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【ひとみしょうの男って実は…】男に飽きられやすい女性とは?

  • 2018.9.23
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恋愛に限らずなんでもそうですが、希望が見出せなくなったら人はその対象に飽きます。たとえば、自分のやっている仕事がすごく好きだからずっと同じ仕事を続けている人って案外少ないようで、多くの人は「まあまあ好き~嫌いではない」くらいの仕事に就いているわけだけど、ではなぜ「まあまあ好きor嫌いではない」仕事を何年も続けることができるのかといえば、その人がその仕事になんらかの希望を見出しているからだといえます。たとえば夏と冬に支給されるボーナスに希望を見出しているとか、仕事の内容にというより、会社の人間関係や福利厚生に希望を見出しているとか。

彼が彼女に対して希望を見出すことができなくなる関係は2つある

恋愛において彼氏が彼女に飽きるというのも、それとまったく同じで、彼が彼女との関係に希望を見出していると、彼は「彼女に飽きた」とは言わないし、反対に、希望を見出すことができず、この先行き止まりか?と思えば「飽きた」と言うという――わりとシンプルなことだったりします。

彼が彼女に対して希望を見出すことができなくなる関係って、おそらく2つあるように思います。

1つは彼女がなんでもかんでも彼氏の言いなりになる関係。

2つ目は知性がすれ違う関係。

1つ目の彼氏の言いなりになる関係というのは、これはもう彼氏にすれば「毎回勝たせてくれる試合」をしているようなものです。彼女が見えないところであれこれと根回しをして勝たせてくれているのって、じつは彼には見えているんですよね。つまり、わざと力を抜いている相手とやるサッカーの試合とか、わざとババを引かせないように配慮してくれているババ抜きって、やっていても楽しくないでしょ?つまり飽きるでしょ?

知性と偏差値はほぼなんの関係もない

2つ目の知性のすれ違い、これは彼氏と彼女との会話のなかで、彼が「この子と一緒にいてもつまらないな」と思うということです。

会話って知性です。なにも偏差値が高い彼氏と、偏差値が低い彼女との関係は破たんするということを言っているのではないです。知性と偏差値はほぼなんの関係もないものです。関係あると思っている人は、ごく一部の期間にやってきた偏差値教育に毒されている人です。大学に入ったら、おそらく誰だって、偏差値と学問ってあまり関係ないと気づくでしょ?これまで真剣にやってきた受験勉強って、あれなんだったんだろう?大学って偏差値教育が教えてくれなかったことを教えてくれるのね、と思いませんでしたか?

カップルにおける会話の知性って、言うなれば、お互いが持っている人生の好奇心のことです。たとえばいろんなことに興味をもって、つねに誰かとなにかをやっている人とか、友達に対して思いやりに溢れている人というのは、好奇心が旺盛で(ある特定の趣味に対する好奇心のみならず、人生に対する好奇心が旺盛だということです)、そういう男女が付き合えば、必然的に会話が豊かになり、つまり知的な会話が生まれ、お互いに飽きることがないんですね。

飽きない人って、精神がきちんとしている

反対に、たとえばエッチとお金と漠然としたしあわせにしか興味のない男女が交際すれば、最初のうちはエッチが気持ちいいし、彼氏のお金で美味しいものを食べることができて楽しいかもしれないけれど、やがてお互いにお互いの存在に飽きてきます。なにもエッチが知性に乏しい行為だということでもなければ、お金を使うことが知性とは無縁だということではありません(エッチもお金を使うのも知性が必要だ)。エッチやお金を使うという行為を通して、ふたりで人生に対する好奇心を自家発電しなかったのがよくなかったということです。

思えば、仕事で何回も会いたくなる人と、1度会えば「もういいや」と思う人っていると思うんだけど、飽きない彼女というのもそれに似ているのかもしれないです。

飽きない人って、精神がきちんとしているんですよね。気持ちとか心とかという言い方では表せない、精神としか呼べないようなものがきちんとしています。

きちんとしている精神があれば、相手に対して自分の考えを正確に言うことができるし、つねに人生に対する好奇心が元気です。

つまり「エッチが下手」とか「かわいくなくなった」というような理由で彼があなたに飽きるのではなくて、彼女の精神のあり方を彼は見ているということです。

(ひとみしょう/作家)

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