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【追悼】アレサ・フランクリン、その歌声は世界に響く。

  • 2018.8.28
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【追悼】アレサ・フランクリン、その歌声は世界に響く。
2018.08.28 17:00
バラク・オバマ大統領が「アレサが歌う時、アメリカの歴史が浮かび上がる」と讃えた伝説のシンガー、アレサ・フランクリンが、8月16日に他界した。アメリカの音楽シーンにあまりに大きな影響を与えた彼女の功績を讃え、そのキャリアを振り返ろう。

あらゆる感情を呼び起こす歌声。


2010年にがん宣告を受け、昨年、引退表明をしていた伝説の歌手、アレサ・フランクリンが、8月16日に76歳で他界した。


18ものグラミー賞を受賞し、アメリカ大統領就任式では3度も歌い、世界中で8,000万枚ものレコードを売り上げた。彼女が70年にも及ぶキャリアにおいて、世界の音楽シーンに与えた影響はあまりに大きく、彼女の声の持つパワーは、オーディエンスが内包する多種多様なエモーションを掻き立ててやまなかった。代表曲の一つである「リスペクト」ではオーディエンスの感情を引き裂き、「ナチュラル・ウーマン」ではパーソナルな思いを親密に語りかけた。

父は彼女に可能性を与えた。


アレサは、有名な伝道師を父に、4人兄弟の末っ子として1942年にメンフィスに生まれた。彼女が幼い頃には、父親の友人であったオスカー・ピーターソンやデューク・エリントン、エラ・フィッツジェラルドといったジャズ界の巨匠たち、そして、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアなどが、頻繁に彼女の自宅を訪れた。


恵まれた家庭環境のように聞こえるが、アレサは決して満ち足りた幼少期を過ごしたわけではない。父親の不貞行為に嫌気がさした母が、アレサが6歳の時、彼女を残して家を出てしまったのだ。以後、アレサは1950年代半ばまで、父の説教に付き合って全米各地を旅してまわった。10代の頃は、独学で学んだピアノと歌を、ステージ上で披露することもあった。

公民権運動のアンセム。


彼女が初めてゴスペルソングをレコーディングしたのは、15歳の時。その後、18歳でコロンビア・レコードと契約するが、その才能が花開いたのは、1966年にアトランティック・レコードに移籍してからのことだ。翌67年にアルバム『貴方だけを愛して』をリリースすると、そのファーストトラックである「リスペクト」がビルボードで1位を獲得、瞬く間に、フェミニスト運動や公民権運動のアンセムとなった。彼女は生前、こんな言葉を残している。


「私の父は、黒人たちのプライドを何十年にも渡って訴え続けた。そして世界は、黒人がどれだけ美しい人間であるかを再発見しはじめた。だから私も、『大声で言おう。私は黒人だ。それを誇りに思っている』と歌い続ける」

アレサの心はアメリカとともに。


度重なるライブのドタキャンや他のミュージシャンたちとの不和によって、傲慢な歌姫と言われたこともあったが、彼女の音楽業界に対する偉大なる貢献は、誰もが認めざるをえないものだった。1987年には、女性アーティストとして初のロックの殿堂入りを果たし、1994年には、グラミー賞で特別功労賞を受賞。さらに、プリンストンやイェール、ブラウンなどの名門大学から音楽の名誉博士号を授与されたほか、2005年には、大統領自由勲章も受章した。


2014年、優れたアーティストに与えられるケネディ・センター名誉賞を受賞した際に、アレサが歌った「ナチュラル・ウーマン」に思わず涙したバラク・オバマは、彼女をこう讃えた。


「アフリカ系アメリカ人の精神、そしてブルース、R&B、ロックンロールを結び付け、苦難と悲哀を、希望へと変えた。アレサが歌う時、アメリカの歴史が浮かび上がってくる」

Text: Libby Banks

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