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軽音部と伊勢エビ【彼氏の顔が覚えられません 第17話】

  • 2015.3.5
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『三丁目のタマ』の目覚まし時計が、「にゃにゃにゃにゃーん」とくぐもった鳴き声をあげる。経年劣化で本体もだいぶ黄ばんでいるのに、まだ音が鳴るとは、少し驚いた。

でも完全に覚醒するほどではない。すぐにスイッチを押して鳴き止ませると、また眠りにつく。手は目覚ましに伸ばしたまんまで。

「イズミー、出かけてくるからねー。ごはん用意してるから、ちゃんと食べなさいよー」

母の声が聞こえ、ようやく布団から抜け出す。目覚ましを止めてから、一時間半も過ぎた後だった。

春休みだからと怠惰に過ごしている。早起きしても、どうせやることは何もない。きっと実家に帰省中の3月は、こうして何事もなく過ぎていくのだろう。カズヤからも、2年の先輩からも、なんの連絡も受けぬまま。

朝食に行く前に、まだ少し眠たいアタマで机に向かう。すっかり片づいた、だだっ広い机。以前積まれていた本やらCDやらその他の小物やらは、ぜんぶ机の下にある赤いプラスチックボックスに押し込まれている。親に勝手に触られたのはイヤだけど、捨てずにとってあるだけマシだろうか。

日記を開く。書くことは何もない。そんなときは、せめて過去の記憶を整理する。さかのぼる、さかのぼる。ペラ、ペラ、ペラ。たまたま目に止まったページがある。

思い出す。それは、まだ軽音部に通っていたころのことだ。

夏合宿中の宴会で、2年の先輩は、みなの前で私に告白した。アルコールを一切口にせず、突然立ち上がり、しらふじゃありえないような大声で。

「俺はイズミちゃんが好きだ」

カズヤとつきあい始めるよりも前。あれはまぎれもなく、人生で受けた初めての愛の告白だった。

「こんな告白して、俺はもうこの部活にいられないと思う。他の部員を悲しませたかもしれない…特に、イズミちゃん本人を」

軽音部は、部内恋愛を禁じていた。私が入部する3年くらい前からの風習だそうだった。当時に何が起こったかは知らないが、恋愛が絡むと“みんな仲良くアットホームに”という部活の方針に狂いが生じてしまうのは、どこの部活もいっしょだろう。

「…おい、とりあえず落ち着こうぜ」

会場がシーンとしてしまったなか、3年生の部長が言う。だいぶ真っ赤な顔をしていたが、後輩の突然のふるまいを見、すっかり酔いがさめてしまったようだ。

「そういうことさ、べつに、いま言うようなことでもないだろ…合宿、明日まであるんだからさ。周りの空気も読んで…」

「いま言わないと、俺はもう生きていけない気がしたです! こいつみたいに…」

部長の言葉を途中で遮り、真剣な口調で言う2年の先輩。びっと伸ばした指は、半身が切り離されたまま目玉や足や触覚を動かす伊勢エビの活き作りを差している。

「は」

周りの先輩たちのリアクションは、お笑い芸人の一発芸を見た瞬間のようだった。

「…え、お前、なに言ってんの? ギャグ?」

「完全スベってるけどさぁ、ハハハ…」

確かにギャグならぜんぜん面白くなかった。だからこそ逆に、真剣さも伝わってきた。表情はわからないけど、告白した先輩の顔は真っ赤になっていた。それからみなの注目は、徐々に私へ移っていった。

次は、私が答える番だ。

(つづく)

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(平原 学)

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