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何かを追い求める毎日から抜け出そう|ヨガの教えから考える

  • 2018.11.11
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Cover image by Getty Images

人が求めるもの、プルシャアルタ

ヨガの聖典「ヴェーダ」によると、私たち人間はすべて幸せになることを目的に毎日を過ごしていると説かれます。いろいろなことをしていながらも、最終的にたどっていくと結局は幸せになるためだというのです。そして現世で幸せを得られなかった場合、来世に生まれ変わるともいわれます。輪廻転生の考えで、私たちは幸せを得るまで永遠に生まれ変わりを繰り返し、この世界にあらわれると考えられます。ここでいう“幸せ”がヨガのゴールであるモークシャにあたります。つまり、モークシャを得ることによって幸せを理解し、輪廻転生のループから抜け出せるというのです。
「ヴェーダ」では、私たち人間が求めるものをプルシャアルタと呼びます。それは4つに分けられ、アルタ・カーマ・ダルマ・モークシャと呼ばれます。私たちはしばしば“幸せ”を勘違いしています。本当の“幸せ”であるモークシャを求めていることに気づかず、見せかけの幸せを求めて人生を終えることもあるのです。その見せかけの幸せが、プルシャアルタの内のアルタ・カーマにあたります。

永遠には続かない幸せを追い求め続ける私たち

人の成長の段階や境遇に合わせてその人が求めるもの、プルシャアルタも変わっていきます。まず私たちが求めるものはアルタ。アルタは自分を安全にしてくれるものです。明日の自分の命を保証してくれる衣食住を求めることもアルタにあたります。明日の命がぎりぎりの余裕がない状態では行動は限られます。まずは命の安全を求めるでしょう。

ある程度安全が確保され始めると自分たちを喜ばせてくれる何かを人は求め始めます。これがカーマです。最低限の衣食住を確保できたら、もっと栄養のあるもの、もっとおいしいもの、もっと心地よい衣服、もっと心地よい住居…といった具合により自分が喜びを感じられるものを求め始めます。それらが手に入った時には、私たちは喜びを感じますが、それが“幸せ”であることではないということを理解しておかなければなりません。ずっと私たちを喜ばせ続けてくれるもの、“幸せ”にさせ続けてくれるものは、手に入れることはできないのです。それに気づかないと、永遠にアルタ・カーマを求め続け、一瞬の喜びを感じては、それがなくなればまた他のものを求めるというくり返しに陥ってしまいます。何かを求めるとは、それがない状態ということです。つまり、幸せにしてくれる何かを求めるということは今が幸せでないと感じているということの裏返しです。アルタ・カーマを求め続けることとは、幸せを感じられない状態がつづくということに他ならないのです。

成長した人に訪れる喜び、ダルマ

人の成長とともに訪れるのが「ダルマの喜び」といわれます。自分の持っている能力が誰かの役に立つなど、自分も周りも心地よいことに喜びを感じるのがダルマです。周りとは、目の前の相手だけではなく、もっと視野を広げて地球全体や宇宙全体も含まれます。この世界を回している「宇宙の法則」に沿った行いをすることに心地よさを感じるということです。

アルタ・カーマのように自分だけの為ではなく、視野が広まっていくとダルマの喜びを感じることができます。最初は目の前の相手だったものが、ダルマな行いをしていけばいくほどさらに視野は広がり、ヴェーダの宇宙観を理解することにもつながります。そして徐々に本当の“幸せ”とは何かがわかっていきます。

追い求めることからの自由、モークシャ

アルタ・カーマでは“幸せ”を外に追い求めていました。そこからダルマを経て価値観が整ってくると、手に入る“幸せ”は何一つないと気づきます。幸せを求めることは、今が幸せではないということ。そして永遠に自分を満たしてくれる幸せは手に入るものではないこと。何かを外に追い求める必要はなく、すでに自分は“幸せである”。それを「完全に」理解したときにモークシャが訪れるといわれます。追い求めることからの自由(解放)です。個人の私として外に何かを追い求める必要もなく、すでに満たされていて、“幸せ”であると理解することです。モークシャを得ると、何も足りていないことなんてないことに気づきます。すべては満たされていて、完全なのです。この追い求めることからの自由こそが本当の“幸せ”であるとヴェーダは説きます。そしてそれがヨガのゴール、私たちが人生で求めているものなのです。

終わりに

ヨガのゴールにたどり着くには聖典の勉強が欠かせないとも言われます。壮大な話で生活とはかけ離れているような印象もありますが、実は自分の生活の中にも役に立つことはたくさんあります。ヨーガの道を深めることは楽しい作業です。ぜひ、聖典の勉強を始めてみませんか?

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