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【TAO連載vol.4】認められない自分を、認める方法。

  • 2018.12.25
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私のインスタグラムにて読みたいテーマを募集したところ、(随時募集中!)ある方からこんなメッセージをいただいた。

「自分が認められない(合格ラインにいなかった)時の気持ちの切り替え方」

いやはや、大変難しい問題である。

職業によっても違ってくるかと思うので、私のやり方が参考になるかはわからないが、私自身向き合ってみたいテーマだったので文字に起こしてみることにした。

遡ってお話しすると、まず私がモデルを始めたきっかけは友だちから身長が高いことをからかわれ、コンプレックスに感じるようになったからだった。多感な時期、自分の生まれ持った体型は周りから認めてもらえていなかったし、男子から恋愛対象として見られる女子としての合格ラインからは程遠いところにいた。その状況を変えたくて、自信を持ちたくてモデルになった。なれたこと自体は、親にもらった身体に感謝する他ない。

始まったモデル生活だが、ひどく難航した。オーディションを受けても受けても落ちまくる日々が続いた。それが常だったので、受かった時にはすごく喜んだが、選ばれないことには慣れてしまっていた。

ただずっと悔しいという気持ちはあり、腹の底では「いまに見てろー!」という野心で燃えたぎっていた。というかそれが自分のモチベーションだった。どこどこのブランドが好きだから、あのカメラマンの写真が好きだからとかいうよりは、「あの人に認められたい。前回決まらなかったぶん今回は見返してやりたい」という思いが原動力であった。その気持ちのドライブは、モデルを始めたきっかけから何も変わっていなかった。

そんな失望が溜まりに溜まったモデル10年目の年、引っ越した先のニューヨークで予期せぬ”モーメント”に恵まれ、選ばれる側から、だんだん選ぶ側に立つようになった。

特に日本からは、ちょっと前まで箸にも棒にもかからなかった雑誌やブランドから、カバーや広告のオファーが舞い込んだ。こっち(海外)の仕事を優先していたこともあり、スケジュール的にできないものがほとんどだったが、うれしくてたまらなかった。やっと認めてもらえた! と思った。

そこから4年経った年に、映画のオーディションを受けることになった。右も左も分からないままやった荒削りだが自分なりの「芝居」というものが評価を受け、大勢の競争から自分が選ばれた。

初めての挑戦に心が躍ったが、何の経験もない自分が選ばれたことにバッシングもたくさんあるだろうと覚悟した。でも誰に何と言われようと、これは「誰かを見返すためにやるんじゃない、自分がやりたくてやるんだ」と強く感じた。そんなふうに思えるものに出合えたことが奇跡だと思った。なぜなら自分はこの「逆境」がないと、やる気が出ない呪いにかかっているんではないかと思っていたからだ。

そんなビギナーズラックから早6年が経ち、今年私は女優として、壁にぶちあったった気がしている。

もう少しで撮影に入る、といった段階で製作自体が打ち切られたり、最後の最後で役から外れてしまうといったことが立て続けに起こった。「オーディションに落ちまくる」ことに慣れている私でも、俳優活動の方がモデル活動よりもひとつひとつのプロセスが長いぶん、気持ちの切り替えに時間がかかってしまう。

「この役をやりたい!」と思う気持ちが強ければ強いほど、それは引きずってしまう。では誰が「認め」られ、「合格」したのだろうか? 時間はかかってもいずれは答えが明らかになる。そして大抵の場合、それを見て納得する。自分にないものを持っている人が選ばれている場合が多いからだ。「こういう人を探していたならしょうがない」と気持ちの切り替えがつく。いくら「芝居」とはいえ、向こうが求めている役のイメージに近い”人間としての素質”が自分の中にない場合、その素質を持っている人が選ばれるべきだと思う。

しかし去年から今年にかけて、長い間気持ちの切り替えられない一件があった。ビデオオーディションの選考を突破し、監督と相手役の俳優とした最終オーディションでは、珍しく自分が満足できる演技ができたと思った。監督と、同席したキャスティングディレクターが私を褒めちぎったのを見て、「絶対決まった!」と確信した。数日後にエージェントから聞いたのは、私との間で迷っていたもうひとりの女優に決定したという残念なニュースだった。その女優は同じくアジア系で、私のようなモデル出身、私のように英語が第二外国語、そして私よりも経験が少なかった。私の中でその女優の情報量が少なかったぶん、なぜなんだ。なぜあの人で、私ではないんだ? と、とても落ち込んだ。

もしそこに明確な答えがあって、それを改善することによって私の「合格率」が上がるなら、今後のためにもぜひ参考にしたい。しかし大抵のオーディションは、選ばれなかった理由を教えてはくれない。明らかな大差もあり得るし、気にしてもしょうがない僅差も十分にあり得る。もうこうなったら忘れるしか方法はない。次に熱くなれる作品に出合うことを待つしかないのだ。

その後決まった作品に全力投球し、その一件も忘れたと思っていた頃に、その映画の完成が近づき、色んなところで宣伝を目にするようになった。忘れたと思っていた悔しかった気持ちがまた蘇ってしまった。なんで私じゃなかったんだろうという気持ちがまた生まれてしまった。そして同じ頃に、続いていた他の仕事がピタリと止んでしまった。

まず焦った。ジタバタした。何が悪いのか、何が足りていないのか自己分析をした。

そこから私は学び直すことにした。忙しさにカマをかけて、しばらく取っていなかった演技のクラスや殺陣のクラスを取るようになったり、ずっと続けている英語の個人レッスンを増やしたり、さぼっていた歌やピアノの練習を再開したり、いままで観ていなかった映画作品をとことん観漁った。

このフィガロジャポンの連載が始まったこともすごく助けになった。文字にする、発信するということがセラピーになった。

そして何より毎日を大いに楽しんだ。夜な夜な心許せる友だちとおいしいものを食べ、おいしいお酒を飲み、語って、歌って、たくさん笑った。

そうこうしているうちにその映画の話は耳にしなくなり、だんだんと私の尖った感情も削ぎ落ちていった。

努力をしたからだとかではないし、気持ちが切り替えられたわけでもないと思う。ただ気を紛らわせているうちに、時が解決してくれたのだ。

結果を言うと、私も気持ちの切り替え方をまだ知らない。ただ今回気を紛らわし、じっとその悪天候が過ぎるのを待つ、というやり方を知った。

時間はかかるし、気持ちの浮き沈みはもちろんある。

ただそんな時、「この世界は98%がリジェクション(拒絶)」という誰かの言葉を思い出し、有名で成功している俳優たちもこの「リジェクション」と闘ってきているのだ、自分だけじゃないんだと思うことで希望を持ち直す。

私はとっても不得意なのだが、過去に評価されたものを思い出し、それに感謝と自信を持ち直すことも有効だと思う。自分は過去にこれを成し遂げれたんだからきっとこれからだって大丈夫! というように。

そしていちばん大切な、自分はこの仕事を「誰かのため、誰かに認められるため」にではなく、「好きだから、誰に何と言われようとやりたいから」やっているんだという自分への誓いを思い出すようにしている。

笑う門には福來たる。笑がいちばんの心の薬。

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