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調香師を表舞台に出した、フレデリック マルのパルファム。

  • 2018.9.27
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香り好きなら、フレデリック・マルの名前を何度か耳にしたことがあるだろう。ニッチなラグジュアリーパルファンの先駆的ブランドを創設した彼を語る時、必ず彼のバックグラウンドが紹介される。クリスチャン・ディオールの友人だった祖父はパルファン・クリスチャン・ディオールの創始者で、母親も同社で香水の開発責任者というポストにあった、と。そして叔父は映画監督の故ルイ・マルであるとも。クリエイションを尊ぶ世界に生まれ、育ったのだ。今年56歳を迎えた彼は、とても魅力的でちょっとお茶目なジェントルマン。そのフレデリック・マルのパルファムが、いよいよ日本でも10月10日から全面展開される。

日本上陸を前に、香水への彼の熱い思いを語ってもらおう。初めて彼の名前を知る人も、彼の香りを知ってみたくなるはずだ。

フレデリック・マル。ジャン=クロード・エレナ、エドゥアール・フレシェ、ドミニク・ロピオンといったスター調香師たちと仕事を続けている。

フレデリック マルのパルファムパッケージを見てみよう。それぞれの香りの名前の下に、調香師の名前も記されている珍しさに気がつくはずだ。その理由は?フレデリック・マルに自分のブランドをスタートしようと決心をした2000年に時代を遡ってもらおう。

―ブランドの誕生の背景を話してください。

「1990年代の終わり頃、セルジュ・ルタンスを除いて高級香水業は失われていました。少数の人に受け入れられる独創性のあるクリエイティブな香りを誰も創らなくなっていて、大企業はどこもデューティフリーで販売できる万人向けの香水を作る、といった時代だったのです。平凡そのものの香水ばかり。企業が香水のためにかける予算はエジェリーやセレブリティ、パーティといったことで、香りの中身ではなかった。しかも調香師たちの仕事相手といったら、香水の知識のない別の業界から来たような人々で……。どの会社の調香師たちも、フラストレーションを募らせていました。僕は香水の学校にも通ったことがあり、当時はエルメスやクリスチャン・ラクロワといった香りのコンサルティングの仕事をしていました。こうした状況下で香水の制作をせねばならない最高の調香師たちの絶望を知っていました。そして、凡庸な香りあるいは1920年代のクラシックな香りしかない市場で、つけたい香水が見つけられないと嘆く人々の存在も知っていました。このふたつを結びつける、というアイデアが僕に浮かんだのです。それでさっそく僕が知る調香師たちにこうお願いしたのです。“不平を言うのをやめ、夢見ている香水を創りましょう。コストも時間もリミットも設けません”と。彼らと僕によって選ばれ、展開されるエキスパートによる香水創りです。自分の職業を愛する彼らは、すぐに僕の冒険に賛同してくれました」

―なぜパッケージに調香師の名前が書いてあるのでしょうか?

ミニマルなデザインのボトル。つなぎ目のないガラス、ベークライトのキャップの重み……バランスの計算が行き届いたデザインはフレデリック・マル自身によるものだ。

「当時の香水界のスター調香師たちばかりです。ディオールやロシャスなどの香りを創ったエドモン・ルドニツカ、「オ・パフメ オーテヴェール」のジャン=クロード・エレナ、「ダビドフ クールウォーター」というメンズ香水のヒットを生んだピエール・ブルドン……。こうして9名の調香師とブランド設立の準備を始めました。その過程で調香師と僕の関係は、作家と出版社のエディター(編集者)に似ているということに気がついたのです。エディターは作家によっては作品の創作過程に多く介入し、作家によっては創作を任せきる。僕もまったく同じような方法で調香師に接していました。それで“エディション ドゥ パルファム(香りの出版社)”を掲げることにしたのです。本にはタイトルだけでなく必ず作者名も表記されますね。調香師が作家なら、作品に作者名が出るのは当然のことなのです。それまで香水の裏に隠れていた彼らの名前を、パルファムの名とともにパッケージに載せることに決めたのです」

このように18カ月の準備期間を経て、2000年にブランドの設立、そして同じ年にブティックをオープンした。フランスの著名出版社ガリマールの近くという立地も彼には大切な要素で、選ばれた場所は7区のグルネル通り。彼の自宅に迎えられ、客は自分のパーソナリティに合う香りを静かな雰囲気の中で見つける、という設定でアパルトマンをイメージした内装だ。フレデリックが所有するアート作品も店内に飾られた。

2000年にオープンしたパリの1号店(37, rue de Grenelle 75007 Paris)。デザインは親しくしていた故アンドレ・プットマンと共同で行った。調香師のポートレートを掲げ、ブランドストーリーを語る最初のスペース。

香りのエキスパートが客の話を聞き、各人のエスプリに合った香りを提案するふたつ目の部屋。選び抜いた香りに、まるで誂えの香りを手に入れたような気持ちが得られるはず。

ブティックの中には、どのように香りが拡散されるのかを知ることができるコラムがある。

パルファムの鮮度を保つクール キャビネットが備えられている。

スピーディにことが進んだのも、調香師の仕事に対するフレデリックの理解と経緯があればこそ。というのも、フレデリックは調香師たちが引き出しの中に隠して外に出さない仕事を知っていたのだ。シックすぎる、高価すぎる、個性が強すぎる、特殊すぎる……など、当時の市場では販売できないといった理由で。フレデリックが求めていた芸術的でラグジュアリーな香りは、このように完成直前の状態ですでに存在していたのである。

9名の調香師とフレデリックによる作品がブティックに並んだ中に、故エドモン・ルドニツカ(1905〜1996)の「ル パルファム ドゥ テレーズ」が混じっていた。

―「ル パルファム ドゥ テレーズ」の秘話を公開してください。

「はい。ブランドのスタートにあたり、これがあるとないとでは大きな違いがあった大切な香りです。エドモン・ルドニツカが妻テレーズのためだけに1956年に創り、1961年に完成したものです。この香りを彼は創香の原型として役立てていましたね。少しばかりディオレラが感じられ、少しばかりロシャス ファムが感じられるというように、ルドニツカのあらゆるアイデアがこの香りに込められています。テレーズが纏っていたので、香水関係者は誰でもこの香りを知っていました。僕もそのひとりで、ブランドのアイデアが頭に芽生えた90年代の終わりに、ノンと言われることも覚悟でマダム・ルドニツカに声をかけてみることにしたのです。僕の祖父はディオールの4〜5種の香水をムッシュー・ルドニツカと一緒に作っていて、また母もオー ソバージュについて彼と仕事をしているという二代の関係があります。

ル パルファム ドゥ テレーズ。トップノートはメロンとキューカンバー、ミドルノートはローズとジャスミン、ベースノートはベチバーとパチョリ。日本では11月に発売される。100㎖ ¥38,800、50㎖ ¥27,216、30㎖ ¥21,384、10㎖ ¥7,776

彼女に会って、100%の創造の自由を調香師に与えた香水作り、という僕が進めているアイデアを話しました。そうしたら、彼女の目に涙が浮かんだのです。先にもお話したように、この頃のマスマーケット向けの香水は、ルドニツカという調香の第一人者が夫だった彼女にとっても悪夢のようなもの。そして、僕のお願いにこう答えたのです。『三代目が存在したのですね。あなたを待っていました。あなたがしていることは、香水業界を救うものです。この香水はあなたのものです』と。

香水界のスターである彼のパルファムを、こうしてフレデリック マルに加えることができたのです!祖父と母の口からしょっちゅうムッシュー・ルドニツカという名前が発音されるのを耳にしていた僕にとって、これは本当に大きな喜びでした。

『ル パルファム ドゥ テレーズ』というのは1950年代にしてはとても進んだ、驚くべき香りなのですよ。キューカンバーや柑橘類などが調合され、同時に1950年代のシックがあって……。時代を超越するモダニティ。世紀の傑作ですね。洗練された香りなので、日本の女性にも受け入れられるのではないでしょうか」

そう言われると、余計に気になる香りだ。テレーズに会ったことがない私たちにわかりやすいように、叔父のルイ・マル監督の作品のヒロインなら、誰がこの香りに結びつくかと聞いてみた。答えは、『死刑台のエレベーター』(1958年)のジャンヌ・モローが演じたヒロインだった。

―調香師とは具体的にどのように香水創りを進めるのですか。

「対話から始まります。香りを語る時に使う言葉は、既存の香水の名前や花の名前、あるいはフルーツとか……。たとえばインテリアデザイナーが説明する時に、部屋を全部白く塗って、どこそこにこうした家具をおいて、あちらにはこんなふうに、と言うと視覚化できますよね。それと同じです。今朝ドミニク・ロピオンと会ったのですが、僕はアイデアを持って行きました。ルイ15世のために作られたオー・ボトという口腔用の液体プロダクトです。父が使っていたもので、いつもいい香りだなあと思っていました。それで、これを元にメンズの香水を作るのはどうだろうか、って。このアイデアは彼を楽しませましたね。僕と調香師の間には言葉があり、夢があります。互いに欲しいものがすぐに理解できるのです。

香り創りではなるべく使う原料の数を少なくし、各原料が重要な役割を演じられるようにシンプルにすることに常に努めています。曖昧ではなく明快に香りが拡散するためには、研ぎ澄まされたフォーミュラが必要なんです。何カ月もかけて不要な要素を取り除いて、シンプルにします。そのために690回もフォーミュラを試すという悪夢の末に生まれたパルファムもあるんですよ。ほとんどの場合、香水の名前は最後に決まります。香りにはそれぞれしっかりとしたパーソナリティがあるので、ごく自然に命名ができます」

―香り創りの悪夢、どのようなものでしたか。

「香水の創作過程では試した原料、配合、日程の表を常に埋めて行きます。普通調香師はそれを誰にも見せませんが、僕とはそれをベースに対話します。ではこれを足してみようとか、こちらを減らしてみよう……と。『カーナル フラワー』が生まれるまで、ドミニク・ロピオンとはこれを690回試したのです。最初の時点ではふたりとも欲しいものがはっきりとわかっていました。ドミニクは現存の最高のパフューマーで、特に白い花の香りにはとても長けています。必要なテクノロジーも揃っていました。資金もありました。この香りでは新しく僕たちだけにエクスクルーシブで特別なチュベローズの抽出が使えることになっていて、これは簡単だと最初には思えたのですが、香りの持続やバランスを得るのがとても難しくって……690回となったのです。

これとは別に、香りのフォーミュラが完成した時点で、使えるはずの原料が使えないということがわかったという悪夢もあります。こういうのは厳しい状況だし、フラストレーションになりますね。パルファンは子どものようで、いろいろなタイプがあります。礼儀正しく、お行儀もよいといった……その最高の例は『ゼラニウム プール ムッシュ』。これはすぐに良い香りが得られました。

良い思い出もありますよ。たとえば『ポートレート オブ ア レディー』。これはなかなか良い香りにならなかったのです。ところがある時点でローズをプラスしたところ、ワーっと歓声をあげたくなるように芳しく香りました。まるで光が入ったようで、信じられないくらいとても不思議なこと。聖書の天地創造の物語の最も美しい部分に、“光あれと神が語ると、光があった”とあります。光は太陽ですね。ローズを入れた時、これがまさしくその瞬間でした。この仕事における最も美しい思い出のひとつですよ。半年この香りと戦っていて、なんて礼儀知らずの子だ!と感じていたのが、突然傑作に変わったという印象を受けました」

―クリエイターのポートレートという香り。このアイデアの始まりは?

「ひとつ目は『ドリス ヴァン ノッテン』ですね。メゾンを創設した時に、人を介して出会いました。彼には香水を創る気持ちはなく、アントワープの彼のブティックで僕のパルファムを販売することが提案されました。その後、僕は彼のショーを定期的に見るようになり、彼とも親しくなって……。で、ふと思ったのです。彼の仕事にこうして詳しくなっているのだから、彼の肖像画を描くように香りを創ったらいいのではないかって。ドリスもこのアイデアに賛成してくれました。ドリスのポートレートとして可能性のある4〜5種をドリスに試してもらい、彼が選んだのが調香師ブルーノ・ジョヴァノヴィックのものでした。香水のクオリティはフレデリック マルのものですが、これはドリス ヴァン ノッテンについての香りで、彼も自分に合う香りだと言ってくれています」

「ドリス ヴァン ノッテン」。調香師はブルーノ・ジョヴァノヴィック。表情豊かな希少原料が使われて、ドリスの仕事に通じる香りだ。100㎖ ¥38,880、50㎖ ¥27,216、10㎖ ¥7,776(10/10発売)

「もうひとつのポートレートは、アルベール・エルバスですね。香水名には“迷信家”を意味する『スーパースティシャス』とつけました。彼とは初めて出会った時から、まるで旧知の友のような感じになって、『ふたりとも迷信家だね』などと意気投合。そしてマーケティングというものの恐ろしさや残酷さについて話をするうちに、アルベールが『マーケティングの仕事をする人も迷信家になるべきなんだ!』と。これが命名の由来ですね。そのランチの席で、ボトルには悪魔の眼が描かれてるのがいいということで、僕が眼をデッサンしたところ、彼は僕のは下手くそだと。で、アルベールが3つの眼を描いたんですね。それを僕は写真に撮って、すぐに本社のあるニューヨークに、眼はゴールドでボトルはブラックで、と指示を出しました。その時まだ香りは存在していなかったのだけど、僕が持つアルベールのドレスのイメージがネオクラシックだったので、黒、そしてゴールドをプラスしてというアイデアが浮かんだのです。2016年8月6日のことでした。

このパリの出会いから1週間してニューヨークに戻ったら、アルベールから連絡があったのです。1カ月ちょっとで香水を発表できるかな?と。というのも、10月の初めに彼にレジオンドヌール勲章が授与されることになり、立派なセレモニーがあるというのに、自分には何も見せられるものがない、と彼は困っていて……。すぐに香りに没頭して、ドミニク・ロピオンと1カ月で完成させましたよ。アルベールって寛大でとても親切な人なので、何かしてあげたくなる。それにぬいぐるみのようなので抱きしめたくもなりますね(笑)。今後も機会があれば、ポートレートは続けるつもりです」

「スーパースティシャス」。クラシックなフローラル アルデヒドのコンポジションでアルベールがデザインするドレスの香りを。調香師はドミニク・ロピオン。100㎖ ¥45,360、50㎖ ¥31,860、10㎖ ¥9,072(10/10発売)

―パルファムの未来にどのように取り組んでいますか。

「2000年に始めた時は9人でしたが、いまは12名の調香師と仕事をしています。僕の使命のひとつは、この仕事を永続させることです。そのためにこの会社を作ったのですからね。空港のデューティフリーショップにあるような恐ろしいものと、真のラグジュアリー・パルファムというのはまったく異なるものなのだということを僕の子どもたちの世代に伝えたい。僕の使命の延長上に、新世代パフューマーの成長を助けるということがあります。そのひとりがブルーノ・ジョヴァノヴィック。彼とはキャンドルの仕事から始めました。その後で、『ドリス ヴァン ノッテン』、そして『ムッシュー』ですね。

最年少は子ども用のパルファム『SALE GOSSE』(日本未発売)を手がけたファニー・バルで、まだ28歳の彼女との関係は、ほかの調香師とのそれとは違っています。若い彼らは僕と一緒に学べるような方法をとっているのです。僕はほかの人々から多くを学びましたが、それは僕が独占するものではない。だから今度は僕がそれを彼らに授けることが大切なのです。僕は香水の仕事をしている家に生まれたという幸運があり、それを掴みました。僕の役割は若い人に伝承し、そして彼らを始動させることなのだと思っています。これはとても楽しいことですね」

―若い時から香水の仕事に従事すると決めていたのでしょうか。

「香水には確かに興味がありました。でもそれを仕事にするか、ということはクエスチョンマークで、ニューヨークの大学で専攻したのは美術史と経済です。生活費を稼ぐために、その間カメラマンのアシスタントもしたんですよ。卒業後、広告代理店に入って仕事をしましたが、こうしたすべてはいつか自分が香水の仕事をする時に役立つことばかり。学生時代、僕の頭の中にあった職業は現代作家を扱う画廊経営でした。モダニティが好きで、アーティストと一緒に仕事をしたいという願望、そして商売をしたいという願望があったわけです。今日していることはアートギャラリーの経営とさほど違いがないと言えますね。パリの画廊イヴォン・ランベールがソル・ルウィットと仕事をするように、僕は調香師ドミニク・ロピオンと仕事をしているのです。じつは写真にも興味がすごくありました。ファッション・カメラマンになり損なったとも言えます。

広告代理店の仕事は写真、マーケティングを学び、塾考する場でもありました。この時代にルール・ベルトラン・デュポンという香水のラボラトリーを率いていたジャン・アミックが、僕に仕事を提案したのです。こうして香水の世界に入ることになったのです。彼のアシスタントとなり、香水の学校にも短期間ですが通い、調香師から特別な研修を受けて……。その後、大勢の調香師たちと仕事を始めたのです。ここで僕は多くを学びました。彼らは僕の成長を見守ってくれていて、そして、僕の“エディション ドゥ パルファム”という冒険についてきてくれたというわけです」

パリの4号店はマレ地区に(13, rue des Francs Bourgeois, 75004 Paris)。ポンピドゥー・センター上階のレストランGeorgesやパリ13区のCité de la Mode et du Designの仕事でフレデリックのアンテナに引っかかっていたJakob+Macfarlaneというデュオ建築家にデザインが任された。©Roland Halbe

フレデリック マルのブティックは2タイプ。ひとつはパリ7区店のようなアパルトマンスタイルでこれにはフレデリック自身がデザインに大きく関わっている。もうひとつは建築家に100%の白紙依頼をするもので、スティーヴン・ホールによるニューヨーク店、そしてこのマレ店がその例である。©Roland Halbe

フレデリックは2006年に暮らしの本拠地をパリからニューヨークに移した。パリ滞在中はヴェスパにまたがり、調香師たちに会いに行くのが常だ。すべてのやりとりの記録が保存されているiPadを携えて。7月半ば、エリゼ宮の前を駆け抜けた時にそんな彼の鼻を捉えた香りがある。それは刈りたての芝の匂い。「その瞬間、子ども時代に過ごしたビアリッツに連れて行かれたみたいな……夏休みをいつも過ごしていたビアリッツへ。サマーハウスの庭でガーデナーが刈った草の匂いを思い出したのです」

ヴェスパでパリを駆け巡るフレデリック。ジャケットはどんなシーンでも手放さない紳士だが、気取りのないジェントルマンである。

●問い合わせ先:フレデリック マル お客様相談室tel:03-5251-3541www.fredericmalie.com

 

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