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明るいキャラで“浪速のエンターテイナー” フィギュア友野一希の強み

  • 2019.1.24
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2年前、将来への期待をこめて取材したジュニア選手は、着実に結果を残し、日本を代表するスケーターになりつつある。人気もうなぎ上りの友野一希選手に、再び会いに行った。

なにをどのぐらいやれば、世界と戦えるかが見えてきた。

「以前は、褒められるなら、“かっこいい”がいいと思っていましたけど、最近は、考えを改めました。“かわいい”って言ってもらえるだけでも、ありがたいなって」

そう言って、人懐っこい笑顔をカメラに向ける友野一希選手、20歳。シニアにあがる直前に取材してから2年。そのかわいさは相変わらずだけれど、氷上では、本人も「正直、びっくりしている」と明かす躍進を見せた。なかなか結果が出なかったジュニア時代とは対照的に、シニア1年目の昨シーズンは、補欠で初出場した世界選手権でいきなりの5位入賞。今季はグランプリシリーズのロシア杯で初の表彰台。全日本選手権では表彰台に一歩及ばなかったが、四大陸選手権への出場を決めた。

「いまは、“先が見えるスケート”ができていると感じています。もちろん、4回転ジャンプは、最低でももう1種類は必要ですし、スピンやスケーティングもまだまだ。羽生結弦選手や宇野昌磨選手に比べれば、未熟なところだらけ。それでも、なにをどのぐらいやれば、彼らと戦えるのかが見えてきて。北京五輪に出場するという目標も、より明確になりました」

言葉の奥には決意が覗く。明るいキャラクターそのままに、楽しい演技で観客の心をつかんできた“浪速のエンターテイナー”は、表現力でも新境地を見せた。

「いままでは、自分のスケートや気持ちを前面に出して滑るだけでした。でも、今季のショート『ニュー・シネマ・パラダイス』では、映画の中で描かれているいろいろな愛の形を、音楽にのせて、観ている方に届けるという、これまでとは違う思いの伝え方ができるようになった気がします。演技後には、経験したことがない拍手や会場の空気に包まれて、自分はこういう曲を演じたかったんだな、って気づきました。いまでは、いちばんのお気に入りです」

ショートを振り付けたウズベキスタンのフィギュアスケーター、ミーシャ・ジーさんとの出会いも、成長を後押ししている。

「彼は、僕がまさにそうなりたいと目指している、美しい演技から楽しい演技までできるスケーター。ありがたいことに、振付の先生という枠を超えて、スピンやステップなどの技術まで、本当に熱心に指導してくださっています」

競技を忘れ、大学の仲間と過ごす時間も大切。

オフアイスでの過ごし方も、結果につながっているのだろうか。現在は、同志社大学スポーツ健康科学部の2年次生。「見てのとおり、普通の大学生です」と繰り返すように、自宅からリンク、大学へは、いまも電車通学。この日もキャップにパーカというスタイルで、ひとりでふらりとやってきた。

「私生活では、フィギュアスケーターの友野一希は捨てて、大学の友だちと焼き肉を食べに行ったり、会話したりする時間を大切にしています。スケートのことばかり考えていると、ストレスがたまってしまうので。仲良くなるのは、自分と同じように、なにか本気で目指しているものがある人。逆に、漫然と学生生活を送っているような人は苦手かなぁ。大学の友だちからは、よく“やっぱり大阪人だね”って言われるんですけど、なにが大阪人ぽいのか、自分ではよくわかりません」

と、笑う。トレーナーの袖口が図らずも萌え袖になるほど、本当に華奢。体重は、なんと48kg。

「日本のブランドのXSサイズしか着られないんですよ~」と嘆くが、氷の上に立てば一転、どこにそんな力を秘めていたのかと思うほど、エネルギッシュに舞う。最後に来季への思いを聞いた。

「グランプリファイナルに行って、本気でメダルを目指したいし、ショートで100点台という異次元枠にも行きたい。でも、その前に、四大陸選手権の表彰台です」

友野一希 1998年5月15日、大阪府生まれ。4歳からフィギュアスケートを始め、17歳の時に出場した世界ジュニアで初めて“世界”を経験。意識が変わり、飛躍を遂げている。

※『anan』2019年1月30日号より。写真・わたなべよしこ スタイリスト・壽村太一 取材、文・

(by anan編集部)

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