1. トップ
  2. 「そんなに伊藤忠が嫌いか」 溝が広がるデサントと伊藤忠

「そんなに伊藤忠が嫌いか」 溝が広がるデサントと伊藤忠

  • 2019.2.5
  • 954 views

スポーツアパレル大手のデサントと筆頭株主である伊藤忠商事との対立は、1月31日に伊藤忠がTOB(株式の公開買い付け)を発表したことで新たな局面に入った。伊藤忠は約200億円を投じて、デサント株の持ち分を現状の約30%から約40%に買い増す。資本の論理によって圧力をかけるやり方は、当然ながらデサント経営陣の反発を呼ぶ。混迷の度合いは深まるばかりだ。

「そんなにファンドがいいのか。そんなに伊藤忠が嫌いなのか」――。伊藤忠商事の繊維部門トップである専務執行役員・小関秀一(63)はがくぜんとした。

昨年12月、経営を巡って対立するデサント社長の石本雅敏(56)から提示されたのは、投資ファンドが主導するMBO(経営陣が参加する買収)案だった。MBO後のマジョリティーは投資ファンドが握り、伊藤忠を蚊帳の外に置こうとするスキームに小関は衝撃を受けた。半世紀以上苦楽を共にしてきた伊藤忠よりも、突如現れた投資ファンドの方を信頼しているようにしか思えない。MBOのためには膨大な借り入れが必要になる。現経営陣の保身のために会社を危険に晒すのか。

小関は憤りを隠さない。「MBOを認めれば(実質的に)無借金でやってきたデサントが借金漬けの会社になってしまう。デサント側は『初期的検討であって決定事項ではない』と言っているが、初期的検討でも断じて受け入れられるわけがない。現経営陣とは目指す方向が全く違う。早急にわれわれの影響力を行使できるようにしなければ」。こうして荒業ともいえるTOBを決断した。

■2度の経営危機を共闘

デサントと伊藤忠は蜜月。少なくとも外部からは長年そう見られていた。

「いろいろな分野にチャレンジする会社になる」。1998年2月、デサント社長(当時)の飯田洋三は、デサントと伊藤忠の共同出資会社ノーティカジャパンの設立会見で挨拶した。この年、デサントは売上高の4割を占める「アディダス(ADIDAS)」のライセンス事業が打ち切られる経営危機に直面していた。世にいう“アディダス・ショック”である。伊藤忠出身の飯田は人員削減を含むリストラを断行するとともに、「ライセンスでも商標権でも、取り組むに足るブランドとなら契約する」と語り、主に伊藤忠経由で欧米ブランドを次々に導入して収益源の穴埋めに奔走した。

米ブランド「ノーティカ(NAUTICA)」もその一つだった。スポーツアパレルのデサントにとっては畑違いのファッションブランドだが、スポーツ専門店の卸主体のビジネスモデルから直営店による小売事業拡大を見据えた戦略だった。

記者会見で飯田と並んで登壇したのが、ノーティカジャパン社長に抜擢された48歳の岡藤正広(69)だった。岡藤は当時から伊藤忠のブランドビジネスの立役者として知られた実力者だった。後に伊藤忠の社長に上り詰め、現在は会長CEOとして君臨する。かつて自分が再建に尽力したデサントから反旗を翻されるとは想像もしていなかっただろう。

デサントは経営危機のたびに伊藤忠と結びつきを強めてきた。アディダス・ショックの14年前の84年、ゴルフウエア「マンシングウェア(MUNSINGWEAR)」の過剰在庫によって大規模な赤字を計上し、最初の経営危機に見舞われる。このとき、伊藤忠から役員として送り込まれたのが飯田だった。飯田は業績の立て直しに成功し、その手腕が買われて94年、創業家の石本恵一(石本雅敏の父)から社長を引き継いだ。これ以降、3代・19年間にわたって筆頭株主である伊藤忠出身者がデサント社長の椅子に座り続けることになる。

■韓国偏重が過去の危機と重なる

しかし、デサントの生え抜きの幹部には、伊藤忠出身者がトップに居続けることへの不満が蓄積していたようだ。

石本恵一が死去してわずか2カ月半後の13年2月、デサントと伊藤忠の“不仲”が世間に知れ渡ることになる。取締役会において、伊藤忠から派遣された取締役らには事前の連絡がないまま、伊藤忠出身の中西悦朗の社長退任と常務取締役だった石本雅敏の社長昇格が決議された。その後、伊藤忠が派遣する取締役は代表権を持たない取締役会長と非常勤の取締役のみとなり、経営への影響力は低下していった。

伊藤忠の色が薄まった石本体制の5年間は、業績的には文句のつけようがない。石本が就任する直前の13年3月期と直近の18年3月期を比較すると、売上高は約1.5倍の1411億円、経常利益は約1.7倍の97億円と大幅に伸びた。

ただし上乗せ分の大半は韓国事業だ。10年に韓国法人社長に就任した取締役の金勳道(50)の手腕によって、「デサント(DESCENTE)」「ルコックスポルティフ(LE COQ SPORTIF)」がカジュアルファッションとして急成長を遂げた。15年3月期には韓国の売上高が日本を逆転する。18年3月期の韓国事業の売上高は719億円で、全体の売上高の5割超、公表されていないが営業利益のほとんどを稼ぎ出していると見られている。

歴代の伊藤忠出身の社長がなしえなかった高度成長を達成し、アディダス・ショックの大きな穴を埋めた。さらに過去最高業績を更新し続け、時価総額も右肩上がりになった。石本は自信を深める。16年には21年3月期を最終年度にした長期構想「ビジョン2020」を発表し、売上高2000億円、経常利益160億円を掲げた。実現すれば、かつては売上高で2〜3倍離されていたミズノとほぼ同規模になる野心的な構想である。

それでも伊藤忠は石本のやり方を不安視する。市場規模が日本の半分以下の韓国にのめり込む姿に、人気失速を見抜けず過剰在庫を抱えてしまった「マンシングウェア」の失敗と、営業利益の大半を1つのライセンスブランドに依存してしまったアディダス・ショックを重ねるのだ。韓国事業に頼り切る収益体質は危険だ。ほとんど利益貢献できていない日本事業、進展が遅い中国事業にもっと注力すべきではないかーー。小関は再三、石本に訴えてきた。デサントは中国を日本、韓国に続く戦略的マーケットに位置付けているものの、伊藤忠側は遅々として進んでいないと批判する。

18年に入ると、対立は泥仕合の様相を呈す。

6月に伊藤忠会長CEOの岡藤が自ら石本と会談し、事態の収拾に動くも決裂。伊藤忠はデサント株を8月までに約28%まで買い増す。8月末にはデサントが伊藤忠出身の取締役に事前に知らせることなく、ワコールホーディグンスとの包括提携を結んだ。10月上旬には伊藤忠がさらに約30%まで買い増した。そして同月25日発売の「週刊文春」に「伊藤忠のドン岡藤会長の”恫喝テープ”」といった見出しとともに、6月の岡藤・石本会談の音声データが流出する。年末のデサントのMBO案の提示を受けて、伊藤忠はデサントに事前に知らせることなくTOBを発表した。

■「デサントがデサントらしく」

伊藤忠のTOB発表に対して、デサントは現時点(2月5日朝)で正式な意見表明や記者会見も行なっていない。そのためメディアには伊藤忠側の言い分ばかりが飛び交っている。デサントおよび石本の胸の内は分からない。

昨年10月30日、デサントは中間決算の記者会見を大阪で行った。「週刊文春」の報道直後だったため石本の発言に注目が集まったが、「コメントしても水掛け論、泥仕合になる」として、詳しい反論は控えた。それでも「私たちは社員と共にこれまでと変わらず、こらからもデサントがデサントらしく成長できるように全力で取り組む」と語ったのをはじめ、会見中は「デサントがデサントらしく」という言葉を繰り返した。

石本の「デサントがデサントらしく」という意味深な発言の真意は何か。伊藤忠からTOBを突きつけられた対応の中で、今後見えてくるのか。

いずれにしても確かなのは、スポーツ企業にとって今は場外乱闘に割く時間はないということだ。

19年のラグビー・ワールドカップ日本大会、20年の東京オリンピック・パラリンピック、21年のワールドマスターズゲームズまでの3年間は“ゴールデン・スポーツイヤーズ”と呼ばれ、国内市場に千載一遇の商機が訪れると言われている。経済発展が著しい中国や東南アジアでは欧米のメガブランドがスピード勝負のシェア争いを繰り広げられており、停滞している暇はない。両者の対立が泥沼化し、本業の足を引っ張る最悪のシナリオは避けなければならない。

(敬称略)

元記事で読む
の記事をもっとみる