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愛着を持つのはそんなに悪いこと?

  • 2018.8.19
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Cover image by YJ US

30年以上、瞑想をプラクティスしてきたが、愛着に対する瞑想の伝統的な考え方に戸惑いを感じてきた。しばしばそれは苦悩だとされ、愛着とは苦しみの最大の源の一つだとされている。とはいうものの私は、実際には人生の中で多くの人たちへの深い愛着を持ってきた。それに加えて、私はそれを楽しみ、頼りにし、深く支えられていると感じている。一体どうしたことだろう?

この興味深い難問は、十分に検討されたことも、瞑想やヨガの教えの中で解析されたこともないようだった。私はこの問題を4年間に渡り深く考えることにした。

愛着への4年間に渡る探求

過去4年間に渡り、私自身の感情的な愛着を探求し、結果として私の最新の本である”Soul Friends: The Transforming Power of Deep Human Connection”を出版することになった。
探求を始めるために、書斎に腰掛けて以下の疑問点を熟考した:

  • 人生で最も愛着を感じているのは誰か。
  • その愛着の本質は何か。
  • その結果はどんなものか(善し悪しは別として)?本質的な良い点と悪い点は?

この楽しくてやりがいのある自己精査を自分自身で行うことを強くお勧めする。ヨガの伝統では、これを『自主学習』またはスワダヤーヤと呼ぶ。私の研究では最も重要な14人のリストができた(驚くほど速く)。私の人生において『変革の仲介者』だった人たちだ。この一人一人の写真を集め、机の周りに置いた。それからその中に飛び込み、それぞれの人についてのショートエッセイを書いた ― どうやって知り合ったのか、彼らのどんなところが好きなのか(私のどんなところが好かれているのか)、どのようにして私を変革し、今日の自分を形作る助けになったのかと。

途中で、実際に『変革が起きたのはまさに愛着の中』だと気付いた。愛着は許容されるだけでなく、不可欠だ。(本当にイギリスの偉大なる心理学者、ジョン・ボウルビィは他者への安定した愛着は健全に育つための必要条件だと述べている。ボウルビィは、苦しみは不安を抱くような、回避性で無秩序な愛着からくる、と明確に述べている。)

あなた自身の深い愛着がどのように自分を変革したのかを考えてみよう。私の大学時代の親友セスを例にする。私たちが出会ったのは、ある夏に家の塗装事業のために彼を雇ったときだった。セスは向こう意気の強いアイルランドの若者で、純真で、ほぼ会った瞬間から私は彼をとても気に入った。最初の夏を通して、猫のようによく喧嘩もしたが。彼は根性があり、賢く、大胆不敵で、私の母校のアマースト大学の近くにあるマサチューセッツ大学の学生だった。

セスは私の人生で最も深い友情を結んだ一人だ。初めからお互いに、考え、願望、将来の夢、過去の話にとても興味を持っていた。長い時間を共に過ごし、家に塗装を施すだけでなく、ホールヨークの山をハイキングしたり、アマーストの農村辺りの森でキャンプしたりした。


私たちが愛着を持っていたかって?その通り。私たちは毎日話し、互いに目を配る大切な存在だった。喧嘩してもすぐに仲直りした。彼のケルトの野蛮人気質が時々はそれを邪魔していたけれど。この愛着の本質は何だろうか?主に、深く『つながる』気持ち ― まさに魂の根底にまで続くもの。継続的に魅了され、お互いの心と体にさえ触れることが必要だった(性的なものではない。むしろ、私たちは格闘したり、スポーツ、ハイキング、仕事で競い合った)。世界はお互いがいることでより完璧になった感じだ。強い熱心さは、これまでで経験した中で最も深い愛の形の一つだった。


では何が問題なのだろう?本当に苦しんだ状態?この愛が私たちを悩ませたりするのだろうか?うーん、答えはノー。そして、イエスでもある。

愛着に利点があるとき

大半において、私たちの長きにわたる友情は気高いものだった。それは瞑想的な伝統の教えである4つの最高の愛から生じる、『四無量心』だ。すなわち『メッタ』(慈悲)、『カルナ―』(同情)、『ムディター』(共感した喜び)、『ウペッカー』(平静)だ。この4つの状態は、ヨガと仏教の伝統において、『神の宿る所』、もしくは神の家だといわれている。仏陀はまさにそうした状態を私たちの『真の家』だといった。私たちの真の家ならば、苦しまず、過剰に欲張らず、憎まず、嫌悪せず、無知にならず、恐れず、怒ることはない。
こうした精神的、感情的な状態に不可欠な本質は何だろう?『四無量心』のまさに根底にあるのは『すべての生きとし生けるものに対する優しさ』の一種で、他人に対して善意の状態であり、幸せを祈ること、そして、人生の喜びを共に分かち合い、称賛する力だ。結局のところ、真の友情はこうした開放的な状態を『育み』、最高の状態で、こうした状態に呼び起こす ― 呼び起こし、維持し、確認する。友情は最高の人間性を呼び起こすと知られている。知っての通り、例えば、世界の戦場にいる男女は、まさに仲間への愛による無私無欲の勇気を持った最高の行動を起こす意欲が強い。考え、信条、愛国心や同族への忠誠心によるものではない。だが、個人の愛、真の血の通った友人関係によるものだ。兵士が心臓の側に身に付けているものは?アメリカの国旗でも、フランスの国旗でもない。最愛の人の写真だ。

愛着が苦悩となり得るとき

では、答えの中で『イエス』の部分は何だろう?実際に愛着のどの部分が(もしくは可能性として)何らかの苦悩といえるのだろうか?悩みや憎悪を生み出すのはどの部分だろうか?


まあ、愛着自体が悪いわけではない。悪いのは貪欲で、依存心が強く、欲求を抱き、しがみつくこと ― 他の人がどうあるべきかという考えに対してであり、必ず移り変わり、終わることすらあるつながりに対してであり、決して力の及ばないことを支配しようとすることに対して。それは確かな変化という現実に対する意図的な無知だ。関係の中に『見返り』を作り出そうという試み ― もしくは友情を一種のビジネスのように扱うことだ(『あなたが愛してくれる分だけ愛します』というように)。


深い友情を育んだことのある人なら、その関係の中でこうした苦しい状態を経験したことがあるだろう。広げた手が閉じられる瞬間だ。開いた手が握りこぶしに変化する瞬間 ― きつく閉じて、攻撃的で悪意に満ちている ― それから新しい何かが始まる。それは愛着ではなく、真の愛着を曲解している。真の愛着とは、自分と他者の繁栄の真の形を求めるものだ。実際には、開いた手がこぶしに変わるとき、私たちの本質から引き裂かれるように感じるのでは?自分自身から引き裂かれるのは、不安で、不幸で、孤独だ。
こうした苦しい状態は自然に起こる。でも、仏陀が言ったように、これらは私たちの真の家ではない。つまり心への訪問者でしかないので、私たちは真の友情の中心で、欠くことのできない信頼、善意、好意を傷つけないように、とてもうまく対処することが可能だ。

愛着の『問題』に対する私の結論

4年間に渡る友情の探求の最後に、愛着の『問題』についての結論に至った。大抵は表現についての混乱でしかないということだ。愛着、その最高の意味の中には、決して貪欲、依存心、渇望の苦しい側面は含まれていない。でも、愛着において目標を達成するためには、必然的に生じたとき、効率的かつ巧みに扱うために、『こうした難しい心理状態に呼び名を付ける』のはとても便利だ。そして、仏陀が何度も指摘したように、『状態』を作ることで、実際には、これらは継続して生じることはなくなる。
これらの状態とは?それは瞑想、マインドフルネス、自主学習、ヨガ、『四無量心』の体系的な構築、自己と他者への善意の体系的な構築だ。
アーナンダは仏陀の親友だった。彼らの友情についての素晴らしい話を聞いたことは?あるとき、長きに渡り友人だったあと、アーナンダが仏陀に「良い仲間、良い親交は精神的生活の半分だというのは本当ですか?」と聞いた。仏陀は答えた、「いいえ、アーナンダ。それは本当ではありません。実際には、良い仲間、良い親交は精神的生活のすべてです。」

それでは、ご遠慮なく。愛着を満喫し、味わい、側に置こう。どのような情熱でも注ぎ込もう。あなたが持つすべてを与えよう ― アーナンダが仏陀との友情にまさに最高の状態をもたらしたように。こうした友情は人生における幸せの源だと知っておこう。


スティーブン・コープ:上級常勤研究員であり、クリパル・アンバサダーを務める。西洋で訓練を受けた心理療法士で、西洋の心理的なパラダイムと東洋の瞑想的な伝統の関係についての執筆と指導を行っている。スティーブンはアマースト大学とボストンカレッジの学位を持っている。ボストン地域で精神分析的精神療法の大学と大学院を修了し、長年そこでプラクティスしたのちに、クリパルのスタッフになった。25周年記念版で、ヨガジャーナルは彼をアメリカのヨガにおける発展中の分野で、最も重要な革新者と名付けられた。

Translated by Hiroe Humphreys

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