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チャットモンチーへの愛 西加奈子「私を生かしてくれて、ありがとう!」

  • 2018.9.7
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「女性ロックバンド」に革命を起こしたチャットモンチー。彼女たちの曲に詞も提供したことのある作家・西加奈子さんが思う、7月の「完結」を迎えたラスト武道館ライブのこと、彼女たちのこと。

「私は生きている」 文・西 加奈子

チャットモンチーはすごいバンドだ。

私が知った時にはもうすごかったし、彼女らはデビューの時からすごかった。ちょっと怖くなるくらい格好いい演奏と、とても切実なボーカル。可愛らしい容貌を裏切るバンドだと散々言われてきただろうけど、私はバンドとしての彼女たちを「可愛い」と思ったことは一度もない。いつも、いつだって、ずっと格好良かった。なんだったら「北斗の拳」のラオウの集まりみたいに思っていた。

彼女たちの音楽には、ずっと全力で応援されているような気持ちになった。その一方で圧倒的すぎて置いてきぼりにされているような気持ちにもなった。私のためだけに叫んでくれているようにも思えたし、自分たちのためだけに叫んでいるようにも見えた。とにかくどんな感想も想いも矛盾しなかった。自分が感じたことを、全部信じることができた。

唯一共通点があったのは、彼女らの演奏を聞くと、いつもお腹いっぱいおにぎりを食べた後のような、とてもシンプルな幸福を感じることだった。彼女たちの潔い佇まいと、それは無関係ではないはずだ。どれだけ高度な演奏をしても、複雑な楽曲を披露しても、彼女たちの姿勢はシンプルだった。

自分たちがいいと思う音楽を奏でる。

つまり真っ向勝負をしていた(やっぱりラオウだ!)。

おにぎりが私たちを生かしてくれているように、彼女たちの音楽に「生かされている」と思うことは多々あった。表現というものは、いつだって食べ物の救いよりは遅い。圧倒的に遅い。表現それ自体が物理的に人の命を救うことはないと、表現する人間ならみんな分かっている、はずだ。

でも、私にとってチャットモンチーは限りなくおにぎりなのだった。なんかもう、ものすごく生きることに直結させてくれる音なのだった。

そんなチャットモンチーが「完結」する。

メンバーの脱退や変化を繰り返し、それでもチャットモンチーはずっとそこにあり続けるだろうと思っていた。勝手に私の常食にしていた、おにぎりが、なくなる?

寂しくてめまいがしたけれど、彼女たちが「解散」という言葉を使わないこと、そこに何かすごく意味があるような気がした。これは絶対に目撃せねば、と思った。それで武道館へ行った。

武道館のチャットモンチーは、いつもと変わらなかった。

「CHATMONCHY MECHA」
「たったさっきから3000年までの話」

ラオウ的真っ向勝負をして、私たちみんなの口に、おにぎりを放りこんでくれた。

「the key」
「裸足の街のスター」

演奏が終わるたびに、私の体はあたたかなもので膨らんだ。ああ、これがチャットモンチーだ。最初から私はずっと泣きそうで、結局泣いてしまって、すごく泣いて、その時思っていたことは「チャットモンチーを見れなくなるなんて嫌だ」ではなくって、「ありがとうチャットモンチー」なのだった。

「私を生かしてくれて、ありがとう!」

最近、みんな「ちょっとだけ死のう」としているように思う。

本当に死にたいんじゃない。それどころか生きたくてたまらない。だから、自分が「本当に生きている」ことを実感したくて、ちょっとだけ死のうとしているように思うのだ。

例えば分かりやすく手首をちょっと切ってみるだけじゃない。痛みを感じ、流れる血を見て「生きている」と思うのではなく、インターネットに誰かの悪口を書いたり、悪いお酒を飲んで酩酊したりして、チクチクと自分の心を刺すのだ。そうして見えない血を流して、それで「生きている」と思う。

チャットモンチーの音楽は、「ちょっとだけ死ぬ」必要なんてないんだよ、と言ってくれていた。そんなことしなくても、自分を傷つけなくても、あなたは生きている。まごうことなく、完全に、全身全霊で生の只中にあるから、だから生きているんだよ。そう、叫んでくれていた。

「砂鉄」
「クッキング・ララ」
「惚たる蛍」
「染まるよ」
私は生きている。
「majority blues」
「ウィークエンドのまぼろし」
「例えば、」
生きて、歌を歌う。
「東京ハチミツオーケストラ」
「さよならGood bye」
「どなる、でんわ、どしゃぶり」
熱狂する。
「Last Love Letter」
「真夜中遊園地」
「ハナノユメ」

体中を血がぐるぐると回る。

それは、痛みを覚えるための血じゃない。生きている、

それはもう圧倒的に生きている証拠の血が流れるのだ。

「シャングリラ」
「風吹けば恋」
「サラバ青春」

7月4日の武道館、私たちはみんなで生きていた。

みんなで、ちっとも死なずに生きていた。

チャットモンチーのへその緒に、みんなで繋がっていた気分だ。

確かに彼女たちは「完結」した。そしてそれは同時に、生まれ直す行為だった。圧倒的に生きたまま生まれ直す行為。彼女たちの音楽が、その粒が私たちの体に入り込み、血になって、骨になって、細胞になって、心になった。

そういえば武道館に下がった垂れ幕には、大きな字でこう書かれていたではないか。

「Every day is your birthday」

新しい誕生日おめでとう、私たち。

新しい誕生日おめでとう、チャットモンチー。

にし・かなこ 作家。1977年生まれ、エジプト、大阪育ち。『サラバ!』(小学館)にて直木賞受賞。最新刊に『おまじない』(筑摩書房)。チャットモンチーの楽曲「例えば、」では、作詞を担当した。

チャットモンチー 2004年、地元徳島県にて結成。幾度かのメンバーチェンジを経て、橋本絵莉子(Vo、G)、福岡晃子(Ba、Dr)、高橋久美子(Dr)の3人での活動を始める。2005年、ミニアルバム『chatmonchy has come』にてメジャーデビュー。以降、テレビアニメ『働きマン』のエンディングテーマに抜擢された「シャングリラ」をはじめ、数々のヒット曲を世に出す。’11年の高橋の脱退以降は、サポートを迎えつつ2人体制で活動。’18年7月4日の日本武道館ライブ、そして同21日・22日の「徳島こなそんフェス」をもって「完結」。

※『anan』2018年9月12日号より。写真・古溪一道 上山陽介

(by anan編集部)

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