1. トップ
  2. お仕事
  3. “カルチャーのあるブランド”に惹かれたことが美容の入り口でした - 美容コーディネーター・弓気田みずほ

“カルチャーのあるブランド”に惹かれたことが美容の入り口でした - 美容コーディネーター・弓気田みずほ

  • 2018.12.11
  • 1064 views

美容コーディネーターとして、化粧品開発や販売、広告に関するアドバイザーとしてのみならず、女性誌では“正しい化粧品選びの指南役”としても活躍する、弓気田みずほさん。 日本すっぴん協会では全3回にわたって、弓気田さんに美容に関するインタビューを敢行! 1回目は、弓気田さんが美容の道に進むまでのお話を伺いました。

日本すっぴん協会
―現在美容コーディネーターとして活動される弓気田さんは、伊勢丹在籍時には化粧品のカウンセリングサービス「ボーテ・コンシェルジュ」*の立ち上げにも携わったそうですね。 美容にまつわるキャリアは、どのようにスタートしたのでしょうか?

弓気田さん:子供のころに遡りますが、私の母はどちらかというとシンプルケア派で。おしゃれな女性ではあったんですけれど、ポイントメイクなどはあまりしていなかったんですね。

だんだんと高校生くらいになってくると、“どうしてうちにはメイク品がないんだろう”と不思議に思い始めまして。また、私はもともと絵が好きで、画材などを集めることも好きだったんです。メイクのものも、色がいろいろとあってキレイだなと思っていました。

*伊勢丹が開始した、化粧品ブランドの枠を越えて顧客にカウンセリングを行う百貨店初のサービス。来店する顧客の肌悩みや使用アイテムなどを聞き取り、伊勢丹に出店する化粧品ブランドの中から最適なアイテムを顧客に提案している。

―確かに、絵画とお化粧は通ずるところがありそうですね。

弓気田さん:先にメイクの方に関心を持って、高校時代には、当時雑誌のヴァンサンカンが出していたムック本が、メイクの写真や製品の写真がキレイで買っていましたね。そこにスキンケアの記事も載っていたので、次第に知識がついて自分でもお手入れするようになって。 あとは、通学路の近くに化粧品のお店があると、立ち寄ってパンフレットをいただいたりもしていました(笑)。

―かなり美容に関心があるタイプの学生時代だったんですね!

弓気田さん:そうだと思います。大学はビューティーとはまったく関係のない文学部に進みましたが、アルバイトを始めてもう少し化粧品にお金をかけられるようになったので、例えばデパートでカウンセリングをしていただいて化粧品を買ったり、自分の好きなブランドを見つけて、そこに定期的に通って肌を診ていただいたり、そんなことをやっていましたね(笑)。

―カウンターデビューも早いですね(笑)。

弓気田さん:そうですよね。それに、けっこう“刷りもの”と言いますか、ブランドが出しているパンフレットを見るのも好きだったんですよ。 学生時代はイプサのカウンターに行くことが多かったんですけれど、イプサは当時、おしゃれな読み物を出していました。デザイン的にも面白くて、素敵な文化を感じて。 “カルチャーのあるブランドって好きだな”と思っていたんです。変ですよね(笑)。当時は化粧品のパンフレットをもらったら、ブランドごとにアコーディオンファイルにファイリングしたりしていましたね。

―就職活動の資料になりそうです(笑)。

弓気田さん:それらしい感じですよね(笑)。ですから、そういった“刷りもの”を作る人になれたらいいなという気持ちさえあって、就職活動は化粧品と、当時は文化的な起業活動の多かった百貨店の2分野を中心に受けていました。最終的に伊勢丹から内定をいただいて、入社することになったんです。

―念願かなって。

弓気田さん:当時就職氷河期の一歩手前くらいで心が弱りきっていたんですけれど(笑)、どうにか内定をいただくことができました。 ただ、その時点では化粧品とは縁が切れたと思っていましたけれど、入社してすぐにハンドバックや靴を扱う服飾雑貨の店頭に配属されまして、となりのフロアには化粧品があったんですね。縁が切れたようで切れていなかったです。

日本すっぴん協会
―それから伊勢丹では、どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか?

弓気田さん:最初の店舗での勤務を経て、3年目に新宿店に異動しました。そこではオリジンズ**の販売を担当し、その時に初めて化粧品の販売研修を受けて。 その後は本社部門を経て、やはり化粧品に関わりたくて別店舗でイプサの美容部員を1年ほど担当させていただき、再び新宿店に戻りました。 新宿店で新しいことをやりたいということで、「ボーテ・コンシェルジュ」の立ち上げに携わることになったんです。

**'95年に日本に上陸したアメリカ発のナチュラルスキンケアブランド。'13年に日本から撤退した。

―「ボーテ・コンシェルジュ」は、訪れるお客さんが化粧品ブランドの枠を越えていろいろな製品をおすすめしてもらうことのできる、画期的なカウンターサービスだったんですよね。

弓気田さん:ありがとうございます(笑)。 当時はアットコスメがスタートしたり、VOCEや美的といった美容誌が創刊したような頃で、化粧品の売り方や情報も一気に広まったような時期でした。

そんな時に伊勢丹としてはオンリーワンのサービスを始めたいということで、4名のメンバーが集められて、サービスを立ち上げることになったんですね。

―弓気田さんにとっても、大きな仕事になったと感じていますか?

弓気田さん:はい。お客様には、一度“購入しなくてはいけない”というプレッシャーなく話をできるような場をご提供しようということで、肌の状態やこれまで使ってきたブランド、アイテムなどをお伺いして、その方にふさわしいブランドとの出会いを提供する“仲人さんのような役割を果たすサービス”を始めようということになったんです。 当時私は、そのリーダー的な役割を務めさせていただくことになりました。

―立ち上げですから、いろいろと苦労されることもありましたよね。

弓気田さん:準備期間が3か月ほどで、最初の仕事は当時伊勢丹に入っていただいていたブランドさん全てに「こういうコンセプトでサービスを始めたいので、(そのブランドの商品に関する)トレーニングを受けさせていただけないでしょうか」とご連絡するところからでしたね(笑)。 短いところで2日間、長いところでは1週間ほどトレーニングに通い、合計40ほどのブランドのコンセプトや商品に対する理解を深めていきました。

―実際にボーテ・コンシェルジュとして店頭でお客様と向き合ってみてからは、どのようなことを感じましたか?

弓気田さん:今になって思うと、お客様1人1人がどのような美容をしたいかということをくみ取って、かたちにして差し上げることが一番大切だったんだろうと思います。例えばたくさんのステップを踏むような、手をかけた美容をしたいのか、シンプルなケアで済ませたいのかという希望によっても、ご提案するブランドは変わりますよね。

当時はお客様の疑問やモヤモヤ感をきちんと解消する、そして納得して商品と出会っていただくことを何より大切にしていましたね。

―伊勢丹でも順調にキャリアを歩まれていたと思うのですが、その後美容コーディネーターとして独立するきっかけは、どんなところだったのでしょうか。

弓気田さん:ボーテ・コンシェルジュとして1年間店頭に立ったあと、もう少しプロデュース寄りの立場からボーテ・コンシェルジュ2期生の育成や、伊勢丹のオンラインショップの立ち上げを行いました。その後バイヤーとして、新宿店の化粧品フロア全体の売出計画を担当するようになりました。 そんな中で、バイヤーの職務についてからは、ブランドの方々とお話をさせていただく機会が増えて。

―お客様と向き合うことが中心の業務から、ブランドの方々とのやりとりにシフトしていったんですね。

弓気田さん:そうなんです。バイヤーとして年に4回ほど全てのブランドの方々と商談をしまして、新商品をどういったかたちでお客様に届けていくことがベストか、一緒に考える仕事をしていました。 そこでブランドさんのお話を聞くと、ブランド側がこの製品をこう売りたいと考えていらっしゃる方法が、実際のお客さまには伝わりにくいと感じられることもあって、食い違いが生まれてくるようなことも増えてきたんですね。

―そうだったんですね。

弓気田さん:それが独立を考えるきっかけにはなりましたね。例えば商品のリニューアルも、お客様の立場からすると違和感を感じてしまうようなことも、すでに決まっていることを百貨店側では根本的に修正できませんよね。 ブランドの思いや製品の魅力をより正確にお客様に伝えるために、もう少しできることがあるんじゃないかと思ったんです。

日本すっぴん協会
―ブランドとお客様の間にいる立場から、もう少しできることを考えてみたいと感じられたんですね。

弓気田さん:はい。店頭での言い方ひとつで製品の魅力が伝わりづらくなってしまう場合もありますし、ブランドとお客様の間に入らせていただくことで、よりブランドや製品の魅力を伝える方法を考えたいと思いまして。ここまで長いですよね(笑)。

―いえいえ(笑)。よくわかりました・・! ただ独立して起業というのは、なかなか勇気が必要ではなかったですか?

弓気田さん:そうですね(笑)。12年ほど伊勢丹で務めて、実は化粧品会社への転職も考えましたけれど、立場が変われば初心者になってしまいますから、転職活動の面接で「百貨店の経験はあってもメーカーとしては未経験」というお言葉をいただいたこともありましたね。

―それでもやっぱり、化粧品メーカーとお客様の間に立つような立場で働きたいと感じていらっしゃったんですね。

弓気田さん:最終的にはそう思いました。偶然その頃に、いくつかの美容誌の編集長の方々にお会いする機会がありまして、MAQUIAが創刊にあわせて立ち上げた、マキアサロンという施設の立ち上げのお手伝いをさせていただくことになったんですよ。

マキアサロンはMAQUIAの誌面で取り上げたアイテムを実際に試せるようなカウンターでしたが、細かな部分で、例えばそのカウンターにはどのような備品が必要なのかといったところで、コンサルタントとしてご協力させていただくことになったんです。 お話をいただいて、独立に関してだいぶ背中を押されることになりましたね(笑)。

―独立した当初は、具体的にお仕事があることが大切ですものね。

弓気田さん:そうなんです(笑)。幸い、メーカーの方々からも「もし独立するのであれば、こういうことを聞けないか」というご相談をいただいたこともあり、それならば1人でやろう!という気持ちに最終的にはなれましたね。

―やってきたことがつながった感じだったのですね。 最後になりますが、女性が自分の人生を掴んでいくうえで大切だと弓気田さんが感じるところは、どんなところですか?

弓気田さん:やはり、自分のやりたいことを見失わないことが大切だと思います。やりたいことを仕事にできるかはまた別の部分でもありますけれど、それでも自分のスキルと、自分の好きなことが「ここだったらできる」というところが見つかれば、素敵ですよね。 自分が仕事の芯として何ができるのか、見極めることが大切だと思いますよ!

次回は弓気田さんに、スキンケアのこだわりやポイントについて伺います。たのしみにしていてくださいね。

日本すっぴん協会

弓気田 みずほ

美容コーディネーター

1993年、株式会社伊勢丹(当時)入社。日本初上陸のナチュラルスキンケアブランド「オリジンズ」のオープニングスタッフや、化粧品ブランドの枠を越えた百貨店初のカウンセリングサービス「ボーテ・コンシェルジュ」立ち上げのプロジェクトリーダーなどを務める。 2004年に同社を退職・独立し、株式会社ユジェットを設立。現在は美容コーディネーターとして、化粧品メーカーの商品開発や販売計画、プロモーションに関するコンサルティングを行うほか、販売スタッフや企業向けのセミナーなども実施。また女性誌などでは“正しい化粧品選びの指南役”として幅広く活動している。

Instagram yugeta_mizuho

元記事で読む
の記事をもっとみる