴えかける「圧力」のようなものがすごくあった。心を揺さぶられましたね。とにかく「圧」がすごかった。いまは、3Dプリンタなどコンピューター技術で精巧なものはいくらでもできる時代です。手仕事でやっていくならば、自分もルオーの絵に感じたような圧倒的な存在感のあるものを作りたいと思った時に、頭に浮かんだイメージが、生の土の質感、それも泥粘土のぬめっとした黒でした。

 

—過去の焼物などではなく絵画がきっかけだったんですね。

安齊:僕はあえて焼物の知識をあまり持たないようにしています。1から10まで自分で考えるタイプなので、作りたいものがあることが先で、そのために何が必要かを考える。生の土の質感を意識していくと、美術館で見た古代メソポタミア文明時代の瀝青(れきせい)という天然のアスファルトの黒や、漆喰に黒を混ぜた黒漆喰の壁なども目に入るようになって、すこしずつかたちになっていきました。

 

—自分がいいと思うものをかたちにしても人がいいと思うとは限らない。そういう心配はなかったですか?

安齊:自分がいいと思うものを作ることは確かですが、それは人との共通感覚からしか生まれないとも思っています。例えば、赤という色、青という色を見た時に人が連想することって、国や文化が違っても似通っていますよね。赤なら「熱い」「元気」とか、青なら「冷たい」「寂しい」とか。ものを見る時に人が持つ共通の感覚、癖のようなもの。僕は注意深くそれをとらえて、作品をかたちづくろうとしているかもしれない。何か別のものからかたちをとって作ることはほとんどしませんね。

 

—目に見えないものをかたちの素とする。それはどういう感覚ですか?

安齊:人は、見えないものを視覚化したがる生き物だと思うんです。それも共通感覚のひとつであって、僕はそういった共通の感覚をいくつも集めたものを作品に転化できたらと考えています。それが美しくあるように、使う人それぞれが想像したり補いながら、自由にかかわれるものであれたらいい、そう思います。

 

 

※2019年3月31日まで「プラグマタ」ギャラリーにて「安齊賢太展Eyeliner」を開催中です。

 

今日のうつわ用語【陶胎漆器・とうたいしっき】

陶磁器の素材に漆塗りを施したもの。縄文時代、土器に防水効果や強度を与えるために用いられた方法だが、釉薬の発見や木に漆を施す木胎(漆器)の発展により、平安時代頃に一度は姿を消したとされる。

元記事で読む
の記事をもっとみる