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不倫はいけないことですか?【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2019.3.2
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“【お便り募集】文筆家ひとみしょうさんにあなたのお悩み解決してもらいませんか?”にお悩みを送ってくれた方の中から、ピックアップしてひとみしょうさんが解決していきます。

〜「あやさん 43歳」のお悩み〜

主人との夫婦関係は破綻しています。 特に会話も喧嘩もなく、食事も洗濯も別。一緒に出かけることもありません。離婚しないのは、子供を育てるため金銭的な協力が必要だからです。ちょっとした同居人状態です。 セックスも二人目妊娠の7年前からありません。このまま人生終わっていくのかなと空しい気持ちを持ちつつ忙しく過ごしていました。 が、ある男性に抱きしめられキスをしました。 世界が急に色づきました。心がほっこりしました。 不倫はいけないことですか。

〜ひとみしょうさんのお悩み解決コラム〜

不倫はいけないことですか?という、哲学的な質問が久しぶりに来たので、不倫について、むずかしい言葉を使うことなく、少しばかり深く、一緒に考えてみましょうか。

なぜ他人の物を盗るのは善くないのか?

不倫は善いか悪いかといえば、今の日本においては、言うまでもなく悪いことになっていますよね。今の日本においては、というのは、つまり日本の世間が、ということで、すなわち、日本の世間は、不倫を悪として捉えていますよね。

では、なぜ、今の日本の世間は、不倫を悪としているのか、という問題が生まれますね。

なぜでしょうか?

ちょっと話がそれるように聞こえるかもしれないけど、「人の物を盗るのは悪いことだ」という倫理観について考えてみたいと思います。なぜ、人の物を盗るのは悪なのか?

自分の物を盗まれたら困る人が多いから――たとえば、こういう答えがあってもいいと僕は思います。

「自分の物を他人に盗られてもまた買えばいいや」とか「貧しい人もいるのだから、そういう人が泥棒をはたらくのは仕方のないことだ」とかと思う人が多いと、「物を盗られる=仕方ないこと」ということになって「物を盗る行為=悪い行為とは言い切れない」という社会的気運になるはずです。世論は大きい方に流れるから。

道徳や倫理は多数決によって決まる?

上の話はつまり、道徳とか倫理とは、究極的には、その社会に参加している大勢の人たちにとって、都合がいいか悪いか、という基準によって決まるのではないか?という見方もできるのではないか、ということです。

道徳や倫理は、神様によって規定されている――たとえば、厳格な宗教者は、きっとこう言うかもしれません。日本人は、八百万の神様と同時に「天(お天道様がすべて見ている、の、天)」を意識するのだから、「道徳や倫理はお天道様に顔向けできるかどうかが基準だ」と思っている人もいるのかもしれない。

でも、ホントにそうかなあ?と僕は思います。

何が善くて何が悪いかというのは、その社会に属している多くの人にとって不都合・不利益なことが悪なんじゃないの?つまり、「暗黙のうちの多数決」によって規定されているんじゃないの?と、僕なんかは思うわけです。

つまり、多くの人にとって、不倫が好都合なことであれば、きっと日本の世間は「不倫=善いこと」となって、「君も不倫してるのか! ええことや! もっと頑張り!」と言うはずなんですよね。

でも今は、不倫、つまり1対1の愛の契約に第三者が介在することで、不利益を被る人(不利益を被ると思っている人)が多いから、不倫は悪となっているのではないか?と、僕は考えますが、いかがでしょうか。

仮面夫婦の関係を続けるのは善か悪か?

不倫が悪なら、あなたのように、いわゆる仮面夫婦の関係を続けるのは善か悪か?子どもにとって善か悪か、ということはよく語られているけれど、そうじゃなくて、あなた自身にとって(あなたの人生にとって)善なのか、悪なのか?

「私が我慢すれば波風が立つことなく、仮面夫婦としてやっていけるのだから、わたしは我慢します。自分の人生にとって、それが善なのか悪なのかは、考えたくないです」という人の方が多いんじゃないのかな。

仮面夫婦をやり続ける心の痛みや窮屈さ、自分のことをぎゅっと抱きしめてくれる人のいない空哀しさは、仮面夫婦をやったことのある人にしかわからない感覚です。やったことのない人と、自分の気持ちにウソをついて我慢し続けている人は、「あの人は我慢が足りないから不倫に走った下半身の緩い人だ」と考え、相手を見下します。かつての日本で、そうやって見下され、差別され、生きづらさを抱えたままこの世を去って行った女性は大勢います。たとえば、戦争未亡人に彼氏ができたケースなど。

他人の不倫を、我が事のように怒る人の心理

自分の人生にとって、あるいは、自分の心(魂・精神)にとって、何が善で何が悪か、という基準と、日本の世間における善悪の基準とは、しばしば食い違います。

このまま人生が終わっていくのかなと、空しい気持ちを持ちつつ人生を消費(浪費)するのは、きっと誰の人生にとっても悪でしょう。生が本来持つエネルギーを思えば、いわば死んでいるように生きるのは、悪と言うほかない。悪という言い方がきついなら、「善いとは言い切れない」でしょう。

その善いとは言い切れない状況が、不倫によって好転するのであれば(自分の心身をしかと抱きしめてくれる人が出てきて、人生が好転するのであれば)、それが不倫であっても致し方ないよね、という意見が必然的に生まれてくるのではないでしょうか。善悪は別にして、致し方ないという意見。

この場合、「致し方ないとは何事だ!」と怒る人というのは、無責任な人です。自分の発言に責任をとるつもりがハナからない人です。仮面夫婦をやる苦痛を知らない人です。我慢すれば何事もうまくいくはず、と思い込んでいる人です。うまくいくはず、なんて、幻想ですからね。幻想と思わないのであれば、何でもいいので、うまくいくはずと思ったことをやってみるといいです。たいてい、うまくなんかいかないのだから。

あなたが「どの多数決のゲームに参加するか」

つまり、日本の世間から見れば、不倫はいけないこと、となるし、あなたの人生から見れば、「そうとも言い切れない」となる、ということです。

問題は、あなたがどこからものを見るか、という、あなたの視点です。視点とは、「どの多数決のゲームに参加するのかを自分で決めること」です。

日本の世間における多数決ゲームに参加するから、「不倫=悪」という多数派に負けるのです。世間とはほどほどに付き合って、世間ではない何かべつのゲームに参加したなら、「不倫=まあまあ善」とか「不倫=善悪だけでは判断できない」という確信を得るかもしれません。

不倫はいけないことですか?という質問の裏には、あなた自身がどう生きるのか(どの多数決ゲームに参加するのか)という問題が隠れていると、僕は思います。

(ひとみしょう/作家)

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