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欲張って何が悪い? 妻でも母でもキラキラしたい「新型幸せなふり」モンスター【リアル・モンスターワイフ、再び 第39回】

  • 2018.11.25
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夫の愛が冷めてゆく…それは、妻にモンスターワイフの影が見えるから…。



今回ご紹介するのは、社会が変わっても相変わらず多くの女性たちの心にはびこるモンスターの卵、「幸せなふり」にがんじがらめにされてしまった妻のケースです。

「幸せなフリ」は、妻たちを本当の幸せから遠ざける。それは拙著『モンスターワイフ 幸せなふりはもうしない』でも、こちらの連載でもお伝えしてきた通りです。

前の時代は「経済的に苦しいのに、余裕があるふりをしたくて専業主婦の座に固執する」という「幸せなふり」が蔓延していました。ところが、現代版の「幸せなフリ」モンスターは、これとは様子が異なります。

「家庭も仕事も両立できて当然。両立に疲れて、所帯じみてくたびれた雰囲気になるのはお断り。きっちり仕事して、家庭でも良き妻・良き母で、そのうえ自分磨きも怠らず、充実した日々を楽しまなきゃ!」

現代社会が生み出したキラキラ系モンスター「新型幸せなふり」は、そんなふうに考えて生きています。

確かに、理想的な生き方のように聞こえます。けれども、そんな妻たちの実情はどうでしょう。

自分のためにも家族のためにも、意識の高い「キラキラ系」を目指して頑張ってきたものの、気付けば「新型幸せなふり」モンスターに足元をすくわれていた…なんてことも。

■子どものため、夫のため…いつも努力が空回り

「キラキラ系モンスター 新型幸せなふり」代表:笑美(仮名)37歳の場合

「できた…!」

娘の明日の弁当の下ごしらえをした笑美は、達成感と疲労感の両方でいっぱいになった。

時計を見ると、もう22時半。いけない、早くお風呂に入らなきゃ。

最近、顔のむくみが気になりお風呂でリンパマッサージを始めたので、22時にはバスタイムと決めていたのに…今日は仕方がない。明日からは、もう少しお弁当作りの効率を上げなくちゃ。

そんなことを考えながらエプロンを外していると、一人娘の優乃(ゆの)がトイレに起きてきた。笑美のほおが、思わずゆるむ。

「じゃじゃーん!」

笑美は眠そうな優乃をキッチンに招き入れると、お弁当のデザインを見せた。ところが…。

「えーっ! ママ、何これ!? お野菜と果物ばっかり。優乃、いつもみたいなお弁当がいい!」

優乃は、顔をしかめてすごい勢いで嫌がる。

気付くと笑美は、キッチンカウンターに手のひらを思い切り叩きつけていた。調理器具がシンクにカンッという音を立てて転がり落ちる。

「なんで!? どうしてそんなこと言うの? 優乃ちゃんのために、ママがどれだけ頑張ってるか…

怯えた顔で立ちすくんでいる娘の姿が、涙でにじんでゆく。野菜ソムリエの資格取得のために、かかった時間と労力。そしてお金。忙しかったのに。疲れていたのに。

家族のため、娘の健康のためにと、どうにか時間とエネルギーをやりくりして頑張った。それなのに、この反応は何?

ああ、もうイヤ。こんなに頑張っているのに、どうしていつもダメなんだろう。自分のためにも家族のためにも、私はいつだって努力している。いつまでたっても「幸せになりたい」という飢餓感でいっぱいなのか…。

物音を聞きつけて、夫の文哉が飛んで来た。優乃はすぐさま文哉にしがみつく。

笑美は無言で娘と夫の横を通り過ぎ、できかけのお弁当をまるごとゴミ箱に放り込んだ。そして振り返ることなく、キッチンを出て行く。その心は虚しさと徒労感で、重く重く沈んでいた。





■インスタでは「完璧・理想なワーママ」その仮面の下は…



笑美と文哉は、千葉の高校の同級生だった。と言っても高校時代の2人は、ただの仲の良いクラスメート止まり。それぞれ別の都内の大学に進学し、都内で就職した後、28歳の時にたまたま再会。そこから交際が始まった。

笑美は大手飲料メーカー勤務。広報という仕事柄、ファッションに気をつかうようになり、すっかり垢抜けた笑美は再会した文哉を驚かせた。

文哉は電機メーカーで開発に携わっていた。こちらも優良企業で、笑美と文哉はお似合いのカップル。旧知の仲であることもあり、2人の交際は順調に進み、再会から2年後には結婚。その翌年には娘も生まれて、一家の人生は順風満帆と思われた。

ところが…笑美が1年の育児休業を終えて職場復帰を果たした頃から、夫婦間のすれ違いや衝突が少しずつ増えていくことに。

理由は明らかだ。笑美が忙しすぎたのだ。

「最初は時短勤務からでもいい」と言ってくれた会社には、夫に相談もせず「フルタイムで問題ありません」と即答。せっかく就職した大企業、せっかくつかんだ希望の職種、やるからには、順調なキャリアアップを目指したい。

自分の産休・育休中にもバリバリ働いていた、独身の同期や子どものいない同僚に、これ以上差をつけられるわけにはいかなかった。長時間利用可能な保育所に高い料金を支払って、笑美は仕事に邁進(まいしん)した。

育児をおろそかにしているのかといえば、そんなことはまるでない。満員の通勤電車の中ではスマホを片手に、知育玩具や、情操教育に良いとされる絵本を検索・購入。週末も持ち帰った仕事で忙しいことが多い中、子どもに人気のスポットをリサーチして、できる限り娘を連れ出すようにする。

さらに笑美は、自分磨きにも余念がない。

美容・健康関連の習い事に参加したり、仕事に役立ちそうな資格について調べたり…あまりに休む間もなく常に忙しくしているので、文哉が思わず「大丈夫? やることだらけでパンクしない?」と心配したことがある。

すると、笑美はその翌週には、「文哉の言う通りね。もっと効率よく物事をこなすために、タイムマネジメントのオンライン講座を受講することにしたの」と言い出す始末だった。

文哉は徐々に、笑美のことが理解できなくなっていった。

どうして妻はいつもスケジュールをギュウギュウにして、常に何かに追われる生活を続けているのだろう? スマホのカレンダーはぎっしりうまっている。

忙しくても、本人がそれを楽しんでいるのなら構わない。けれども笑美は楽しそうにはとても見えないし、むしろ疲れて殺伐として見える。それを指摘しようものなら、笑美は「私はやりたくてやってるの」「文哉に迷惑かけてないじゃない」と、全否定だ。

そして、家の外やSNSでは、笑美は疲れ切った顔の上に「充実した毎日を楽しむ幸せなワーキングマザー」という仮面を貼り付けていた。

ついさっきまで家でくたびれ切った顔をして不機嫌オーラ全開だった妻が、ママ友に会った途端、1オクターブ高い声で満面の笑みを振りまいている。

夫に子どもの世話を押し付けてブツブツ言いながら資格試験の勉強をしていた妻のインスタグラムには、試験対策テキストとブランド物のコーヒーカップの写真が「#資格試験」「#自分に投資」「#充実した時間」といったハッシュタグとともに投稿されている。

そんな妻の様子に、文哉は首をひねるばかりだ。この頃から、2人の夫婦仲にすきま風が吹くようになる。





■セレブエリアへ引越し、理想がさらにエスカレート…

娘の優乃の保育園入園前にもう少し大きなアパートに引っ越そうという話になった時、笑美と文哉の意見が対立した。

「生活の質は住む場所で決まる」と主張し、都内の子育て世代に人気の街に住みたいという笑美。千葉の2人の地元である町に戻れば、両家の両親から育児のサポートが得られるうえに、家賃も大幅に節約できると訴える文哉。

結局いつも通り、「子どものためにも上質な生活を」と熱弁する笑美に文哉が屈することになった。家賃ははね上がったが、元の家賃に上乗せられた金額の大半を笑美が負担するということで、この一件はどうにか丸く収まった。

しかし、新たな街に引っ越すと、笑美の「より上質な生活」を目指す熱意はさらに過熱していった。その背後にあったのは新たな街でできた、新しいママ友たちの存在だった。

皆いつもおしゃれで、家を訪ねればインテリア雑誌に出てくるような部屋。子どもの誕生日パーティーに招かれれば、海外の盛大なバースデーパーティーのような華やかな飾り付け…。彼女たちの生活を垣間見るたびに、笑美は「私にはやるべきことがまだまだある」と痛感した。



そして、この頃から笑美は、ママ友たちと自分を比べては落ち込み、ふさぎ込むことが多くなっていった。

「凜花ちゃんママのインスタで遠足の日のお弁当を見たんだけど、本当にすごいの。私、あんな凝ったお弁当作ったことない…。もしかして優乃に、みじめな思いをさせてたかしら」

「怜ちゃんのピアノの発表会のお疲れさまパーティーに呼ばれたんだけどね。お部屋の飾り付けもお料理もすごくスタイリッシュで、洗練されてて。

怜ちゃんのママはテーブルコーディネートの資格を持ってるんですって。うちもこれからお客さんを呼ぶ機会が増えるかも知れないし、私もテーブルコーディネートくらい勉強しておかないとダメよね…」

笑美はそんなことを言って、いつも自分にないものを探し出しては嘆いてばかりいる。

文哉はずっと、妻は向上心の塊のようなタイプなのだと思っていた。しかし、これでは「向上心が旺盛」なのか、「自分へのダメ出しが過ぎる」のか分からない。

「俺はそもそも、そこまで弁当やらテーブルコーディネートやらに凝る必要性を感じないんだけどさ。笑美の場合、凝りたくたって仕方がないじゃないか。フルタイムで働いて、家でも持ち帰りの仕事だろ。人脈づくりの異業種交流会にまで顔を出して、それでいつキャラ弁作りや、テーブル・部屋の飾り付けまで時間をさけって言うんだよ」

文哉は至極当然の指摘をしたつもりだったが、笑美は不満げに口を尖らせる。

『時間がない』なんてただの言い訳よ。要は自分の時間とエネルギーをどう活用するかなの。
そのためにタイムマネジメントや、目標達成戦略を勉強して…」

「言い訳じゃないよ。事実だよ。『家庭と仕事の両立』だけでも大変だ、大変だって、みんな言ってるのにさ。それに加えてアレもコレもだなんて、苦しくならないほうがおかしいよ」

それでも笑美は引き下がらない。

「そんなことないわ。私より忙しくても、私よりずっと多くのことを実現できている人はいっぱいいるわ」

「『いっぱいいる』って…例えば、誰? ていうかさ、どうしてそんなに『多くのことを実現』しなきゃならないわけ? 一体何をどれだけ実現すれば、笑美は満足なんだよ?」

いつになく執拗に追及してくる文哉に、笑美はたじろいだ。私よりずっと多くのことを実現できている人…一つの顔が、笑美の脳裏に浮かんだ。

■夫や子どもに八つ当たり「どうして理想通りにならないの?」

文哉に詰め寄られた時、笑美の頭の中に浮かんだのは淑美の顔だった。

淑美というのは笑美の大学時代の友人、寛人の妻だ。大学卒業後も寛人とは時々会っていたのだが、文哉に寛人を紹介すると、意気投合。今ではこの男2人のほうが、仲の良い友人同士になっていた。こうした事情で笑美と文哉は時々、寛人とその妻の淑美に会う機会があったのだ。

淑美は大手出版社勤務。人気女性ファッション誌の編集部で働いている。

そんな彼女は、いつ会っても最高にファッショナブル。編集者の仕事は多忙なはずだが、疲れなど感じさせない優雅な雰囲気だ。一人娘の恵麻も、いつ会っても髪型にも服装にも、しっかりと手がかけられている。

淑美のインスタグラムには、美しい料理の写真の数々。彼女は野菜ソムリエの資格を持ち、お菓子作り教室にも長く通っていたという。

まさに、完璧な女性。

仕事も家庭も完璧に両立しながら苦労をまるで感じさせず、余裕たっぷりでキラキラと輝いている…。淑美さんのような人が奥さんなら、寛人は最高に幸せなはず。恵麻ちゃんだって、自慢のママが大好きに違いない。

そんなことを考えていたら、笑美はだんだん悲しく、みじめになってきた。何もかも完璧な淑美のような女性がいる一方で、私は足りないものだらけ…

妻が押し黙っているのを見て、自分の説得が功を奏したのだと勘違いした文哉。彼は気を良くして言った。

「な! スーパーウーマンなんていないんだよ。笑美はもう十分頑張ってるよ。これ以上、あれもこれもやらなきゃなんて、焦る必要なんて全然ないじゃないか」

残念ながら、そんな夫の言葉が笑美の心に響くことはなかった。笑美はますます仕事にも、家事・育児にも、自分のステップアップにも熱中し、彼女の生活は多忙を極めた。

笑美の「向上心」は、夫の目にはもはや「強迫観念」のように見えた。彼女は楽しそうにしていることなどまるでなく、いつも疲れてイライラ、カリカリ。夫や娘に当たることも増えた。特に笑美が家族のために良かれと思ってしたことが受け入れられないと、ヒステリックに激怒するようになった。

ママ友から聞いてきた習い事に、優乃が興味を示さない。クタクタの体にムチ打って、ネットで高評価のイベントに優乃を連れて行ったのに、優乃が喜ばなかった。聞いたこともない「スーパーフード」を突然朝食に出し、味が苦手な文哉が断った…。

そんなことが起きるたびに、笑美は大爆発。「私がこんなに頑張ってるのに」「死ぬほど疲れてるのに、あなたのためにやってあげたのよ」が、激昂した笑美の口癖になっていた。文哉と優乃は次第に、笑美の顔色をうかがってビクビクしながら過ごすようになっていった。

家庭がそんな状況になっても、笑美は家の外やSNS上での「ステキなワーキングマザー」の仮面だけは絶対に手放さなかった。

「スーパーフード」をめぐってケンカになったその日のインスタグラムには、文哉が手を付ける前の朝食の写真が投稿され、「#夫の健康管理」「#パパいつもおつかれさま」などと書き込まれていた時には、文哉は妻の異常性を感じずにはいられなかった。





■とうとう病気を発症! それでもキラキラ生活にしがみつく妻

ある日、熱があろうが頭痛がひどかろうが、意地でも会社を休まなかった笑美が、尋常ではない腹痛に襲われて病院に駆け込むことに。そこで彼女はストレスによる心の病気という診断を下される。

笑美から話を聞いた文哉は驚き、「通院の頻度は?」「どんな治療をするんだ? 薬はもらったのか?」と妻を質問攻めにした。

しかし、文哉を驚かせたのは、笑美の答えだった。

しないわよ、通院なんて。残業ができないだけでも大きなハンデなのに、加えて通院のために半休なんてとんでもないわ。

薬も勧められたけど、飲むと眠くなったりだるくなったりするんですって。そんな薬飲んでちゃ、仕事にならないわ」

普段、穏やかな文哉も、この時ばかりは猛抗議した。健康が第一。きちんと通院して薬も飲んで、働き方も見直すべきだと文哉は主張する。

しかし笑美は「この病気の原因がストレスだって言うなら、定期的に通院したり、毎日眠くなる薬を飲んで仕事をしなきゃいけないのが最大のストレス」だと言い張り、聞く耳を持たない。

この議論は未曾有の夫婦ケンカに発展した。どちらも自分の言い分が絶対に正しいと信じているので、仲直りの糸口すら見えないまま、険悪なムードで日々が過ぎてゆく。

その間も笑美は、毎日絶不調の体を引きずるようにして仕事と家事・育児、ママ友付き合いをどうにかこうにか回していた。顔にはいつもの笑顔を貼り付けていたが、正直、心身ともに限界だった。



そして迎えた、ある週末。前々から寛人・淑美夫妻と約束していた、キャンプの日がやって来た。

笑美は最悪な顔色と微妙な夫婦仲のまま、まぶしすぎる淑美と顔を合わせたくなかったが、仕方がない。寛人が誘ったもう一家族も加えた三家族分のキャンプ場がすでに予約されているからだ。

鬱々とした気分のまま、笑美はキャンプ場に向かった。

淑美が雑誌の撮影にも使用したその場所は、従来の「キャンプ場」のイメージを覆すものだった。新しいキャンプ体験ができる最近流行のグランピング施設で、どこもかしこも清潔でセレブ感が漂う。

これなら雑誌の撮影現場にもなるだろう。子どもたちが安全に目一杯遊べる遊び場も併設されている。一言で言うと「さすが淑美さん」としか言いようのないキャンプ場だった。

優乃は早速歓声を上げながら、淑美の娘・恵麻と、もう一家族の子どもたちと遊んでいる。その楽しそうな姿を見て、笑美はまた心が沈んだ。

こんな場所があるなんて、私、全然知らなかった…情報収集不足だわ。恵麻ちゃんはきっと、優乃よりずっとたくさん楽しい場所に連れて行ってもらえてるのよね。それに、今日も恵麻ちゃんのファッションは完璧。子ども用のアウトドアウエアに、こんなにかわいいアイテムがあるなんて…。

ひたすら落ち込んでゆく今日の笑美に、キラキラと輝く淑美の姿を眺め続けるのはキツすぎた。淑美がもう一人のママとの話に花を咲かせている間に、笑美はそそくさと退散。一人になれそうな場所を探して歩いた。

■憧れの女性だったのに…親友の告白で知る現実

木陰に腰を下ろして缶ジュースをすすっていると、誰かが近づいてくる。振り向くと、そこには寛人が立っていた。

「よっ!って、笑美、お前何だよ、ジュースかよ!? ビール持って来ようか?」

いつも通りの屈託のない寛人の笑顔に、笑美もつられて微笑みながら「今はジュースでいい」と答える。まさか「ストレスによる心の病気でおなかの調子が悪いから、アルコールは控えている」なんて言えない。

寛人が笑美の隣に腰を下ろしながら、笑美の顔をのぞき込む。

「笑美、なんか今日元気なくないか?」

鋭い指摘にギクッとする。けれど、今自分が抱えている鬱々とした気分、健康問題、夫婦ケンカ…何をどこから、どう寛人に話せばいいのだろう。考えがまとまらないまま、気付くと笑美はつぶやいていた。

「寛人は幸せ者だよね…」

「はぁ? 何だよ急に?」

「淑美さんみたいな、いっつもきれいでおしゃれで余裕があって、職場でも家庭でも完璧な奥さんがいて。私なんてさ、もうダメダメだよ。仕事に追われてヒーヒー言ってるし、家でも頑張ってるつもりなのに、一人で空回ってる感じ。家族に喜んでもらいたいのに、全然うまくいかなくて…」

いけない、涙目になってきた。笑美は思わず寛人から顔を背ける。

寛人はしばらく黙っていたが、キョロキョロとあたりをうかがうと、低い声で話し始めた。

「ここだけの話だぞ。淑美ってさ、確かに余裕しゃくしゃくみたいに見えるけど、本当は全然そんなことないんだぜ。毎日ボロボロになって帰ってくるし、特に締め切り前なんて殺気立っててさ。家でもいらだってて、恵麻が怖がることもあるくらいだよ」

「うそ…そんなの全然想像できない。私、淑美さんのインスタもチェックしてるんだけど、いつもすごく豪華なお料理の写真をアップしてるじゃない。恵麻ちゃんにお菓子作ってあげたりとか」

「あれなー。なんか『職場のみんながインスタやってるから、私もやらなきゃ』とかって言って始めたんだけど、“ステキな暮らし”の演出に躍起になってるよ。

俺は見栄えだけいいワケの分からん洋食より、普通に肉じゃがが食いてえって言っても、即却下。やたら手の込んだ洋菓子作って、恵麻の反応がイマイチだと腹立てるしな。ハッキリ言って、家族からするとはた迷惑なことも結構あるよ」

何だか耳が痛い…あの「完璧な淑美さん」が、家では実は、私と同じようなことをしている…? 笑美はポカンと口を開けたまま、寛人の話を聞いていた。

「知り合った頃、仕事をバリバリ楽しんでる淑美をいいなって思ったのは事実だよ。でも 仕事を楽しんでるからって淑美を好きになって結婚したわけじゃない。

結婚しても、子どもが生まれても、仕事は昔と変わらずバリバリ、家庭でも完璧な妻、母で、ファッションや習い事は独身貴族並みなんて、どう考えてもムリだろ?

俺はただ、淑美に昔みたいにニコニコしててもらいたいだけなんだ。そのために仕事をセーブしたければ、すればいい。家事や育児で手抜きをしたければ、すればいい。

でも淑美には、そんな選択肢はあり得ないんだよ。『ここまで全力疾走してきたんだから、ここで足を止めるわけにはいかない』みたいに思ってるみたいで」

そのうちぶっ倒れたり、ノイローゼになるんじゃないかって、結構真面目に心配してるんだ、と寛人は苦笑した。

ずっと憧れていた、理想としてきた「いつも余裕の完璧な女性」の実態を知って、笑美は脱力してしまった。

淑美さんのようになれれば、「私にはあれが足りない、これも足りない」なんて自分を責めなくてすむようになるはず。そうすれば、いつも感じている欠乏感や飢餓感から解放されて、自分に自信が持てるはず。幸せになれるはず。ずっとそう思っていた。

けれども「ゴール」にたどり着いたところで、見える景色はどうやら今と大差ないようだ。それなら…それなら私は、どうやって幸せになればいいんだろう。どうやって家族を幸せにすればいいんだろう。

寛人の話を聞き終わる頃には、笑美の涙も乾いていた。遠くから、「おーい、寛人、笑美! 肉焼くぞー」という文哉の声が聞こえてくる。2人は顔を見合わせると、同時に立ち上がった。

みんなのところへ足早に戻りながら、「今夜は少し、文哉と話してみようかな」と笑美は思った。

(三松真由美)

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